第5話 世界の違い、

 夏に向かって、ジメジメとした蒸し暑さの感じが強くなってきつつ、どんよりとした雲が広がった月曜日だった。


 日曜日の部活の練習は、どこか無意識に成りがちで、練習終わりのラーメン屋もいかず、俺はずっと頭の隅に、島崎のこと、そして相沢や水川のことを思っていた。

 俺は怖がって、誰に対しても何のアクションを起こせないまま、日曜日を悶々と悩みながら過ごした。

 どんな会話や噂が立ってるか不安で仕方ないまま、気が立って少し早く着いた教室のドアを開けた。


 いつもと変わらないような空気感の教室だった。


 そして、いつもと何も変わらないような月曜日が始まった。ただ、考えすぎて不安で、あまり深く寝れず俺は、いつになく寝不足だった。相変わらず教室の中心にいる島崎に違和感を感じつつ、俺は変わらない月曜日を迎えた。


 そして、そのまま火曜日、水曜日と一週間が立った頃、俺達は微妙な空気感があるのかないのか、だいぶ元カレ望月との噂もなくなった。

 金曜日、水川と相沢、そして島崎と部活帰りに4人で久々に帰ることになった。

 それは、島崎発信の提案だった。

 

 たまたま、カギを返しに相沢と水川が居なくなり、俺は一週間ぶりに、島崎と二人になった。


 相変わらず、この一週間、周りから羨ましがられるような島崎と相沢は仲良しカップルのままだった。むしろ、元カレのことを乗り越えて一緒にいるかのように見える二人は、すごく素敵なカップル像になっていた。

「……あのさ、島崎、日曜日って、望月と会ったの?」


 あの土曜日以来、ずっと聞くに聞けず、でも、やっと二人きりになって聞けるチャンスに焦り、俺は少し早口になっていた。

「うん、会ったよ。言いたいことも全部言えたよ無事に」

 そんな俺とは違って、島崎はいつもと変わらない態度で、まるで、数学の答えを説明するときと一緒で、どうってことのない簡単な話に聞こえた。

「そっかなら良かった。でも、その」

「なのに、なんで相沢と付き合ってるのかって?」

 逆に島崎から質問され、たじろぐ。驚く俺に、島崎は、ニタニタと子供のような意地悪い顔をして、楽しんでいた。

「だーかーら、今日話そうと思って4人で、帰りたかったの」

 いつもと変わらない笑顔で、さっぱり答える島崎。


 俺はどんな事を話されるのか検討もつかないけど、重い話をされる空気感がない島崎に驚いていた。





 4人で学校近くの小さな公園で、それぞれジュースを買って、帰っていく他の奴らが遠目で俺らを見るのを感じつつ、下校する生徒が居なくなっていくのを待った。

 人気がなくなるまで、俺達は何事もなかったように、他愛のない話をしたり、バカな動画や写真を撮ったり、何事もなかったような穏やかな時間を過ごした。

 ひと仕切り遊んで、人が居なくなったのを感じるくらい暗くなり、蒸し暑さもなくなったころ、島崎が唐突に切り出した。

「ごめんね、今まで。3人にはすごく心配させたよねりっくんのことで」

「ううん、辛かったのはなこじゃん、気にしないでよ友達なんだから」

 きっと、水川は二人の事情を一番知っているからこそ、こんな風に再会する以前から心配していたんだと思う。

 釘を刺された勉強会の帰り道を思い出した。

「ありがとう。もちろん、涼も早川も」

 ブランコに座る相沢は、なにか言いたそうな真剣な顔で、ブランコの囲いに腰掛ける島崎を見つつ、でも何も言わないままだった。

「3人にはきちんと報告させてほしいの。私、あの絵を飾ってもらったカフェで、りっくんと再会して、すごく動揺した。また会えるなんて思っても見なかったから。それと同時に私ね、ずっと別れた理由とかりっくんのことをずっと曖昧なままの過去にしたいってきっと心のなかで想ってて、りっくんに会ったとき凄く怖かった。

 今まで、ずっといろんな事を知りたくなくて、りっくんを避けた。

 でも、みんなが心配してくれてるのも、自分が後悔してるのも分かってたから、日曜日に、あのカフェに、りっくんに会いに行ったの。ずっと、黙っててごめんね涼」

「そっか、いや、こうやって話してくれたから良かった」

 相沢は寂しそうに笑った。相沢は、あの日、再会した二人を見たからずっと振られるとでも思ってるのかもしれない。


 俺も、そうなるかもしれないと思ってしまっていたけど、先程の島崎との会話で、それはないのかもしれないと思うようになっていた。

「ちゃんと二人で話したよ、なんで別れるって選択したのか、今、どうしてるのか。でも、遅すぎた。あの頃、りっくんしか見えなかった私はもう居なくて、りっくんもそう。もうあの頃の私達は居ないことに気づいたの。変わったのお互い、だから、二人でちゃんと過去にケジメつけれたと思う。だから、もう心配しないで、大丈夫だよ」

