頭の警鐘を鳴らす男
その日バイトに入ると、Fさんではなく見覚えのない男性がいた。
太めの男性で、恐らく不健康からくるだろう肌の浅黒さが印象的だった、年齢は30後半から40くらいだろうか。
「あ、自分家風と」
お決まりの挨拶をする、定型文かのように何度も繰り返していたので、自然と口からついて出るようになっていた。
「おう、俺はCていうんだ」
名前はCといった、高圧的で何か上から目線の様なプレッシャーを感じる。
この男に触れるのは何かと不味い雰囲気が漂ってくる、ちょっとでも刺激すると爆発する危険物のような、そんな危ない香りがCからしたのだ。
何人もの埒外の人間を見てきたことで、皮肉なことにその嗅覚が養われたのか、ある程度人と話をするだけでやばい人というのが感覚的に分かるようになってきていた。
そんな私の第六感が地震の警報ばりに鳴り響いている。
そんな人間は彼が初めてである。
こいつだけは絶対に刺激するなと、具体的な理由はわからない、だが無視できない音だった。
客足が弱まってきたころ、Cさんは唐突に私に向かってこう言った。
「おれえ、ちょっとタバコ吸ってくるんで」
そういうとバックヤードに入っていき、制服を脱いで店の外へとそそくさと出ていった。引き留める間もない、その流れるような動きは常習犯だろう。
休憩の打刻をするわけでもなし、当然たばこ休憩などバイトにあるわけもない、ただのさぼりである。
そして戻ってきたのは20分後である、仕事をろくにしない、真の意味でただの給料泥棒だった。
しかしこれに注意することが出来なかった、突然懐から刃物でも取り出して刺されそうな、そんなイメージが頭にちらつくのだ。
どうしてかわからない、だが全力でこれを刺激することだけは辞めろと私の本能がずっと鳴っている。
仕事中に分からないことをCに聞いたこともあった、返ってきた返事は『分からん』だった。
のちにわかったことだが、Cは2年働いていたベテランだそうだ。
その時は、それなりに長く働いているのだろうとは思っていた、私が教わっていない事をやっていることが多かったから。
だからその返事を聞いたときは頭の中にクエスチョンマークが浮かんでは消えた。それはレジ作業の一つだったので、最低でも一か月すればぶつかるような問題ではないのかと。
仕方なく、本当に仕方なく店長のDに電話をした。これは緊急避難の様なものであると、こればかりは聞かなければわからないと。
一度マニュアルを探しては見たが見つからなかった、ひょっとするとあるのかもしれない、あのバックヤードの山の宝として。
「Cさんいませんか」
分からないことがあると聞くと、Dからの第一声はこれだった、その時いるバイトの名前を出しては、〇〇さんはいませんかと尋ねるのはいつもの事だった。
私が研修ビデオをみての行動だったら大いに怒ればいいと思った、これは習う範疇の事だろうと、なんとなく察していたからだった。
私は特定の人間に対しては相当図太くなっていた。
「Cさんに聞いてもわからないそうなので」
「ええ、嘘でしょお」
嘘でしょと言いたいのはこっちだ、ろくに研修もうけてないのにどうしてこんな場所に送られたのか、その本心を聞きたいくらいだったがそこで聞ける人間だったら、私はこの場にはいないだろうと。
そこから指示を受けて私は仕事を終えた、終始客に頭を下げながら。
幸い客が怒りだすことは無かった、研修中という魔法の言葉の強さか、それとも客の民度なのか。後者だと思いたい。
何日か働くと考える余裕ができてくる。そして他の人のシフトを見て、その日一緒に入るバイトが誰なのかを確認する様になっていた。
そして何週間かに及んで目を通すと不幸なことが発覚する、私が入る時間帯は私とFさんかCさんのどちらかがシフトに入ることで、二人で回す店のようだった。
当然人手不足を感じているし、何よりも二人の無能感が強烈だった。
片方は酒を飲んで車を運転してバイトに入り、悪臭を漂わせるF。
片方はたばこと言って20分さぼり、2年務めているはずなのに分からない仕事があるというサボり魔C。
救いと言っていいのかはわからないが、Fはまだ話が通じた。仕事を教えてくれと言うと割と丁寧に教えてくれるのだ。そういう点ではCほどではない。
第三者から見れば恐らくどっちもどっちだろうが、客に迷惑をかけないという点では、Fの方がましだと思ったのだが、その願いは眼前のシフトが砕いていた。
傍目に見ればFだって相当地雷にしかみえないのだが、それでも見えていれば何の問題もないと、私はタップダンスを踊るような気分でよく話しかけていた。
話が通じれば、誰とでも和解のチャンスはあるのだとでも考えていたかもしれない、そうすれば自分が困っている時に向こうから助けてくれたりもするような、そんな打算も働かせていたのだ。
そして実際にFとはある程度親しげな雰囲気を作ることが出来ていた、客がいないときは普通に会話をしたりもしていた。
だがCは違った、得体のしれない未知の生物で、見たことも無い毒を持っていると言われるようなそんな恐怖を感じる。
高圧的でオラオラ口調なのはプライドが高い証拠だった、だけどどう見ても無能である。
それをそのまま、もしくは匂わせで伝えたらどうなるか、エイリアンのように顔が開いて食われるようなイメージが頭に浮かんだ。私はこの未確認生物を出来る限り刺激しないようにと考えた。
ただそれとは別にコンビニの方に、客を装って苦情を入れておいた、
『店員が外でタバコ吸ってて迷惑だ』
とか、そんな感じの言葉を。
やられっぱなしは趣味ではない、ましてや事実なのだから問題もないだろうと。
幾度と『実はバイト先間違えたのでは』という考えが頭を過ぎる。もっと遠くでもいいからましなバイトがあったんじゃなかろうかと。
軽率な自分の行動を悔い始めていた。
時給など最低賃金だ、そのくせ仕事は無限大に増えていく。
基礎でさえ教わっていないのだ、私は未だに配達依頼の手順も聞いたことがなかった。
明らかに人手不足の店で、客は急いでいるからイライラもしているし、その矛先は大体バイトに向いてくる。
『今からでも遅くないか』
頭の中で辞めることもちらついた、だが確実に雇ってもらえるという保証はない、今いる場所を捨ててすぐに見つかるような、ここは街ではない。
ただ天秤の先にあるのが、自分の大学6年間だと思うと、そんな重さはないに等しい。
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