大人になるという事
大人になるとは何だろうか、Cと同じシフトになりながら私は考えていた。
距離を取って余計な衝突を避ける事だろうか、だけど物理的にもカウンターの中は狭く、関わらないで済むほど暇な仕事ではない。
それよりは何かしら仲良くやった方がいいのではないかと思った私は話しかけてみたのだが、何処か空回りしている気がする。
暖簾に話しかけているような気分で、なにも楽しくなかった。
彼の語る話は武勇伝の様なものばかりで、どうにも嘘くさいとしか思えないのだ。やれヤクザの知り合いがいるだの、若いころは喧嘩に明け暮れただの、その腹にため込んだ妄想を披露されているようなそんな気しかしない。
余りにつまらないものだから、客が入ってきた方へ向かっていらっしゃいませと言って話を中断させた。
露骨な話の切り方だったが、そんなことにさえCは気づく様子も無かった。
てきとうに相槌を打っていると、自分は何をしているんだろうかと思うようになっていた。
もともと人にそんな冷たく接することが出来ないわたしは、どれだけ嫌いな人だとしても何かと話しかけたり仲良くなろうとしたりする。
だがそうするとCの場合は上機嫌でどんどん喋り出す、それも明らかに嘘だとわかる話を。
私は嘘には敏感だ、だが嘘が嫌いなわけではない、つく必要がない嘘を言うやつが嫌いなのだ。
おだてれば勝手に上機嫌になっていく様は、その内容が嘘八百だと分かるのだから滑稽なものだった。
嘘で塗り固められた男の、実際のところは何一つ分からなかった。それが逆に怖さを際立たせてもいた。
それでも私はたまに話しかけていた、そうしたら、いつか変わったりするんじゃないだろうかと期待していたから。
Fはあの日以来酒を飲んでくることはなかった。
飲酒運転は最初に出会った日だけのようだったが、それでも常識を疑う行動だったからでこそ私の中に警戒心は残っていた。
救いだったのはただの無能というわけではないことで、分からないことを聞くと教えてくれる。そこは一日の長というところなのだろう。
Fと話をしてみようと思ったが、年が一回り以上は離れていそうな人とする話の内容とは何だろうか、私はわからなかったので天気の事を話すようにした。
その切っ掛けは何でもよかったのかもしれない、会話はそれなりに繋がっていく。会話ができるということだけで私は安心していた。
最初は少し怖くもあった、あれのように会話が通じなかったらどうしようかと、心配は杞憂だった、あれは相当なレアケースなんだと。
ただ時折プンと漂ってくる悪臭さえなければだったが。
他の店舗にヘルプとして送られることがたまにあったのだが、その時一緒だったバイトに話をすると驚かれたことがある。
『え、Fさんと一緒にカウンター入ってきつくないんですか』
歯に物着せぬ物言いに、そのくらいきつい臭いなのだろうと納得もしていた。私が生まれつき鼻が悪いから気づかないだけで、それなりに強烈な臭いがカウンターの中を漂っているらしい。
その話を聞いてから私は、ずっとおかしいと思っていたことがはっきりと分かった。
彼と同じシフトに入れられているのは必ず私かIさんだったのだ。何日もシフトを見ていけば自ずと気づけるものだった。
他のバイトはみな拒否したのだということに、Fさんと同じカウンターに入ること自体を。
『自分は無理です、臭いがきつくて、一緒にされた時店長に文句言いましたもん』
そう言っていたのはIさんとは違う女子高生だった、若い女の子にとっておっさんの悪臭など耐えられないのだろう。それもある程度納得できるものだった。
つまり私は店長にとって、体のいい生贄だったとこの時分かった。
だけど言葉を交わせば、臭いさえ除けばそんなに悪い人にも見えなかった。
最も、そこが一番駄目だという人が多かったが、私はそこまで気にならなかったのだった。
ひび同じシフトになる度に、私は二人に話しかけていく。同じ店で働くバイトなのだから、仲良くなっておいて損はないという気持ちくらいだった。
だが本当のところでは、仲良くなれば、相手から少しは思いやる気持ちなんか湧いたりしないだろうかと期待していたところもある。
Iさんは何をするまでもなく、的確に仕事をこなしてくれる、私は頼りっぱなしになってちゃ男が廃ると必死に仕事を覚えた。
だから同じようなことが、彼らに起こらないものかと私は期待したのだ。
実際よく話しかけることで、Fには笑顔が見て取れるようになってきた。
ムスッと怒ったような顔をしている事が多く、客にその顔を指摘されていたこともあったくらいだったが、その回数は徐々に減っていったのだ。
