私小説
ああまただ、死んで呉れないだろうか、と、上階の気違いじみた一瞬の騒音――笑いとも叫びとも自己顕示ともつかぬ咆哮――を耳に入れ拓也は思った。六畳半のワンルーム。何に対してもこれといった熟慮は傾けなかった。
勉強も好きと言われれば好きではある。逃れるだけの気勢が無い。
現役で大学に入った。目立つともない、悪くない所へ。東大は個性が消される。学校内は良い。只、柵の中でさえ学部の上下、又は同類であるといった認識が身を固めている。どう公平を繕った生徒も、言外に意識を抱いている。
益してや東大と名乗ったからに大人は自分を東大生としか見なくなる。当然、その学校以外に所属などしていないのだから。ただ、東大というフィルターを何を見るにも聞くにも勝手に自分の前に置きに来る。
これといった趣味も無い。同年代がするようなゲームに手を出す程の気概も無い。ひとつ確からしい事に、拓也は幸せであった。幸せと思う事にしていた。ごく消極的な理由だ、悩みはない、辛さもない、将来慮る所もない、何故なら己の齢を過信していない故…。
来年か再来年にでも死ぬんじゃないかとも思う。それはそれで良かった。延命する理由もないからだ。八十まで生きても良い。苦しみを得てまで死す理由がないからだ。自我を問うにつれ、自我が死んでいくようだ。
それは間違った浮遊感でもなければ、正解ではない。生きながらして死し、死ぬように息するとは、正にこの事だ。
――ただ僕は過去に度し難い罪を犯しはしなかったか?
不図そのような問いを、死の予行に臨む度浮かべるようになった。冷蔵庫から何かつまみ、焼き、煮、スープにでもして口にする。料理も嫌いじゃない。生まれてから身に染みている人間の営みとして当然視しているから。今日は一日課題でルベーグ積分と時を消す。別の日は――、――、テイラー展開なんて日がなやらされた日はみじめだ。
僕は何の為に死を数えているのかと――死への苦行のように思えた。その羅列は先頭に花を擡げて葬送者を無意味に連ねてゆくようだ。それで死に触れた心持ちのふりして詩を一篇ついやした際は自分で気でも狂ったかと流石に、数年振りの一人笑いを零した。詩人とは皆このように狂って機械になった人間なのか、とまで思うまい。余りに失礼な冗談だから。しかし機械に一番近付いた者が、情を極限まで抱いた人間か知れない。
拓也は機械ではなかった。人間であった。故に最大の慈悲というものも、並外れた愛というものも持ち合わせようがなかった。普通ではない。ことごとく普通ではない筈が、普通者よりも生彩の薄い影だ。
「これも、残る前に、消さなければ。」記憶へ投げてノートは燃やす。それが唯一、死ぬ前の未練であった。果たせぬならそれでも良いのだが。幼少から連ねて気付いた時には人目に触れぬように溜めていた詩、小説にならぬ断片、随筆とは大層な書付の類、それを整理せねばならなかった。物思いの少ない拓也の、ほぼこれだけと言っていい課題はそれであった。自分の文字さえ適切に葬送されりゃ良い。身の亡き殻と共に、いたづらに書付が遺ったかと思うだけで、この首を掻いてやりたくなった。死んでも死に切れぬ訳でなし、死んだ先でまた死んでやろうと思う。
自分を殺して意志の死ぬ処まで徹底して殺めねば、この残った文章はずっと中途に浮いたのみ、救われず殺されず醜態の塊と成るだろうから。
拓也は傍らのギターを手に取った。Aマイナーを弾く。何か歌おうとして、直ぐ止めた。布団に転がれば、たちまち寝に就く。年相応なのか、はて健康も過ぎて面白味無いのか、拓也には分からなかった。寝つけぬ夜は詩をよみ歌を聴いて涙したくなるらしい。その感傷は、幸か、拓也に訪れることなく健全な睡りに押しまける。
一度、夜をも少し起きていたら良いだろうかと試みた事もある。駄目であった。慣れたリズムを自ら崩すのが、拓也には心底居心地悪かった。
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文豪は私小説というのをよく書くが、そんな公開処刑なものを書かないといかぬものだろうかと思って、どうせ死ぬなら恥曝しもよかろうと、私小説というのを書いてみようと試みたもの。やっぱり自分をおとしいれるのはどうも気恥ずかしくてやっぱりこの辺でやめてしまった。
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