31人目の客人
「あの……」
奥の部屋から声が出る。若いご婦人のような、年老いた老婆のような、静かに時を刻んできた女性の声だった。
「もう彼はここには来られません。どうぞこちらへ」
聡い彼女は、僕の言い草に少し疑問を持ったようだが、僕を信頼しようと決めた過去の自分を信じたらしい。静かに席へと座る。
何を言っているのやら見当もつかない幼すぎる声が響いて、僕はにっこりと笑った。
「こんにちは。小さなご婦人」
あうあう言って、世の中の有限性を知りもしない無垢な人間に、精一杯の笑顔をプレゼントした。
赤ん坊が上機嫌で笑うと、本当に微笑ましく、そして、その安心し切った声に、イラついた。
「やめて!! 」
女性の甲高い悲鳴が耳に突き刺さる。僕は、赤ん坊を掴んで、上に持ち上げていた。
必死になって僕に食らいつく女を見て、渋々下ろす。
女性は肩を上下に動かして酸素を取り込み、落ち着こうと心臓を掌で押さえた。
「あなた、赤ちゃんていうのはね、首がまだ据わってないのよ。そんなに雑に扱ったら死んでしまうわ」
僕は言ってやる。
「でも、死にませんでしたよ」
すると、女は突然蹲み込んだ。
僕が女性を見つつ紅茶を注ぎ込むと、女性はポツポツと喋り出した。
「私はね、一回自分の子供を殺しているの。だから、夫は今の子を私から取り上げた。そうして、私は1人で入院、夫は子供を世話する、ということになったの。私の子供なんだから、私も毎日会うのが普通だと、そう思わない?」
僕は、しっかりと目を見つめて、その美しいまでに気の狂ったような動きをする女性に言った。
「それは、普通というものからはみ出せなかった人たちを愚弄する言葉ですよ」
さりげなく赤ん坊の耳に手を当てて、話す僕を見て、女性は涙を流して、吠えた。
「じゃあ、どうやりゃ普通になれんのよ!!それをしっていたなら、こんな事にはなっていなかった!」
僕は首を傾げる。
「それは、今あなたが抱え込んでいる、赤ん坊に何か関係ありますか?」
女は放心した。時計の針が動くごとに、目の焦点があっていく。
「私だって……辛かったのよ」
「そうですね。お疲れ様です」
そう言って、僕は紅茶を飲みつつ、女性の表情や仕草を観察する。
僕が赤ん坊を受け取り、女性に紅茶を勧めると、彼女は僕を男だと思っているだろうに、何を警戒するでもなく、大人しく、それを飲んだ。
(それがあなたの当たり前なのでしょうね)
「美味しい……」
それからしばらく、女性のすすり泣く音と、女性の心の叫びが、小屋にあった。
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