自分の身は自分で守らなければいけない(終)
大変さを補いあうFとIの存在は精神的にも楽なものだった。
如何にさぼろうと考えている男の事など忘れて、互いに助け合いながらバイトに入る。それも会話もできるとなれば何とか乗り切ることが出来るようなそんな気がしてくる。
繁盛店でたたき上げられた、私を含めた3人は、他の店に入った時のバイトよりも効率が良く、何より会話ができるというのが私にとって楽しかった。
その日はIさんと同じシフトの日だった、Iさんは蔵庫の飲み物が減っているからと補充へと向かった。
店には客も少なく、今行くしかないだろうなというタイミング、そんなとき一人の老婆がレジのカウンターまでやってきた。
「いらっしゃいませ」
私が声をかけると、その老婆はカウンターを強い力で叩いた。
いきなりの奇行にびっくりして、心臓が跳ね上がるかと思った。
その手には商品も何も持っていない、一体どうしたんだろうかと思っていると。
「あんたが、家風ってやつやね」
そんなことを言い出した。
「あ、はい、そうですが、なんでしょうか」
名指しで呼ばれるのはその半年間一度も無かったことで、実のところクレームも受けたことがなかったのが少し自慢でもあった。
「あたしのCにいちゃもんつけたのあんたやね」
背筋に寒気が走り、一瞬でその正体を悟った。
だが心の中では、いやそんなことがあるわけがないと考え直そうとした、だけど他の可能性は見つからない。
その老婆は間違いなく、Cの母親だった。
40くらいのおっさんの母親が、同じバイトにさぼりを報告されたら、店にやってきて文句を言ってきたのだ。
自分の息子可愛さに店にまで押しかけて私に文句を言ってくるのだ、そこで感じる感情は恐怖以外の何物でもない。
鳥肌が止まらない、気持ち悪さもこみあげてくる。
「あんたなんかね、バイト続けられんようにしてやるけんね」
その言葉を聞いて確信した、ああ、こいつら間違いなく親子だと。
「覚えときなさいよ」
私が恐怖に怯え、なにも言えない事を思い知らしめたとでも勘違いしたのか、満足そうな顔をして、そんな捨て台詞を吐き捨ててから老婆は店を出ていった。
自分が異常者だとみられているとは夢にも思っていないようだった。
ちょうど冷蔵庫から戻ってきたIさんはどうやら一部始終を見ていたようだった。
「あれ、なんですか」
普段の丁寧な口調が消えていた、流石のIも動揺していたのだろう。
「怖すぎだろ、あれCの母親だよ間違いなく、うちのCに嫌がらせしたわね―とか言ってきたんだが」
「うわ、きっつ」
以前Cに脅迫されたこともIには話をしてあった、してなくても噂になっていたらしいが、直に聞いているIは恐らく一番事情が分かっている、それも店長よりも。
「え、だってあれ家風さん何も悪くないってわかりましたよね」
「うん、でもあの家族はそれが理解できないらしい」
平気な風を装って話をしていたが、内心私は震えあがっていた。
脅迫されていることに震えていたのではない、理解できない生き物に、自分の常識が通じない埒外の存在に狙われたのだという事実に震えていた。
私はその後、バイト中だったがすぐさま店長に電話をした、すると店長のDはすぐに向かうと電話で残し、店にやってきた。
やってきたDに向かって、Cの母親が来て脅迫していったことを話をする。大半の事は我慢してきた私でも流石に限界を感じていた。
そもそも今回は自分の世界にいなかった危険生物に命を狙われているようなものなのだ、我慢とかどうとかそういった問題ですらなかった。
「店長、いくら何でも常識知らず過ぎますCもその家族も、流石にクビにしていいでしょあれは」
店の経営に文句を言うなんてと思われそうだとは思ったが、暴力団関係を匂わせて脅迫する店員に、店までやってきて更に脅すその母親。
そんな奴が働いているコンビニでバイトなんかできるものかという考えでもあった。
そんな存在がなにより怖いものに見えていた。恐怖は冷静さと平常心を失わせていた。
いつあの扉からまたあいつらが来るだろうか、そう思うと怖くてしょうがなかった。
その日私は扉が開くたびにびくびくしていた。
それに外に出たときに車の陰に隠れているかもしれない、そして何かされてもおかしくない、彼らは人間社会の外の生き物なのだと思うと安心などできなかった。
