第6話 人魚の絵

 水の企画展最終日。



 俺が、人魚の絵の回収にいくと、どこかで見覚えのある顔で奈々と似たようなオレンジを基調にしたネクタイをした制服の男が、俺の絵の前に座ってジッと絵を見ていた。



「いらっしゃいませ、なに、取りに来たの?」

「ああ、うん」

 閉店間際にいた客は、そいつだけで、少し冷たそうな芽依さんが俺に話しかけると、そいつは俺をじっと見た。


 芽依さんに会うのは、奈々を突き放して別れた日以来だった。きっと、泣いていた奈々を見て、お人好しな芽依さんのことだから俺に怒っているのかもしれない。


「……あの、望月 理月くんですよね? 島崎の、」


 立ち上がったそいつは、俺よりも高いが、おどおどした緊張した面持ちだった。

クリーンで爽やかそうな雰囲気を持つ、すらっとした細身の男だった。


「そう元カレ。何か用? 俺バイトの休憩中に来てるから話す時間そんな無いんだけど」

 俺はなるべく冷静を装いながら、奈々の知り合いの男が俺にわざわざ会いに来たことになんだかムカついていた。当然、そんな奴と話をする気になんてサラサラなれず、意地を張って、バイトの休憩中なんて、嘘までついた。

「島崎、大丈夫って無理してるんです。全然、そうじゃないのにきっと。……部外者の俺が言うの変ですけど、見てられないんです。一体どんな、話をしたんですか?

なんで、……その、島崎に何をしたんですか?」

 ああ、なんだコイツ奈々に片思いしてるのかもしれないと気づく。


「……本人が大丈夫っていうことは、俺には分かんない。君が対応してあげなよ」

「あなたじゃないと意味ない」

 急に、強く断言されて、思わず目を見開いてそいつを見てしまう。

 大人しそうと言うか、大人びた雰囲気があるのに、こんなに感情的に初対面の俺にこうやって言いに来るほど、奈々が好きなことが伝わってくる。

「それは、思い違い。俺には無理。部外者なんだろ? なら、帰れよ。店も閉店だし、俺は部外者のあんたに話したくないね全く」

 そう言って、強制的に俺はそいつを追い出そうとした。


「部外者でも、俺は島崎が無理してるのくらい分かります」

「だから、「あなたのこと、島崎は、『結婚する人』って言ったんです」

 もうおどおどと俺を強張って見つめていた、そいつには見えないくらい、真剣に俺を見つめていた。

「ここに、あなたに会うためにもう一度来たとき、電車であなたの話を聞きました。脈略のないあなたの話をしている島崎は、なんだか分かんないけど、すごく綺麗に見えた。会わなきゃいけないからって、ここでハッキリ言った島崎は、いつもよりかっこよかった。あなたを想うから、そうなるんだ。だから、だからその、」

「大丈夫と言わせてるのも俺だから俺が解決しろって?

君、詳しく聞いた? 俺と奈々がどんな話をしたか?

奈々から、俺に会えって催促されたか?


 ……何のわだかまりりもなく、別れる男女なんていない、未練があることなんて全然ある。

 奈々だってそんくらい分かってる、そんくらいのよくあることを辛さを強がってるだけだ。


 強がる奈々を君が見てられないからって、なんで俺は奈々を慰めるわけ。もう、閉店、さっさと帰れ」

 俺は、無性に嬉しい気持ちをどうにか隠して、男を何も言えなくさせるくらい強い早口で押し、帰らせた。

こういう俺みたいな無愛想な男に慣れてないのか、そいつは渋々、でも何の抵抗もせず仕方なさそうに、店から去っていった。



 

