四章 無謀なる 愚人の鼻は 高々と 天を向けども 雲は穿(うが)たず   その2

 美甘の連絡を受け、マインのよこした返事は『今度の金曜日、我が学び舎に来たれし。そこで話そう』というものだった。


 本日のメンバーは俺と美甘、久遠先輩といつもの活動時と同じ顔ぶれだ。弥流先生も行きたがっていたが平日は雑務が忙しく来れないようだった。どんまい。

 金曜日の放課後、ドリーム高校まで足を運んだ俺達は、敷地に入る前に唖然とする羽目になった。


「……スゲー」


 外観を一目見て最初に出てきた言葉がそれだった。


 校舎自体は普通の鉄筋コンクリートだ。壁は真っ白で造形自体もただの長方形と、大して面白みはない。

 しかしそれが今やあらゆる飾りで色鮮やかに彩られていた。カラフルな看板や風船に、紙テープや段ボールを塗って組み合わせて作ったような花とか、他にも色々。

 とにかく派手で、非日常感のオーラがこれでもかと放出されていた。


「そういえば今日、ドリーム高校は文化祭でしたね」

「何でわざわざ人のチョー多い文化祭の日をチョイスしたのかねえ?」

「大方、俺達に遊びに来てほしかったんだろ」


 もう四時近くになるが敷地内からは今もなお、お祭り最中の熱気とざわめきが溢れ出ていた。


「そろそろ入らね? いつまでも棒立ちしててもしゃーないっしょ」

「は、はい。……あれ?」


 久遠先輩に促され歩き出した美甘は、すぐに立ち止まって首を傾げた。


「どうしたんだ?」

「あの、あれ……何でしょうか?」


 彼女は紙花のアーチ状のゲート上に飾られていたものを指差していた。

 白い厚紙に黒インクで何か印刷されている。それは不思議な文様の中央に一文字漢字が書かれたものだ。


「校章だろ。中央のは篆書で高、高校の高だ」

「言われてみれば……。周囲から浮きすぎててちょっと分かりませんでした」

「まあ、普通は文化祭で校章を表に飾ったりはしないだろうからな」

「気付いてなかったかもしんないけど、マインっち達がいつも着てる制服にも校章ついてるよ。左胸の所に」

「そうだったのか……。奇抜なデザインに目を奪われてて気づかなかった」


「でもわたし達も、あまり人のことは言えませんけどね」

「書生姿に矢絣の着物だもんな……」


 俺達は紙花のゲートをくぐって敷地に入った。


 そこは仮装した学生やクラスTシャツを着た生徒、外部からの客が一体となって盛り上がっていた。満員電車ほどとまではいかなくても、とにかく人が多い。

 何名か制服の者もいた。腕章をつけているから何かの役員だろう。男子は書生姿で女子はマインの着ているようなセーラー風の着物だ。どちらも確かに左胸には校章がついていた。

