Episode08/恐怖

 相も変わらず壁を触りながら、少しだけ離れた位置にある小型のショッピングモールに僕と瑠奈は辿り着いた。

 ふとした拍子に壁から手を離したまま忘れたこともあったが、今日は調子が良いらしく、目覚めの前兆が来ることはない。

 これなら、もしかしたら幽体離脱の個人的最長滞在時間に到達できるかもしれない。

 ショッピングモールも現実とは異なり、倍以上の広さを誇っていた。


「見てみて。これ綺麗じゃない?」

「うん? ……おお」


 瑠奈が肩をツンツンと叩いてきて、指差した方に顔を向けた。

 そのテナント店には、美しいアクセサリーや貝殻が並べられていた。

 そこのひとつのブレスレットを手に取る。透き通る緑を基調にした色彩であり、きらきらした異質な輝きを放っている。たしかに緑は緑なのだが、現実ではお目にかかれないような不思議な魅力が、このブレスレットの欠片ひとつひとつに込められている。

 ……なぜその隣にハマグリの大きな貝殻が並べてあるのかは横に置いておいて、これほど素晴らしいブレスレット、ついつい欲しくなってしまう。


「そちらをお買い上げになられますか?」


 テナントの奥から美人のお姉さんが現れ僕に問う。

 でも……たこ焼きの件でもそうだったように、僕には現在手持ちがない。


「ねえ、ちょっと……砂風」瑠奈が耳元に口を近づけ小声で喋る。「お金を創造して、それで支払えばいいんじゃない? わたし、アレほしい」


 なるほど。その手があったか。

 瑠奈も欲しがっているし……。

 でも、今の僕に金銭の創造などできるだろうか?


「あの……このお値段て、何円になりますか?」


 ひとまず値段を訊くことにした。


「本来なら十万円のところ、おひとつ五万円となっております。今が買い時ですよ?」


 じゅ……十万円!?

 そんな大金、現実ですらそうそう支払えない。

 しかし……。


「んんー」


 瑠奈は物欲しそうにブレスレットを見つめ目を離さない。

 仕方ない。やれるだけやってみよう。


 僕は手をポケットの中に入れ、一万円札十枚を想像する。ここには札束が入っている。札を摘まむ感触を思い出せ、札の触り心地を想起しろ、一万円札の絵柄を思い描け、札の独特の匂いをーーここには、確かに、一万円札が、十枚ある!

 僕は紙幣を掴む感触が現れたのを機に、ポケットから手を取り出した。

 そこには、少し現実の一万円札とは絵柄やサイズが異なるものの、たしかに万札が十枚握られていた。


「お買い上げになられるんですね?」

「あ、は、はい……」


 僕は緊張しながら偽札よりも不出来な万札を店員に渡す。


「一、二……十。はい、承りました。こちら、グリーンライトブレスレットおふたつです」


 幸いにも、店員はその紙幣で納得したのか、僕に二つのブレスレットを差し出した。


「瑠奈。はい、これ」


 ひとつは瑠奈に手渡した。


「わーい、ありがと。これがはじめてだよ。砂風からプレゼントを貰ったの」


 子どもみたいに無邪気にはしゃぐ瑠奈を見て、なんともいえない気持ちになる。

 どうせここは夢の世界。いくら幽界だなんだといっても、現実に持っていけるわけじゃない。

 だが、この瑠奈の喜びよう。なんだろう? こっちまで嬉しくなってくる。

 無理してチャレンジした甲斐があった。

 そう思えた。


 それにしても……ショッピングモールのこのテナントに入ってからというもの、しばらく壁や床、塀を触っていない。

 以前は、なにかしらこの世界の物に触れていないとこんなに長く居られなかったはずなのに、今日はどうしてこんなに長く幽体離脱が終わらないんだろう?

 嬉しくないといえば嘘になる。

 瑠奈をチラリと横目で見る。

 早速ブレスレットを手首に嵌め込み、嬉しそうに笑顔で眺めている。


 現実での僕は、ニートで日々堕落した日常を暮らしている生きる価値のない、存在意義の見いだせないダメな人生。

 それに対して、こちらの世界では、かわいいーーもっといえば人生を捧げられるほど好みのタイプの女の子と仲良く過ごす素晴らしい人生。いや、夢生か?

 たしかに現実でも瑠奈と共に暮らしているが、現実では、瑠奈は他人からは見えないし、触れることもできない。今しがた話しかけてきた店員みたく二人として扱ってはもらえない。

 幽体離脱後のーー幽界での瑠奈は、他人からも目視可能で、なおかつ、瑠奈から触れてくれることもある。……こちらから触れようとすると避けられるのが難点だけど……。


 いっそ、この世界に永住したいくらいだ。


「それはダメだよ」と、瑠奈が思考に口を挟んだ。「現実の砂風が死んだら、この世界も崩壊するし、わたしも存在できなくなるから。わたしが存在していられるのは、唯一わたしを認識できる砂風が、わたしを認識して存在するのを許してくれているからなんだし」


 ……この世界を維持するには、現実でも生きていかなくてはならない。

 その現実が、僕には重くのし掛かる。

 ふと、ショッピングモールの遠く離れた場所から視線を感じた。

 自然と振り向くと、そこには異質な人物? なのかわからない存在が、こちらを指差して佇んでいた。


「どったの砂風?」

「……な」


 なぜだろう?

 ソレを見た瞬間、背筋に寒気が走った。

 よく見ればわかる。ソレは真っ白い物。

 全身に包帯をぐるぐる巻きにして、目元以外素肌を見せないほど包帯を巻きに巻いた包帯人間だということに。


 それは遠く離れているというのに、ハッキリと僕の瞳に映る。

 やがて、それは僕の方を指差したまま、ゆっくりと歩を進めた。

 ゾッとした。

 ただならぬ気配を察した僕は、瑠奈の手を引き包帯人間の正反対へ向かって駆け出した。


「ちょっと!? どしたのいきなり?」

「いいから! あれはいけないものだ!」


 僕は瑠奈を連れて走った。瑠奈もしぶしぶ僕に付き合い走った。

 とにかく安全な場所へ。それなら自宅しかあるまい!

 僕は走った。走った。走った。

 現実では非力で体力もない僕だが、今は幽体。現実の体力は関係ない。


 走った。

 走った。

 走って走り抜いた。


 ようやく自宅まで到着した僕は、急いで玄関を開け鍵を閉めた。


「ちょっとちょっと? なにか説明くらいしてくれてもいいじゃん。なんなのさ、せっかく長期離脱できてるのに」

「ごめん……でも、変な奴がいて……。ごめん、今日は疲れたから幽体離脱はいったんおしまいにする」

「あ、ちょっと!」


 正体のわからぬ恐怖に怯え、僕は自室の布団に潜った。

 幽体離脱とは一般的に知られているようなものとは違い、肉体が布団に眠っているわけではない。だから肉体に戻れば幽体離脱を終えられるというわけではない。

 しかし、大抵の場合、幽体離脱した状態で横になり目を閉じしばらくすると、意識は夢に入るか、覚醒して目が覚めるようになっている。

 経験上それを知っていた僕は、瑠奈に詳しい事情を説明するまでもなくまぶたを閉じた。


 ごめん、瑠奈。

 詳しくは、明日の朝、現実で説明するから……。

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