Episode09/逃避

 目が覚めて早速、あの得体の知れない奇妙な存在について思考を巡らせる。

 なぜ、単なる夢の存在に僕は怯えなければならないんだ。


「瑠奈……おはよう」

「……」


 瑠奈に挨拶するも、返事はない。

 別に眠っているわけでもなく、神妙な顔つきでこちらをジッと見つめていた。


「どうしたの、瑠奈? なんか珍しく真面目な顔して」

「砂風……あのさ?」瑠奈は一呼吸置くとつづけた。「いったい、なにをしたの?」

「へ? いったいどういう意味?」


 なんのことを言っているのか理解に及ばず、質問に質問で返してしまった。

 瑠奈は一層顔つきを険しくすると、僕の手のひらに自身の手を乗せる。


「?」

「砂風さ……おかしいと思わない?」

「なにが?」


 さっぱり理解できない。瑠奈が僕になにを言いたいのかまるでわからない。


「これ」僕の腕を握ると、瑠奈は手を上下にぶんぶん振った。「気になる点あるでしょ?」

「え……」

「あのね……ここは現実物質界? それとも夢の世界幽界?」

「んん? そりゃもちろん、幽体離脱から覚めたんだから現実世界にーー」


 そこまで言いかけ、ようやく現在置かれている事態に気づいた。

 ここが現実であるなら、瑠奈に触れることも、瑠奈から触れられることもできないはずだ。

 なのに、現に今、瑠奈は僕の腕を握り締めブンブンと上下に振っている。


「少し気になっていたんだけどさ? 砂風は今回の離脱、いつから続いていると認識してた?」

「え……えっと、たこ焼き屋の店主に潰されたあと一旦目が覚めて、そこからちょっとだけ現実をうろうろしてからすぐに横になって幽体離脱したから、長期離脱の練習としてゲームセンターに向かうことにしたときから、あの包帯人間に追いかけられ逃げて自宅で横になるまでの期間、離脱していたんでしょ?」


 とはいえ、今は布団に入り仰向けで寝てまぶたを閉じたにも関わらず離脱がつづいているということは、現実に帰還できていないことになる。

 つまり、ゲームセンターに向かってショッピングモールでブレスレットを購入し、包帯人間に恐怖して自宅に帰って寝たつもりになり起きた今まで離脱していることになる。

 かつてないほどの長期離脱を無自覚ながら成功していたということになる。

 うれしいのやら、複雑なのやら……奇妙な感情が心を支配する。


「ダウト」

「え?」


 僕の答えが……僕の認識がそもそも間違いだとでもいうのだろうか?


「わたしの認識だと、砂風が空を飛ぶのに失敗して、見かねたわたしがコツを教えて飛行に初成功した地点が今回の幽体離脱の開始時点」

「え、ちょっと待って。あのあと僕は蛸に潰されて気を失って現実に返されたんじゃ……」

「やっぱり……なんか会話してて違和感あったんだよね。なにか噛み合わないなって」長期離脱できてラッキーな気分の僕とは裏腹に、瑠奈はいたって真面目な顔つきで話を進めた。「砂風が蛸に潰されたあと、わたしが蛸を討伐して、わざわざ砂風を自宅の布団まで運んだんだよ。で、ちょうどその直後に再び砂風は目を覚ました」


 おかしい。

 よくよく考えてみれば、こちらの僕に意識がなくなった時点で僕の幽体は肉体に引き寄せられ、現実の体に強制帰還させられるはずだ。


『わざわざ毎回瑠奈が部屋まで連れてきてくれているのだろうか?』

 過去に気楽に考えたそれをすぐさま否定する。瑠奈がそんな面倒くさいこと毎度毎度やるわけがないだろう。


 そもそも、瑠奈はタルパであるため、僕の意識のある世界の外には存在できない。幽体離脱している間は、こちらに幽体としての僕がいるからこそ瑠奈も同時に幽体として存在するのを許容されているのだ。

 現実に僕が戻った場合、僕がいないこちらの世界に瑠奈は存在できなくなるため、自動的に瑠奈も現実に戻されることになる。


「砂風が潰されたのにわたしが現実に引っ張られないこと自体がおかしいんだよ。もしかしたら砂風の意識がまだ幽界にあるのかなーって思ったから、念のために砂風助けて、現実に戻れるまで自宅で砂風を安静にしておいたんだよね。なのに、だよ? 砂風は、あたかも現実から幽体離脱して来ました~なんて風貌で目を覚ますもんだから驚いちゃったよ」


 瑠奈に言われた言葉を思い返す。


『珍しいじゃん。ここまで運んでくるの大変だったんだから』


『まだまだ離脱つづきそうだし、次はどうするの?』


『長く離脱できるようになったんだし、少し遠めのデパートやゲームセンターに行ってみようよ』


 どれもこれも、あの場面で離脱が途切れていたら言わないような台詞ばかりじゃないか。


「つまり、まとめるとーー砂風が初飛行に成功する、たこ焼き屋で蛸に潰される、幽界の自宅で目覚める、再び外出してゲーセンを見回る、ショッピングモールで金銭を創造してブレスレットを購入する、砂風が急に血相変えて走り出し急いで帰宅する、布団で横になり寝る姿勢を取る、再び幽界の布団で目覚めるーーまでの一連の流れを、すべて一度の離脱で経験したってことになるんだよね」


 そんなバカな……。

 あんな激しい攻防を繰り広げたり、空を飛んだり、緊張したり、恐怖したり、焦って全速力で走ったり、横になり目を瞑ったりなど、覚醒して幽体離脱が終わる要素が満載な行動ばかりしたというのに、まだあれから一度も目覚めていないというのか……?