 音楽やざわめきで音が洪水のようになっていて、インドア派の俺はすぐに耳栓が恋しくなった。


「うぉえ……人とか音とかすごくて酔いそう」

「しっかりしてください、灯字ちゃん。今日限りの辛抱ですから」

「あ、ああ……」

「ウチの学校の閑散とした文化祭とは大違いだね。リオのカーニバルってカンジじゃん」


 俺は何とか気を確かに持ち、深呼吸して落ち着きを取り戻そうとした。


「マインっちから集合場所とか指定されてないわけ?」

「いえ。ただ来いとしか書かれていませんでしたし……」

「もう一度連絡してみたらいいんじゃね?」


 二人が会話しているのをぼうと聞き、俺は少しでも人酔いを緩和するため、視線を上にやった。


 すると校舎の屋上に結ばれたアドバルーンが見えた。

 アドバルーンってのは、係留気球で文字の書かれたものを吊り下げる屋外広告だ。


 この学校では毛筆で書かれた白い布を吊り下げていた。

 白い布には『第三十九回 スペシャル・ドリーム高等学校文化祭』と行書体のデカい文字があった。


 ただあるだけだ。


 その一文字一文字は確かに小綺麗で、中心線も正確だ。

 しかしそれだけ。そこには熱意もなければ勢いもなく、ミイラ同然だった。

 布の文字を目にしていると、胸の内から苛立ちが湧きたってきた。グツグツと何かが煮え滾るような音が耳に聞こえてくる。


 気が付いたら俺は近くの生徒の腕をつかみ、訊いていた。


「ちょっといいか?」

「へ? はあ、何でしょうか」

「生徒会長はどこにいる?」


   ○


 本館の三階にある生徒会長室。

 そのドアを俺は蹴破る勢いで開いた。


「生徒会長の野郎はここかぁッ!?」

「うわっ、なっ、何だ!?」


 室内にいた生徒は目をひん剥きこっちを見やる。

 一番奥にいた眼鏡ののっぽ野郎なんか、椅子からひっくり返っていやがった。


「だっ、誰でありますか、君は!?」


 ヤツが口にしたちょうどその時、背後から二つの足音がした。


「ちょっ、ちょっと灯字ちゃん、やめてください!」

「ロックなのはいいけど、マジちょっと落ち着けって!」


 俺は彼女達の制止を無視し、大股で生徒会室に入っていく。


 中にいる連中は全員クラスTシャツを着ており、アンダーはジャージのズボンやシンプルなスカート姿だった。

 幾人かの顔はシールやペンなんかで描かれた絵でデコレーションされている。おそらく彼等もさっきまで文化祭を楽しんでいたのだろう。


 室内にいるヤツ等に、出せる限りの大声で呼びかける。


「俺は入木灯字だッ! 表のアドバルーンのことで話がある!」

「あ、アドバルーンがどうかしたでありますか?」


 のっぽのヤツが眼鏡を直しながら問うてきた。この男がここのトップなのだろう。


「あれに吊るされた布に文字を書いたのは誰だ?」

「しょ、小生でありますが……」

「お前か……。お前があの腑抜けた文字を書きやがったのか」


 俺の言葉にピクリとのっぽの眉が震える。


「……君、今何と言ったであります?」

「腑抜けた文字って言ったんだよ」

「何でありますか、腑抜けた文字とは!?」


 俺はヤツの間抜けっ面を人差し指で差した。


「お前の文字には、魂が欠けている!」

「たっ、魂!?」


 一度深く息を吸い込み、限界を振り切り大音声で言い放った。


「あれは文字を書いているんじゃないっ、魂を欠いているんだッ!!」


 怒声が空気をビリビリ震わせ、外の騒々しさもひっくるめた全ての音を一時的に掻き消した。

 しばしの静寂の後、のっぽが肩を震わせて笑いだした。


「くっ、くくく、くっくっく。何を言うかと思えば、魂を欠いているでありますか」

「何がおかしい?」

「小生は書道五段の持ち主であります! その小生に向かって書を語るなど片腹痛いでありますなあ!」

「そんなことは訊いていない」

「何でありますとぉ!?」

「俺の要求はただ一つだ」


 眼前まで迫り、無駄に高い鼻先に指頭を突きつけて俺は言った。


「今すぐあのふざけたアドバルーンを外せ。以上だ」

「なっ、なっ、なっ……」


 のっぽの顔がみるみる赤く染まっていく。やがてそれが顔面全部を覆った時、ヤツのトサカが噴火した。


「きっ、君ィ、礼儀がなっていないでありますねえ!」

「それはあれか? トーンポリシングってヤツか? 文字に自信がないからって、そんな姑息なことをするとはなあ……」

「キサマァッ!!」


 激高したのっぽは俺の着物の衿をつかみ、鼻息荒い顔を近づけてくる。


「ぼっ、暴力はダメでやんすよ、副会長!」

「そうっすよ、手を出したらこっちが悪いってことに……」


 周囲のヤツ等に宥められてのっぽは舌打ちし、衿を放した。

 乱れた着物を整えていると、ヤツが訊いてきた。


「君は確か、入木灯字と言ったでありますね?」

「ああ、そうだ」

「もしや君のお祖父様は、あの高名な入木仙道先生でありますか?」

「だったら何だ?」


 のっぽは目を大きく開き、にやぁっと笑った。


「書道で起きた争いは書によって片をつける。それが一番でありますなあ」

「……一理あるな」

「なら、勝負であります」


 意趣返しか、のっぽは俺に指を突きつけてきて言った。


「制限時間は三十分。その間に君にもアドバルーン用の新しい広告を書いてもらうであります。一目見て、ドリーム高校で文化祭が開かれていると分かるものを」

「勝敗の判定方法は?」

「セルフジャッジであります。どちらの書が優れているか、広告として役に立つか、小生等で決めるであります」

「いいだろう」


 ヤツはしたり顔で指を鳴らし、近くにいた委員の一人に顎でしゃくって命じた。


「君、準備室から布と書道道具一式を持ってくるであります」

「はいでやんす。書道道具は準備で使った、あの大きなものでやんすね?」

「そうであります。ああ、墨汁を忘れないよう気を付けるでありますよ」

「分かったでやんす」


 委員は駆け足で部屋を出ていった。

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