一輪の花
ある日バイトに入ると、そこにはFでもCでもない若い女の子が立っていた。
時間見ると交代を済ませたころ合いのはずである、地獄のシフトを確認してから、私は暫くの間他人のシフトを見るのをやめていたので、その日一緒に入るバイトの事を知らなかった。
あの二人のどちらが来ても、どっちも結局不愉快な気持ちにしかならない。
だったら行く前に嫌な気持ちになるよりも、行って諦めの気持ちをぶつけられる方が私にとっては精神的に楽だった。
あの二人のどちらでもないというだけで私は有頂天な気分だった、だがそんな気持ちも一瞬の者であり、心の奥底から疑問が浮かび上がってくる。
本当に普通の人だろうかと。
そのころにはもはや疑心暗鬼に陥っていた、店長も信じられず、同じ店で働く二人のバイトも信用できない、一体だれを信じて働けと言うのかと天を仰ぐような気持ちで一杯だった。
女の子は見た目には高校生くらいに見える、私が見たことのない顔で、背は私より10センチくらい小さいくらいだろうか。
店内からカウンターの方を見ているとてきぱきと仕事をしている、何より笑顔だった。これはあの二人とは違う、そんな期待が否応なしに膨らんでいく。
バックヤードからカウンターに出る準備を済ませ、出るとすぐに自己紹介を始めた。客はまだそれなりにいたので、軽い名前を交わす程度のものだった。
「Iといいます、よろしくお願いします」
普通であるということがこれほど素晴らしいものかと噛みしめていた、最初はこんな店に送られてくるのだから、また何かしら問題を抱えているのかもしれないと思っていた、実に失礼な考えだったと自分を恥じた。
ことこの店に来る人間は何かしら問題を抱えた人間に違いないと思い込んでいたわけだ、そういう人としか出会わないのだから、そう思ってしまうのもしょうがない話だったのかもしれない。
Iはやはり女子高生らしく、1年くらいコンビニで働いているという事だった。
てきぱきと仕事をこなしていく、普通でも無能でもない、むしろ有能すぎて肩身が狭い。
時に私がもたついていると手伝ってもくれる。
それはここというバイト環境の地獄に咲く、一輪の花のようで、私の精神を癒していた。
自分でも出来る限りは頑張っていたが、1年働いていた人とは経験の差が歴然としていた。
私が客を一人捌く間に、彼女は二人目が終わるくらいになっている。袋詰めも固いもの柔らかいもの問題なく適宜詰めている。
まだもたつきながらも、必死に食らいついていた私は少しいたたまれない気持ちでもあった。一生懸命にやっても、費やした時間の差がそう簡単には埋まらないということのようだ。
とにかく楽だった、いつもの数倍くらいの速度でやるべきことが終わっていくのだ、コントラストのように、あの二人が浮き彫りにされていく。
客足が弱まった、商品の搬入なども来てなくて、遠目に見てもドリンクが無くなろうとしているわけでもない。
「いやー、ほんとIさん助かりますよ、自分まだ入ったばかりでもたついちゃって、すみませんほんと迷惑かけて」
その隙間をチャンスと思って話かけていた、あの二人なんかよりこの子と仲良くなりたいと。
「最初はみんなそんなもんですよ、むしろよくできてるくらいだと思います」
口は滑り始めると止まらない、あまり良くないことと思いながらも、あの二人の事を話し始めてしまう。
「ずっとIさんと同じシフトだったらいいのになあ、聞いてくださいよ、FとC、仕事はさぼるし、Cに至ってはレジ作業分からないって言われましたよ。おれ入って一か月も立ってないから分からない事ばかりですよ」
「まあ、あの二人は、あれなので」
Iさんの困った顔を見て、彼女も思うところがあったのだと察するのと同時に、面倒くさい事を自分でも言ってしまったのだなと気づかされた。
自分が嫌悪しているような、嫌な人間に自分もなりつつあるのだと気づけた。
「あ、すみません、Iさん全然関係なかったのにこんな話して」
「気にしないでください、確かにあの二人は、その、あれなので」
言葉を濁してはいたが、Iさんが思うところも一緒だということが分かれば十分だった。
「すみません自分嫌なやつでしたね、こんな話辞めときます、自分から振っといてなんですけど」
「そうですね、自分たちが変わればいいんですから」
見えない、何か強い繋がりができたのを感じた。
同じく苦労しているバイトなのだと思うと途端に親近感が湧いてくる。
「そうですよ、俺たちのほうが大人になればいいんですから」
「あ、ほら客きましたよ」
「「いらっしゃいませ」」
私とIはまた忙しくなろうとしている店内で、また真摯に働きだした。
その後も二人して働いた、特に問題もなく、その日のバイトは終わった。何もなく終わるということ自体が初めてで、今までの常識がひっくり返された日でもあった。
家についてシフトを確認する、今までは一週間ずつ確認していたが、もっと先まで見ようと思った。あの二人だけでずっと回せるはずがないと、そういう期待も込めてだ。
1週間ごとくらいにIさんが入っていることがあった、高校生らしく、学校の方も忙しいという事で余りシフトも入っていないようだった。
恋愛感情を抱いてはいなかったが、その日を待ち焦がれる私の姿は、恋人を待つ乙女のそれだったかもしれない。
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