三章 情報の 航路を決める 船長は どんな分厚い 面(つら)をしてるか その2
教室を出た時点で、先に走りだしていた美甘の姿は階段のある角の向こうに消えていた。
急がねばと俺も足を速める。治安維持委員会は廊下を走ることが認められているわけではないが、諫めてくる者もいない。俺達はやらないが、鎮圧時の暴力さえ目をつぶる場所もあるらしい。なかなかグレーな存在なのだ。
ホームルーム開始のチャイムが鳴った。すでに誰もいない廊下を俺は駆け抜ける。
角を曲がり階段に差し掛かったところで、踊り場にいた美甘と目が合った。彼女は立ち止まって俺のことを見上げている。
何だろうかと俺も足を止めた。
明り取りの窓から差し込む陽光を避けるように、美甘は影の中に立っていた。
長い間そうしていたように思う。あるいは一瞬だったかもしれないが、黙したままの時間は俺にとって気の遠くなるようなものだった。
ようやく彼女は口を開いて言った。
「下りてきてください」
命令するというより、お願いする口調。高低差のせいもあるかもしれないが、俺はそう感じた。
言われるままに下りていく。
階段を降り、踊り場へ。
美甘は影の濃い階下側へ移動していた。
俺も彼女の後に続く。
陽だまりの中から、日影の中へ。その瞬間、薄っすらと肌寒さのようなものを感じた。けれどもそれは一瞬のことで、すぐに気にならなくなった。
近くに立っても目線は美甘より俺の方がずっと高かった。むしろ近くにいるがゆえに、余計に彼女が小さく見えた。
美甘は俺を見上げるような格好で話し始めた。
「灯字ちゃんは、今の世界をどう思いますか?」
「世界……?」
その言葉のスケールが想像できずに首を傾げると、彼女はゆっくりとした調子で言い添えた。
「水香ちゃんの言っていた、国が若者を見捨てた世界です」
「見捨ててなんかいないだろ……。ちゃんと学校は存在するし」
「わたしはそうは思いませんが……そうですか」
納得はいかないが理解はする、といった感じで美甘は頷いた。
「……なあ、その話長くなるのか? それなら事件を解決してからでも……」
「大丈夫です。次の質問で終わりですから」
きっぱりとした口調に、俺は黙してその質問というのを待った。
美甘は瞬きもせず、じっと俺の顔をしばらく眺めた後に言った。
「灯字ちゃんは今の世界が好きですか?」
「国が若者を見捨てた世界を、か?」
「もしくは違うかもしれませんが」
ふざけた様子はなく、いたって真剣な表情だった。
だから俺も真面目に考えた。
治安維持委員会に厄介ごとを押し付け、大人達は現実から目を背けた。そのうえ起きた問題を記録から消すどころか、最初から認める気もない。
俺達の解決した事件は全部、ポリバケツの中に押し込んで蓋をしやがった。
許されざる隠蔽を平気でするヤツ等が最高機関に居座っている国。
それが今の日本だ。
「……まあ、好きになれるわけがないよな」
「そうですよね! わたしのやっていることは、正しいんですよね!」
急に花が咲いたような笑顔を浮かべ、俺の手を取る美甘。あまりの急な変わりように俺は思わず「あ、ああ」とよく考えもせずに肯定してしまった。
「よかったです、ほっとしました。ふふっ。さあ、事件がわたし達を呼んでいます、行きましょうか」
足取り軽く歩きだす美甘。鼻歌でも歌いそうなぐらいに上機嫌だ。
思考が追いつかないが、違和感を覚えた。何か言うべきだと思ったのだが、適した言葉を思いつかなかった。
考えつつも彼女の姿を見ている内に、ふと後頭部に目が留まった。
艶やかな黒髪をまとめたハーフアップ。そこに一輪の花を見つけた。
赤いツツジの花だ。
言うまでもなく、髪飾りに付いている装飾品に過ぎない。だが俺にとってそれは、忘れられない特別なものだった。
「……まだ付けてたのか、それ」
美甘は振り返り、「ほえ?」と首を傾げた。
俺は自分の後頭部を軽く叩いて言い添えた。
「ゴムリボンだよ」
「ああ、これですか」
白く小さな手がツツジを押さえた。
「確か俺が昔、誕生日にやったのだろ?」
「えへへ、そうですよ。灯字ちゃんのくれた、プレゼントです!」
曇りない晴れやかな表情を美甘は浮かべた。
その顔が幼い頃の彼女と重なり、俺は妙に懐かしい気分になった。