 何の大丈夫なんだろう。


 俺は、大丈夫と笑う島崎が、ぜんぜん大丈夫には思えなかった。

 あの電車で淋しげに話していた島崎を、あのカフェで会わなきゃいけないと言った島崎は、全然違う、なにか諦めたようんじゃないかと思う大丈夫だった。


 いつもどおりの感じだけど、俺は信じられなかったし、絶対違う確信がなぜかあった。

「だから、別れないでほしい私と。わたし、りっくんより、涼がいいの。だめかな」

「え、……俺、絶対ふられるかと、」

「なんでよ、それはこっちだよ、こんなフラフラしてるみたいな彼女、嫌だったよね」

「あああとは二人でどーそ、先帰ろう、寛太」

 二人がイチャイチャし始めそうなそんな雰囲気にガラリと変わったのを見て、水川が俺を誘ってくれた。


 どうして、島崎は、なんて考えで俺は頭がいっぱいだった。

 何が変わって、どうやって、あの好きをなかったかのようにしてるんだろう。あの日、二人は、何を見て何を話したら、こんなことになってしまったんだ。

 相沢の友達として、良かったと思うべきなのに、俺は可笑しいと思ってしまった。

 島崎が、無理をしている。

 

 どうにかしないとそう掻き立てられる思いが、俺に、もう気づくべきだと教える。


「ありがとね、早川!恵那、また明日ね」

 二人を公園に残し、水川と帰りながら、俺は、決めた。

 水川とは、付き合えない。


 なぜなら、島崎奈々子に俺は、もうとっくに恋に落ちていたから。

 だからこそ、大丈夫と虚勢を張る彼女を救いたかった。












 日曜日の夕方、絵を持って、芽依さんのカフェに行くと、信じられない人が、真ん中のテーブルで携帯をいじっていた。

 あの頃と殆ど変わらない身長で、今日は可愛いオレンジ色を基調としたリボンの制服ではなく、シンプルだけど光沢感のある白いTシャツを着て、あの頃より大人っぽいけれど、大きな二重で、ぷっくりした唇が可愛い印象のままの奈々がいた。


「いらっしゃい、奥で、話してきたら?」

 芽依さんが、ぼーと入口で立ちすくむ俺に、にこりといつもと変わらない温かい雰囲気で、話しかけてきた。

「……奈々、奥で話す?」

 あの日、あんな風に再会するなんて、考えてもなかった。

 同じ東京の学校にいても、俺と奈々は、違う世界を生きていて、奈々にまた会えるなんて思っても見なかった。

 別れて、転校して、もう交わることのない人だと、諦めて手放さなきゃいけない人だと思っていたのに。

 こくんと頷いた奈々が、どうしてここに来たのか不思議だった。

 

 もう奈々は、俺に会いたくないと思っていた。カッコイイ彼氏も居て、いい感じの友達も居て、好きな絵を描いて。あの頃と変わらない充実した世界を生きる奈々にとって、俺は嫌な過去でしか無いんだと思ったから。

 なのに、なぜか彼女は俺に、会いにきた。


 

 お店の奥のダンボールが積まれた事務所のスペースには、休憩用のソファーがあって、そこに二人で並んで座った。

「今日、会いに来ました。今日来ることを教えてもらって。ごめんね、突然」

 緊張すると奈々は時々、敬語口調になるときがあって、それを思い出した。

「そう」

「それ、絵?」

 右手に持っていたのは、今回の展示会のテーマで、頼まれて描いてきた水の絵だった。

「ああ、そうだよ」

「見ても良い?」

「ん。」

 俺の絵を見る奈々を見るのは、2年ぶりだった。


 じっと俺の絵を見る奈々は、あの頃と変わらない綺麗さがあった。

「人魚?」

「そう、溺れた人魚を描いた」

 それは、あの日泣いた奈々を描いた絵だった。

 俺は、あの日の奈々を一生忘れないと思う。

 別れようと言ったあの日よりも、俺を見る戸惑いの目と、相変わらずなブサイクな泣き方をする奈々のほうが、印象的だった。

「これ、……もしかして私、ですか?」

「……そう、お前。あの日、久々に俺に会って、溺れてるみたいに泣いてた。ガキのころと変わらない下手くそな泣き方で。どうして、泣いて、俺に怒ってんのか、呆れてんのか、……そんなお前を描きたくなったから」

 苦悩と葛藤を暗い青やグレー、紫で描いた溺れる人魚の絵。俺は、それを奈々と再会した次の日にここで眺めた、奈々の絵によって描くことに決めた。

 