「分かりました、しっかり言いつけておきますので家風さんもあんまり気にしないでください」
「は」
私はその言葉の意味が最初分からなかった、徐々にかみ砕いて、言葉の意味を考えていくと、つまり辞めさせることも無ければ何の解決もしようとしないということだと分かった。
「次こんなことがあったら警察呼んでもいいですか」
私はそもそも警察を呼ぶ段階はとうに過ぎていたと思ったが、いくら何でもコンビニで警察を呼ぶぞと言われれば、多少は事の重大さが分かってもらえるだろうと考えていたのだ。出禁くらいはされてもおかしくないことをやっているのだと分かってもらうために。
「はい、どうぞ呼んでください」
「あ」
問題は解決しようとしない、かといって自分で改善しようともしない。
言って聞くような相手なら店にまで来て脅していかない、そんなのは高校生だって理解できることだ。
時間が過ぎれば喉元さめるとでも思っているのか、私はずっと怯えながらバイトに入らなければいけないのか。
私はとうとうキレた。
「なあ、いい加減にしろよ、んななあなあで話してさあ、こっちはヤクザの関係者がどうとか言って脅迫されてんだよ、しかもその母親まで出てくんだぞ、怖すぎるに決まってんだろ」
バックヤードから店中に聞こえるくらいの声量でしゃべっていた。むしろ客にも聞こえろと考えているくらい大声を出していた。意外と冷静だった。
「大体あんたなんだよ、調整ってなんだよ、仲直りってなんだよ、全然終わってねえじゃねえか、あの時だってCと同じ空間に居たくないって俺言ったよな、なにが仲直りの握手だよ、なあ、俺何悪いことしたか言ってみろよ」
「いえ、ありません、けど」
「けどってなんだよ、悪いこと何もしてねえのになんで仲直りなんだよ、こっちが一方的に謝罪される側だろ、あんたそれでも大人か」
「は、はい」
勢いに押されるがままに頷いているのはわかった、私はキレても意外と冷静だった。
「チゲえよあんたどう見ても大人じゃねえから、果たすべき責任も果たせないで大人名乗ってんじゃねえ」
「そ、そうですか」
またうすら寒い愛想笑いを浮かべていた。私を見下しているそんな愛想笑いが、これは何一つわかっていないなという確信に変わった。
「じゃあどうするかわかってんだよな、これから店長がすること言ってみてくださいよほら」
「えっと、Dと、その家族に注意をする」
従業員を守ってくれる責任者は目の前にいなかった。
「んなわけねえだろ、こちとら脅迫されてんだよ、びくびくしながらコンビニバイトし続けろっていうんかなあ、俺がまだ学生だからって舐めすぎじゃねえかあんたは。俺なら間違いなくクビにして警察にも通報するんだよ、じゃなきゃこのコンビニ営業停止させられるからな、意味わかってねえんだろどういうことか」
「そうですか」
分かっていなかった、語尾を上げて応えるその様子が、何もわかっていないガキがと内心で見下しているのが手に取る様にわかる。
そして会話が出来ない男がここにもいたとようやく気づいた、むしろ気づくのが遅すぎた。
私は制服を脱ぎ捨てて床にたたきつけた。
「本日付で辞めさせていただきます」
これ以上ここに居れば殺されると思った、それは居酒屋バイトで感じたものと似たようなものだが、肌で感じるひりつく感覚は、こっちの方が強烈なものがあった。
何しろ言葉にして直に伝えられているのだから。
「え、それは、困ります」
へらへら笑っていた顔が一瞬で変わった、それまで本気で聞いていなかったのが更にわかる様子だった、人の作った表情なんてこんな簡単に剥がせるものなんだなと思った。
店長が困るのはわかり切っていた、なにしろ週5くらい私がバイトの捕まりにくい夕方の時間を、向こう一か月は担当していたからだ。
その穴を埋めるのは容易な事ではないだろう、もし捕まらない場合は店長が入ることになる。
人手不足であわあわしている様子を頭に浮かべてみると、少しだけ面白かった。今まで人に押し付けてきたものをそっくりそのまま返せるのだ、これほど愉快なものがあるだろうかと。
自分の身を守る為なのは第一の理由だが、第二には困らせるために辞めているのだ。その表情が変わっただけでもだいぶ満足だった。
