自叙伝

 私は神奈川県の大磯町に生を享けました。すぐそばで海の香がしたのを昨日のことのように覚えています。その後何度か転々と致しましたが、生涯、私の故郷と決めていたのはこの大磯の町だけでありました。

 帰りたい、とよく思いました。ようやく落ちついたのは北関東の某所でしたが、幼いながらに私は他所者であるからこの地になじまないのは仕方の無いことだとあきらめていました。やなことは全て某県でおこったという記憶です。あまりひけらすこともないので、北関東某所をこれから某県と呼びぼかします。

 自我が芽生えた時、を私は小学四、五年生としています。少しおそいようですが、それ以前の自分の姿は客観的であり、小学四年生ごろから漸く記憶上の意識が自分を中心に展開されていくからです。幼少の私も私である筈なのですがまるで全くの他者のようで、自分と同一人物だとも感じられず、思い出す時は一対一で何もない真白な空間に相対しているような気持になります。全く、別個の存在に感ぜらるのです。


 今自叙伝をものしたのは、これまで私は自分の生涯と向き合う事に蓋をしてきたからであり、思い起こすとどこまでも一部未熟のまま年だけを経た私は、まだ消化しきれていない過去によく涙を誘われるからです。せめて過去とは一つけりをつけてから進みましょう、とようやく、今更ながらに思われたのです。


 私は自分のことを語りますと必ずとても苦しくなってしまいます。事実にしろ感情にせよ、そういえば余り口にしない人でした。否、瞬間的な感覚―痛いだの楽しい、だのは言っても、深く沈下した思い出、(「あれはとてもつらいことでした」「私は長らくこう思っていました」)などを口にしようとすると、意思とは反対にどうしてか泣けてきてしまって言葉が出せなくなるのでした。

 言おうかと想像するだけで喉が痛みます。別に悲しくはないのに、身体がそれはタブーで触れてはいけない、ととっさに拒絶を示してしまうのです。

 昔のことというのは本人の思っている以上に、案外に深く潜んでいるものです。


 一旦筆を置きました。

 今も少し身体が重く鉛のように椅子へ沈んでいくみたいです。やはりこれは掘り起こさない方がいいのかもしれません。

 ただ事実を誠実に述べるにとどめることとします。




















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自叙伝を書こうとしたものパート2。といいつつ、具体的な地名などはフィクションです。そのままあけすけに書くのは無理だったみたい。改行、間違った表現などは手直ししていますがそれ以外原文のままです。

これもここで終わっています。

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