「そんなに大事にしてくれるなら、もっといいのを選べばよかったよ」
「それは無理じゃないですか?」
「無理って、何で?」
「だって灯字ちゃん、前日ぐらいまで誕生日のこと忘れてますし。いつも間際になってから、近くのお店で選んでません?」
「……エスパー?」
「だって灯字ちゃんのプレゼント、見たことあるものばかりなんですもん」
声に出して思いっきり笑われた。
申し訳ないやら、悲しいやら。
「すまない。今年はちゃんとしたのを選ぶから……」
「本当ですか? 楽しみにしてますね」
あまり真に受けていない、軽い返事だ。
「いや、今年こそは本当頑張るから」
「ふふっ、分かりましたって」
階段を一段下りたところで、「あ、でも」と美甘はもう一度振り返って言った。
「どれだけ素敵なものをもらっても、この髪飾りには敵わないと思いますよ」
「どうして?」
苦笑して軽く肩を竦め、彼女は続ける。
「だってこれ、灯字ちゃんが初めてくれたプレゼントですよ」
俺は自分の記憶を遡って「そうだっけ?」を繰り返し、最後に「そうだった」と思い出した。
道理でちょっと汚れてたり、ボロい所があったりするわけだ。
今年の誕生日は、代わりの髪飾りでもプレゼントしようかと思った。
まあその前に、クリスマスプレゼントを選ばなければならないのだが。
美甘はもう振り返らずに階段を下りていく。
俺も考え事をしつつ、その後を追った。
○
約三十分後。俺達は別の学校で仕事、つまり治安維持の任を遂行していた。
「食らってください、《餡子喰弾(あんこくだん)》!」
美甘の持った竹鉄砲から透明感ある茶の餡子玉が発射され、暴徒と化した男共の口に次々吸い込まれるように入っていく。ちなみに透明感があるのは寒天に包まれているからだ。
「ふぐっ!?」
「んぉ、何だこれ……」
「ほろほろ解けていく、口の中に広がるまったりとした甘味が……」
「心を優しく包み込んでくれるぅ……」
餡子玉を食した男達はたちまち戦意を失い、その場にくずおれていく。食レポはまだまだだとちょっと優越感に浸る。
「ふぅ、これで解決でしょうか?」
「そうだなぁ……疲れた」
と言うやいなや、むすっとした顔で美甘に睨まれた。
「今回、灯字ちゃんは何もしてないですよね」
「いやいや、仕方ないだろ。コイツ等、例によって変だったし……」
「あっ……、灯字っちまだそっちに……!」
「へ……、わっ!」
背後にあった廊下の角、そこからぬっとモヒカン頭の男子生徒が現れた。
彼の表情はのっぺりしていて口が開きっぱなしだった。歩き方も足を引きずるようなもので、まるでゾンビのようだ。
筆を構えようとしたが、それより相手の方が早かった。
モヒカンは俺を見るなり虚無的な顔を歪め、「シャーッ!」と奇声を発して飛びかかってきた。
……しくった!
絶望に頭が真っ白になった時、一発の茶の小さな玉が背後から飛んでいき、ヤツの口に収まった。
途端、死者のようだった男の顔が幸福に蕩ける。
「ふおぉ……、和む美味さだぁ……」
軽くトリップしちゃってんじゃって変わりようだが、後遺症とかはないはずだ。多分。
俺は額の汗を拭き、美甘に言った。
「助かった、ありがとう」
「もうっ、気を抜いちゃダメですよ! 大体灯字ちゃんは……」
こりゃ長い説教が始まるなと覚悟したが、ありがたいことに久遠先輩がストップをかけてくれた。
「でもま、無事でマジよかったじゃん」
「そうですけど……」
美甘は不満そうに口を尖らせつつも、先輩の顔に免じてか矛を収めてくれた。
周囲を見やったが、もう誰かが潜んでいるような気配はなかった。
「……大丈夫そうだな」
「そうですね……。久遠ちゃん先輩、記録の方はどうですか?」
「おっけ、終わったよ。……でも、最近こんなのばっかりでマジ怠いわ」
「……はい。そうですね……」
俺達は沈黙し、骨抜きになった男達を見やった。
「どうして正気を失ってたのか、訊いても無駄なんだろうな」
「……一応、試してはみますが……」
そう答える美甘の口ぶりからは、期待なんて微塵も感じられなかった。
事件現場は近くの学校だった。
そこには治安維持委員会が設置されておらず、魂魄高校の管轄地域となっていた。
