summer rain

「雨よ降れ」


「雨よ降れ」


 細い水の一粒一粒が、空から線を引いて落ちてくるのです。それはいくつも私の頭に降り注ぐのだ。


「踊れ」


「踊れ」



 大丈夫、いつだってあなたは独りじゃない。

 気が済むまで歌い歩く。リズムを刻み、踊ります。

 それが今日の旅、今日の夢。



 雨が降る。

 窓の外は水玉の軌跡で遮られ、家の前に広がる公園を見渡すことはできなかった。

 時間の経つごとに勢いを増していく雨音に、僕はやるせない思いを隠せなかった。

 椅子に座っていることができず、何度も窓辺に立って外を眺めてしまう。外の景色はいつまでも淡い青色と灰色ばかりで、ため息ばかりついてしまう僕の気分をわかち合ってくれているようだった。

 昨日僕と彼女の世界が割れた。

 午後三時、僕らはただ立ち尽くしていた。途中で雨が降りだして、二人はうつむいたまま、なす術もなく打たれていた。あの時僕に開いた大きな穴は未だここにある。

 雨は止まない。降り続ける雨粒でさえ、僕に洪水を起こすことができず、こうして意味もなく窓辺に佇ませていた。


 昨日に心を馳せて。


 話はもうまとまって、僕は窓辺で下を向いていた。

 荷支度が終わったらしく、気配が近づいてきたのを感じた。

「じゃあ、今までありがとうございました」

 ガラスに映った影が頭を下げる。

「やめろよ、そういうの」と、うつ向いたまま呟く。

 最後の最後まで自分は駄目な人間だったのだとわかった。嫌気が差した。

 映る影は何も言わず、居間の扉の前にいる。

 沈黙。

 僕がやっと振り向くと、彼女は微笑んでいた。

「じゃあ、ね」

 彼女はまた頭を下げた。

 僕も小さく会釈して、おう、とだけ言った。

 僕はまた窓を見た。

 後ろで扉の閉まる音が聞こえる。


 目蓋を閉じた。

 特に感傷に襲われた訳でもないが、ひしと目を閉じた。


 ただ青色が浮かんでくる。

 涙の色。本棚の上に置いたガラス細工の色。

 そういえばあれも、もらった物だったと、思い出して、感傷した。

 彼女の息遣い、温もり、愛らしい仕草や冷たい態度まで、何もかもが僕にのし掛かって離れない。びしゃびしゃに濡らして、身動きを取れなくさせる。


 逃走だ。怒りも焦燥も失くして、ぽっかり空いた穴に風が吹くたび、寒くて、寒くて、うずくまって暖かい毛布をかぶって、部屋の隅で、狭いところで、固まっていたい。

 ただ眠りたい。眠ったら全部忘れられる気がする。痛くて、これからも、痛くなるのがなんとなくわかっていて、さっさと忘れて、この感情を消してしまいたいと思う。


 もうさよならだ。

 僕のここまでの心に。

 青が幾度も流れていくのを、僕は端から眺めている。


**


 あなたは薄く微笑んだ。

 悲しみも寂しさも心の棚に仕舞い、今日は踊りませんか、と言った。

 余裕な振りをするのが、悲しいようで、頼りになって、やっぱりいい人だな、なんてふわふわした気持ちで思う。

 音楽を掛けて、私の手をとって、居間の広いところで、ゆっくりと体を揺らす。揺らす。心を揺らして、燻らして、じっくりと、感情の波を見つめて。

 声も表情も、雰囲気も心も好きだった。

 だから、彼は、全部を完璧なまま、終わらせようとしていた。


「ありのままでいいのに」


「いつもありのままさ」


「弱くてもいいのに」


「いつも弱いままさ」


 止まらない夜の音、微かな喧騒、暖かな灯りの色が、私たちを照らす。


 今。旅に出た。

 大きくて、遥かな旅。自分が行き着いたと決めるまで、終わることのない旅。人生。

 宿り木のない渡り鳥。

 いつも悲しく鳴いているようで、笑ってもいるのです。

 気持ちいい。ただただ気持ちいいよ。

 今日もそんな感じだ。


「踊れ」


「踊れ」


 大丈夫。あなたは独りじゃない。

 それが明日の旅。今夜の夢。

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