 嬉しさを恐怖が上回る。

 もう二度と、現実には戻れないのではないか、と。

 いや、でも、もしもこのまま目覚めないで暮らすことになってもいいじゃないか。隣には最愛の相棒、タルパでありながら触れることが可能な瑠奈がいるし、夢だからニートをしていても誰からも文句を言われない。考え方を変えてみれば、案外素敵な世界かもしれない。


「それはぜったいダメ!」


 瑠奈は僕の思考を読んで考えを強く否定した。


「現実の砂風が、もしも目覚めずに植物人間になり、死んでしまったらどうなると思う? この世界は崩落し始めるよ」

「世界が……崩壊する……?」


 それは嫌だ。せっかく、こんな素晴らしい世界なのに。


「ちょっと待ってよ。そうは言っても、僕は現実でふらふらたこ焼きを買ったりした記憶があるし、布団の隣では瑠奈が寝ていたよ?」

「その現実、なんか普段と違わなかった。ふわふわしてたり、夢見心地だったり」

「……あっ」


 そう言われてみると、たしかに現実感が薄かった気がする。

 なんだか記憶にモヤがかかったかのようにボンヤリしているし、現実でなにをしていたのか、深く思い出せそうにない。


「やっぱり……砂風は多分、いや、確実に」瑠奈は言の葉を紡ぐ。「あれから一度も現実で目を覚ましていない」

「……でも、どうして?」

「わたしは砂風に付随するタルパ、幽体存在。だから砂風が現実でなにかしていたかすべてを把握しているわけじゃない。だから教えて! あのとき、砂風に飛行を教えた日の直前、離脱するまえになにをしたのかーーを!?」


 バシャーンーーと、窓ガラスが粉々に砕け散り、瑠奈と僕を破片が包み込む。


 瑠奈は咄嗟に辺りの空気を集めて暴風に変え、僕共々体に当たらないよう破片を弾き飛ばした。


「お、おまえは……」


 間違いない。

 あのとき、あのショッピングモールにいたとき、離れた位置からこちらを指差していた存在ーー包帯を全身に巻き付け目元と口以外なにも見えない人物が、割れて空洞となった窓の外に佇んでいた。

 僕のことを指差しながら、包帯人間は嗤っていた。

 笑い声を聞くかぎり、どうやら男性のようだ。背丈は自分と同じぐらいの、笑みを口元に浮かべた男性。

 包帯男は素早く僕に歩み寄ると、咄嗟に首もとを片手で掴み喉を絞める。

 る、瑠奈……たすけて……。


「このっ! わたしは男が大嫌いだから手加減しないからね!?」


 瑠奈はとげのある言い方で包帯男に啖呵を切り、手のひらを真っ直ぐ向ける。周囲の風が瑠奈の手のひらに一瞬で凝縮。それをそのまま威勢良く包帯男に放つ。

 包帯男に風弾が命中し横に飛ばされそうになったおかげで、一寸だけ首を絞める力が弱まる。僕はなんとかその隙に抜け出すことに成功した。


「砂風、なにボサッとしてるの!? 早くどっかに逃げよ!」

「う、うん……」

「ほら、早く。こういうときくらいきちんと空くらい飛べるでしょ! いくよ!」


 瑠奈は僕に発破をかけると、包帯男に再度、強風の塊を放つ。それに激突した包帯男は仰向けによろけた。倒れはしなかったが、その隙に、包帯男の脇を通り抜け、二人して飛翔。隣のマンションの屋上まで飛び移ることに成功した。


「とにかく、もう自宅は危ないから、別の離れた拠点を探そ。あいつがなんなのかは知らないけど、とにかく危険なやつだってことくらい、わたしにでもわかるから」

「安全な場所……」


 包帯男は体勢を立て直すと、人差し指を僕に向けながら目線もこちらに向けた。

 たしかに……なぜだろう。

 あれには、あのたこ焼き屋の蛸などとは比べ物にならない。いや、完全別種の畏怖を抱いてしまう。生理的な嫌悪感が湧いてくるのだ。


「んー、迷ってる暇はないし、とりあえずとにかく南へ進んで宿の代わりになる場所探すことにしよ? あいつはマンションの屋上まで飛んでこれないのか、さっきから」ジーっとこちらを見つめる包帯男を横目でチラリと見た。「あのまま向かってこないし。でも、まあ、ここは幽界」


 なにが起きても不思議ではない世界。いつあいつが空を飛べるようになるかも不明瞭なのだ。


「マンションやアパート、ビルとかの建物を飛びついで向かうってことでおっけぃ?」

「え、あ、うん……」

「大丈夫。飛べなくなったら、少しならわたしがお姫様抱っこで運んであげるからさ」


 話し合いは決し、僕と瑠奈は包帯男から逃れるために、南へと向かって飛んでいくことにしたのであった。

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