「はぁ、困るじゃねえんだよ、こちとらだいぶ譲歩してたんだよ、普通警察呼んでもおかしくないようなことがあっても我慢して働いてたんだよ、そして改善してもらえないかと伺い立てたら聞く耳すら持ってねえ、こんなのやってられるかよ最低時給だし」
本音も少し飛び出していた、コンビニバイトを最低時給で働かせるのは狂っているとも思っていた。
「今日付けだから今日は働く、でももう二度とあんたのところでは働かない、本部にも今まであったこと全部報告させてもらう、いままでお世話様でした」
吐き捨てるようにそう言いのける。
「それは、ちょっと」
本部に連絡される事が分かった瞬間に更に困ったような顔をしていた。一人のバイトが辞めてもそこまで大したこと無いと思っていたのかもしれない。だが本部に連絡されることはフランチャイズにとって致命傷になりかねない。
だからこう付け加えたのだ。
「ちょっとじゃねえんだよ、こっちから何度も提案もしてきたし、譲歩もしてんだよ、ずっとこっちがおとなしくされるがままだと思ってんのか、なめんのも大概にしろよあんた」
敬意も尊重も微塵も残っていなかった、私の中のやばい奴のくくりに店長が入った。もうそれだけで働くのは無理だった。
「えっと、おつかれ、さまです」
カウンターに戻ると、店中に聞こえる大声で叫んでいたのでIさんもその事情は分かっていたようだった。
「そういうわけで、突然ですが最後のバイトとなりました、どうぞよろしくお願いします」
「まあ、流石に無理ですよね続けるのは」
常識人が一人いるだけでだいぶ私のメンタルはましになり、冷静さを取り戻せていた。
もしかするとすべて言いたいことを吐き出したからでもあったか。
「ごめんね、Iさん全然関係ないのにこんな雰囲気にしちゃって」
「いえいえ、しょうがないですよそんなことがあったんじゃ」
最後のバイトをしている最中だった、店舗ごとにレポート帳があるのだが、その中に一枚の紙が挟まっていた。
それを開いて読んでみると、それが客からのクレームだということが分かった。
だがどう見てもおかしいのは、なぜか私が名指しであることと、全く身に覚えのない内容で書かれていることだった。
私はすぐにその手紙がCの母親のものだと分かった。
そのクレームを眺めているとIさんもそのクレームについて思う事があったらしい。
「それ、おかしいですよね、家風さんそういう事絶対しないじゃないですか」
「これね、間違いなくCの母親だよ」
確信があった、そもそもこの半年の間、一度もクレームを受け取ったことがないのだ。そうならないように、コンビニバイトとは思えないほど丁寧さと実直さでバイトに挑んでいた。
だからでこそIさんもそのクレームが何かおかしいものだとわかったのだ。
それだけの自信が私にはあった。
「うわぁ、本当ですかぁ、自分もCから距離取った方がいいかもしれないですかねえ」
普段、人の事を悪く言わないIからでさえそんな言葉を引き出していた。
「いや、もうバイト変えたほうがいいかもよ、最低時給でこんな環境だよ、働くだけ馬鹿見てる」
「実は飲食系のバイトが近くにあるんで、そっちに移ろうか考えていたんですよ」
そういうIさんに私は言った。
「飲食系だけは絶対やめたほうがいい」
私は笑いながらそう言った。
そしてその日、コンビニでする最後のバイトは終わりを迎えた。
最後の最後まで特にクレームを貰うことなく、私の半年のバイトは、私が自分の身を守るために辞めた。
バイトを辞めたことを親に話すと最初は文句を言っていたが、その事情を話すと流石に理解してくれた。そしてそのまま卒業試験を頑張ってくれと言う言葉も貰った。
その日から毎日家で勉強をする日々が始まったが、暫くはやはり恐怖におびえた生活は拭えなかった。
目を覚ました私は、今までにあったことをコンビニのホームページの報告フォーラムの方に全て書き込んで送り付けた。
Iからその後を聞いてみたが、店の方は何も変わらなかったそうだ。
監査の人間が来るわけでもなし、営業が一時的に止まるとかいったことも無し、バイトとしてCは働き続けてもいたという。
私は二度とそのコンビニに入らないと誓った。
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