駆けつけた俺達は、暴れている生徒共の鎮圧にあたっていたのだ。
校長室前で待機していると、事件に関しての報告を終えた美甘と久遠先輩が出てきた。二人はそろって暗澹たる面持ちで、足取りも重かった。
「その様子じゃ、何も分からなかったみたいだな」
「もうっ。こういう時は、最初にねぎらいの言葉をかけるものですよ」
美甘は背伸びして俺の鼻をデコピンもどきでつついてから、久遠先輩に言った。
「久遠ちゃん先輩。一応、今回の件で判明したことを灯字ちゃんに伝えてあげてくれませんか」
「あいよ。今回の乱行者(らんこうしゃ)である学生は素行こそ悪かったけど、今まで学校で急に暴れ出すようなことはなかった」
そこで久遠先輩は口を閉ざした。続く言葉はいくら待てどもなかった。
「それだけか?」
「そ。あと訊き出せたのは今までと同じ、謎の女ぐらい」
「……会った途端に意識がなくなる、正体不明の女か」
「顔が割れてない上に、女っていうのも、声とレディースもののバッグから推測されてるだけ。背が高い以外の情報は今の所一切なしの切り裂きジャック状態。チョーウケる」
久遠先輩はしかめ面でスマホを袖に放り込んだ。
「……謎の女に、ゾンビ化か」
「病的なゾンビ化……。ゾンビ症、と呼ぶべきでしょうか」
その単語は異様なほどすとんと腑に落ちた。
「ゾンビ症……。人為的なものだけど、確かにあれは深刻な精神病みたいなものだもんな」
「治療できるってところも、マジでそんな感じじゃん」
「でも、一体どんな目的でその女の方は学生をゾンビ症にしてるんでしょう?」
「今回は不良だったけど、全員がそうだってわけでもないしな」
再びスマホを出して操作していた久遠先輩は頭を掻いて言う。
「今の所、共通点らしいものは……ないんじゃね?」
「手掛かりは皆無、か」
「……どうすればいいんでしょう」
ため息混じりに肩を落とす美甘に、俺は提案してみた。
「一度、合同会議で水香達とも話し合ったらどうだ?」
「ってか本当だったら前の会議でディスカるつもりだったんだし、早い方がいいんじゃね?」
「……前回の会議、ですか」
美甘の顔が曇る。治安維持委員会が国にいいように利用されている、ということを思い出してしまったのだろう。
しかしすぐに彼女は首を振り、表情を引き締めて言った。
「そうですね。久遠ちゃん先輩、今日の放課後は何か予定とかありますか?」
「別にナッシング」
「灯字ちゃんは大丈夫ですよね」
さらっと言われた言葉が癇に障り、頭の中で火打石を打ったような音が鳴った。
「おい、勝手に決めつけるなよ」
「だって、灯字ちゃんが書道以外に時間使うわけないですし」
「あっ、あるかもしれないだろ。デートとか」
「えっ……、逢瀬?」
苦し紛れに言ったはずの単語が、想像以上の効果を発揮した。
美甘は目をぐるぐる渦巻にしながら問い詰めてくる。
「どっ、どこのどなたですかいつ何時何分何秒地球が何回自転した時に恋人になったんですか!?」
「おっ、落ち着け、冗談だから、嘘だから。な?」
「う、嘘? そ、そうですか……」
勢いを失い、へなへなと軟体動物のようにへたり込む美甘。
「おっ、おい、大丈夫か?」
顔を覗き込むと、心なしかすっごく安堵に満ちた表情をしていた。
「……ったく、廊下なんかに座ったら、袴が汚れるだろ」
俺は美甘を立ち上がらせるべく、白く小さな手を取った。
彼女は「あっ……」と声を上げ、頬を赤らめた。
「もしかして熱でもあるのか?」
「な、何でですか?」
「ほっぺが赤くなってる。きれいな皆既月食みたいに」
言いつつ、つんつんと頬をつついていると、美甘の赤面が加速して耳にまで至った。
「にゃっ、にゃっ、にゃにをおっしゃるウサギさんです!?」
「落ち着け猫さん」
ニャーニャーやかましく鳴く猫さんをなだめていると、背後からギターの音が鳴った。
見やると久遠先輩が龍の描かれたギターを構えた。
「……何やってるんだ?」
「あ、ウチのことは気にしなくていいから。続けて続けて」
どこかで聞いたことのある曲が掻き鳴らされる。
確かこれ、ラブソングじゃなかったっけ?
でも何で?
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