そしてある日、分からないことがあって私がまごついていると、向こうから話しかけて聞いてきてくれるようになってきたのだ。
私が困っている様子に自発的に気づいてくれたということでもある。
互いが互いを意識しあったのだとその瞬間に察した。
そのころにはFさんも冷蔵庫にこもってサボると言ったことも無くなっていた。
よく話しかけ、仲良くなったからでこそ、細い繋がりの様なものができたのだと私は確信した。
私はFさんを通じて変わったし、Fさんは私を通して変わったのだ、誰も苦しんでいない、誰も不利益を被っていない。そのwinwinな関係に私は感動を覚えていた。
『これが、大人になる事ではないのか』
そう思うと段々仕事も楽しくなってきた。
私は人と話をするのが好きで、客と一言二言話をできるだけでもうれしかったりする。ただコンビニというのは時短を目的にしているようなところがあって、会話が起こること自体がない。
仕事中に私語をするなと言われそうでもあるが、これはもはや病気の様なもので、話せるなら話をしていたいのだ。
そんな話し相手をバイトの相方と出来るようになっただけで、バイトの苦痛は格段に和らいだ。
地獄が少しだけ柔らかくなっていた。
だが悲しい事に、それが全員に当てはまるわけではなかった。
Cにいくら話しかけても、空虚で白々しい嘘の話を出してくる。
それどころか、こちらがいくら話しかけてみても変わらないどころか、さぼりの回数はなんと増えた。
どうやらCは私の事を信用したからでこそ、サボりを店の人間に報告したりしないだろうという発想に至ったらしい。
私は他のバイトにCの事について聞いたみたことがある、返ってきた返事はFさんと似たような感じだが、彼ら彼女らの言葉には明らかにとげがあった。
まるで相手が子供だから諦めていると言った風で、まだ一回りも下であろう高校生のバイトが見下していたのを覚えている。
そんな彼らはIさんほどではないが、真面目に働いていた。高校生たちの方がよほど『大人』だなと私は思った。
そんな経験をしてきた私だったが、私はまだ『大人』にはなりきれていなかった。
「店長、Cさんたばこ休憩とか言って外いくんですけど、そんなのここにあるんですか」
私は舐められていたことを根に持っていた、人の好意に泥塗る奴に、報復行為をと思っていたのだ。だから店長のDと会う機会があったとき、私は体を震わせながら直にそう言った。それだけの度胸が必要だった。
ばれればCからの報復があってもおかしくないと、本気で考えていたからだ。
「本当ですか、今度注意しときますね」
話はそれで終わった。
「え、いまので終わり」
私は聞こえないくらい小声でそう言った、相手にされていないような様子で、もともと私はこの店長に何も信用されていなかったのだとその瞬間に悟った。
あたかも、沢山いる有象無象のバイトの一人が面倒くさい事を言っているようだと言わんばりの、そんな態度にしか見えなかった。
普通の店のバイトであれば恐らくクビにされていたに違いない、他のバイトの話を合わせれば常習犯なのだから。だから勇気を振り絞って告発した、それでいなくなるなら私を含めて皆が助かるだろうとも思っていた。
心の中でそう思っていたのに、店長の反応は全く想定外だった、どう見ても解決する気はなかった。
事実、その後のCに変わる様子はなかった。
クビにもされないし、たばこの休憩が多少減ったと言っても、さぼりが無くなったわけではない。
長年続けているから、クビにするとバイトのシフトが回せなくなるだろうとはIさんの言葉だった。更に私の働いていた店ではバイトの入れ替えが激しく起こるということもIさんに聞いた。
その話を聞いたとき私は全てに合点がいった。
Fの悪臭とCのさぼりに嫌気が差し、そして苦情を申した店長が何も変えてくれない状況に今までのバイトは逃げたのだろうと。
私は自分で環境を変えようとした、その結果Fさんは変わってくれたが、Cと店長のDだけは何一つ変わらなかった。
私も逃げたくてしょうがない気持ちになっていた、だけど少しずつ変わっているのだったら、いつかきっと変えられるかもしれない。
そう思うとCに何度でも話しかけていったし、Dには客の苦情という形でクレームを入れていった。
たとえそれがから回るとしても、何かしてないとやってられなかった。
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