 俺のことを話す奈々を見たくなる。

どんな顔で、どんな風に、俺に会いたがってくれるんだろう。

 俺のほうが、ずっと強い気持ちで、奈々を好きだと思っていたから、男から聞く 


 奈々の話は、俺を無性に嬉しくさせ、そして俺を傷つけた。



「理月、諦めてたら、何も得られない大人になるよ」

 男が出ていき、洋楽のBGMを切ってシーンと静まり返った店内で、芽依さんが口を開いた。


「この絵を見れば、理月がどれだけ恋しくて会いたかったのかわかるよ。すごく綺麗だ。奈々子ちゃんでしょ? モデル」


 まだ飾られたままの人魚の絵。

 きっと芽依さんには、俺の誤魔化しも強がりも通じないと諦め、俺は素直に認め、首を縦に振った。

「……でも、俺は何も考えずにバカみたいに笑うアイツが好きなんで」


 自分が幸せになるよりも、幸せにしてあげたい。それがあの頃、何にもなくなる俺が、奈々に唯一できる選択肢だった。

「バカね、女の幸せを勝手に決めつけるのは、ダサい男がすることよ」

「芽依さんが言うと響きに重みがありますね」

 一緒に絵を外すのは、何度目だろう。


「……私ね、一度浮気したことあるの。」

「は、」

 それは、俺が知ってる芽依さんからは、信じられない言葉だった。

「信也、知ってるんしょう? 彼と何度かね。信也、遊び人というか気まぐれな人で、私もその一人だと思ってたから、ズルズル続いたけど。


 この人、私に興味ないんだなっていうことしか言わないからやめた。

 いつか、私のものになるっていう期待、やめたの。

 それで、きっぱり別れて、今の旦那と結婚する道を選んだ。」


「……まじか」

 俺は、信也と芽依さんの繋がりにも驚いたけれど、しっかり者で、堅実な芽依さんがそんな恋をしてきたこともギャップで、驚かされた。

 世の中の浮気を悪だとかそういう風にすべて否定するタイプでもないけれど、自分自身が浮気するなんてできない、と言いそうな人なのに。


「信也ってなんか私、初めて出会ったタイプの人だった。


だから、彼の世界に凄く惹かれてたから、そいうことになったときすごく嬉しかった。でも、いつも女性に無頓着で執着せず関係を持つ彼を見て、私だけの人にはならないんだって手に入らない人って諦めた。

 で、別れて、今の旦那との結婚式の二次会かな、信也が一回聞いてくれたことが、ずっと耳に残ってる。『芽依、あの頃さ、俺のとこ来る気あった?』って。


 もしあの頃、俺の来てよって言われたらどうしてたかな私って」

 懐かしむように、一つ一つの言葉を芽依さんは、ゆっくりと、噛みしめるように話した。


「ま、今はこの人と結婚してよかったって幸せて思ってるけど。でも、たしかにあの頃、浮気するくらい、信也に夢中な私が居たし、誰に何を言われてもいいから、信也に飛び込ませてくれる後押しが欲しかった。

 あの頃、何も伝えてくれないで、私をそばに置いていた無神経な信也と理月の行動そっくりよ。後悔とか後先考えずに、飛び込ませて、連れて行くくらいする勇気ないとダサいよ」

 ダサイとか、辛辣な責めの言葉は、それも図星で、俺は何も言えなかった。でも、俺なりに考えたことをこんな簡単に崩せなかった。

「さっきの男の子、カッコイイよね、あんたの何倍も。片思いなのに奈々子ちゃんのためにあんたに言いに来るなんて素敵ね」

 俺は絵を袋に入れながら、相変わらず、何も返す言葉が見つからず、黙り込んだ。


 信也と俺では、状況が違う、そんな言い訳をぐるぐる考え始める。でも、そんな愚図な俺を吹き飛ばすような声で、芽依さんは俺が目を背けるのを許さなかった。

「ちゃんと、奈々子ちゃんの考えてあげないなら、聞きに行きな。今すぐに

 理月の立場だとか、世界だとか、そんな考え捨てて、今すぐ会いに行くの!」

 頭の中に、その声は残って消えなかった。

 




 数年ぶりに訪れた平凡そうな住宅地の一角に急に現れる奈々の住む、低層型の高級マンション。

 俺はそれが見えるか見えないかの場所を行ったり、来たりしていた。見慣れないきれいな新築の家も1軒見つけて、あの頃との時間の変化を感じさせた。


 あんなに傷つけて、泣かして、そんな俺が、好きだから一緒にいる道を選ぼうなんて今更、ほんとに言っても良いんだろうか。

 というよりも、本当にそんな事すべきなのか。今のまま、何も変えないことこそやっぱり奈々が幸せにある方法じゃないのか。

  勝手決めないでなんて、信也のように俺でも思われてるのか。


 ぐるぐると答えのない問いを問いかけながら俺は、ぐるぐると同じ道を何度か歩きまわった。そうしているうちに、人気のない道に、聞き覚えのある声がだんだんと近づいてきた。楽しげに笑い合う男女の声。

 俺は、慌てて、奈々の家に向かうためには曲がらない道に入って、身を隠すように、俯いてゆっくりと歩いているふりをした。自分でも、かっこ悪すぎると思ったが、他に取るべく選択肢が見当たらなかった。


 高校生カップルは、そんな俺に気づきもせず、仲よさげに手をつないで歩いていく。


 俺は、その時、久しぶりに率直に奈々の隣にいたいと思った。

 でも、同時に、もうあの隣りにいる男がもう好きで、俺が今更言う言葉なんていらないんじゃないか、迷惑なんじゃないかと不安になる。

 でも、自分の立場とか将来のこと、今の生き方、色んな事を抜きにしたとき、素直隣りにいたい隠していた思いに気づいた。そう思ったら何をしに来たかは簡単だった。



 俺は、持っていた袋から人魚の絵を取り出し、後ろにボールペンで書き殴った。

 

 


 

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