 綺麗な奈々の絵とは、正反対の暗い淀んだ感情を描きたかった。


「私、傷ついたよ、何にも言わないで急に別れようっなんて言われて。他校の彼女の噂、その次の日に聞かされてムカついたし情けなかったし、もう意味わかんなかった。

 でも、りっくんも傷ついてたよね、私がさ、すぐ他の人と見せつけるように付き合って、りっくんから逃げた」

 奈々は、俺を責めながら、ずっと自分を責めていたのかもしれない。


「昔、奈々、親父と離婚する母親を見てに家出してきたの覚えてる?」

「……うん、嫌だったから、りっくんの家でデモ活動してやろうと思って」

「俺の大事にしてたCD踏んで壊したときも秘密にしたこともあった。自分じゃ抱えきれないと思うとお前、いつも逃げてただろ。

 だから、俺の人生なんてお前逃げたくなるって思ったし、重すぎると思ったんだ」

 俺から見た奈々は、弱虫な女の子だった。いつも周りに人が入る分、人が居なくなることにも慣れてたからこそ、怖がりだった。


 どんなことで人を傷つけて、裏切られるかな、些細なことにも気を使って、慎重な分、怖くなるとすぐ逃げ出したりもしたそんな弱虫な守ってあげなきゃいけない大切な女の子だった。


「でも、一緒に抱えたかったよ。私にとって大切な人だもん、おばさんもりっくんも。逃げたくなっても逃げないように、二人ためなら向き合えたと思う。そんな大切なこと言わないで、去ってひどいよ」

 あの頃の俺が聞いたら飛び上がるくらい嬉しい言葉を吐きながら、泣き出した奈々は、俺をバカバカと叩きながら泣いた。

 あのブサイクな泣き方は、すごく困る。


 俺はそっと叩く手を掴んで、抱き寄せた。

 奈々のシャンプーの匂い、長い髪、何度も夢で見た彼女が、俺のこんな側にいることが無性に嬉しかった。



 でも、俺は、彼女を選べない。


 夢と一緒で、手に入れちゃいけないし、その権利がない。



「奈々、俺、今どこにいると思う?」



「ん?」


「かあさんとあの頃、付き合ってた人の家」

「……。」

「でも、向こうは違う人もう結婚してさ、子供もできて、俺、邪魔なんだ。優しい家族だから、俺のこと温かく迎えてはくれてるけど、ずっとお世話になるわけにはいかない。


 だから、大学には通わないし、今も高校通わせてもらってるけど、バイト三昧で青春も金もない。もう世界が違うよ、お前とは同じ景色を見て生きていけない」


 母親が余命半年と告げられたとき、俺は一人でどうやって生きていくのか、不安で孤独だった。

 同時に奈々の事を思って、考えた。大好きで、ずっと側で守ってきたはずの奈々に、慰めてほしかったし、甘えたかった反面、俺の人生に巻き込みたくないと思った。

 でも、もう今はあの頃と同じに隣で、同じ世界を見ることはできない。


「りっくん?」


「奈々、お前は美人で、人並みかそれ以上の幸せや憧れられる生活を手にできるチャンスたくさんあるだろ、だからわざわざ俺なんて選ぶな」

「……りっくん、わたし今日、……っちゃんと」

 俺は泣きながら話す奈々の涙を拭うように、ほっぺにそっとキスをした。

「好きだ。だから、ちゃんと幸せになれる場所にいてよ、奈々」


 時が止まったような、信じられないという顔で奈々は、俺を見ていた。

 それは、何ない俺の小さな願いだった。


「なんでそんな事言うの、わたし、わたしだって、「お願いだから、ここにくる必要ない。奈々、それにお前は後悔してる過去をやり直したいって縋ってるだけだ。溺れて甘えんな、そんな過去に囚われるな」

 俺があの頃、どんな気持ちでお前を手放したのか、奈々には理解できない。

 そして、今の俺の気持ちも。


「なんで、そんな事言うの、待ってよ」

 出ていこうとする俺のシャツを掴む細い白い手。

「奈々、俺にもお前にも新しい相手がいるだろ。そいつちゃんと大切にしてやれ」

 とどめを刺すように、俺はあえてキツイ言葉を選んだ。

奈々があっという言葉とともに涙がこぼれていく、手を緩めた隙に、俺はじゃあなと立ち去った。


 再会したあの日、困惑したままの奈々を置いてけぼりにしたままのほうが、よっぽどマシな別れ方だったかもしれない。


 もう、二度とこんな事を言うのも会うのも、嫌になるのに、触れた手や奈々の体温、綺麗なあの横顔が、たまらなく恋しかった。




「もういいの? 理月」

 カウンターからすっと顔を出した芽依さんは、俺を心配そうな目で、俺に声をかけた。

「奈々に、温かい紅茶でも入れたあげて、今度来たとき払うから」

「ちょっと、理月?」

 俺は、大切な大好きな女の子を守れない。不甲斐なくて、痛くて、傷ついて、傷つけて、上手くいかないことばかりだと思ってしまう。

 俺は早くこの場から、去りたくて、足早に芽依さんとも目を合わせようともせず、店を出た。




 逃げたかったのは奈々じゃなくて、俺。

 ナイフみたいに、あいつを傷つけるのは、結局、俺だった。




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