普通が普通ではない
アプリで連絡を取る様に言われていた、そのアプリの個別チャットに店長からの指示が出ていた。
『これが家風さんのシフトです、普段は店の壁に貼ってあるので、定期的に確認してください』
『はい、わかりました』
そう言われた画像を見て、私は目と常識を疑った。
「え、研修まだ終わってねえんじゃねえの」
そんな独り言が思わず出てしまう程だった。
2日目に入っているバイトの店は、最初に研修を受けた店ではなく、その一つ向こうの店になっている。
初日にコンビニが3店舗あると聞いていた私はその日、店を3つとも調べていた。
一つは小学校と高校に近い、最初に研修を受けた店。だが正面にドラッグストアがあり、客の取り合いのせいかそこまで客が来ない店でもあったが、それでも忙しい時間は忙しいようだった。
もう一つは一番遠くの店、国道沿いながら、田舎道のような雰囲気もある。バス停のすぐ前にあるということもあって、そこから降りる人や乗る人が頻繁に店に来る、何らかの商業施設はないようで、ある意味地域として重宝される店ではないだろうかと考えられる店だった。
これら二つは、忙しいと言えば忙しい時間はあるだろうが、逆に客が少なくなる時間もありそうだなと分かる。
問題はその間にある店であり、私がその日はいる予定になっている店だった。
バイパスがすぐ近くにあり、住宅街もまたすぐ近くにある。
電車の停車駅もすぐ近くにあり、とにかく人の流れが激しいのが予想できていて、ひっきりなしに客が来るのが簡単に予想できる。もはや激戦区と呼んで差し支えない場所だということが誰にでも想像がつく場所だった。
その店の周囲にも飲食店や雑貨屋などもあり、周辺住民の生活にかかわる位置に建っている店だということもわかっていた。
そしてそこが研修2日目のバイトがいく店では決してないということも。
『店長、このY店であってますか』
私は思わずチャットで聞き返した。2日目にそんな場所に行かせるわけないよな、何か間違えているんだよなという願いを込めて。
『はい、その店であってます、よろしくお願いします』
空振る私の願いと、去来する焦燥感。だがひょっとすると自分の勘違いの可能性もある。実はそれほど忙しくなくて、私が立地だけで勘違いしている店で、研修でもまだ回せるような店だという可能性を。
店に着いたのは夕方の4時ごろ、少し前に抱いた僅かな望みは、その光景に打ち砕かれた。傍目に見ても駐車場は既に埋まりつくそうとしていた。
時間的に帰宅ラッシュというわけでもない、つまりもともと客が多い店なのだとすぐにわかった。
もはやDへの信頼は消え失せていた、バイト研修さえまともに受けさせない、ろくでもない人間なのだと。
とても何かを教わるような環境ではないのは一目瞭然だった、忙しすぎるのが遠目に見てもわかるレベルだ。
前もって言われた従業員スペースに軽トラックを停める、ペーパードライバーだったので頭から駐車した。
店の外に設置してあるゴミ箱は、既に溢れんばかりのごみが突っ込まれていた。ペットボトルなどゴミ箱の上にビニール袋にまとめて置いてあるくらいだった。
店に入ると既に客がごった返している。レジがひっきりなしに稼働し、レジの前には行列もできている。そんな店を高校生くらいの女の子が担当していた。
「いらっしゃいませー」
雑多にあふれる人ごみにその声がかき消されそうだったが、辛うじて聞こえてきた。
関係者入り口からバックヤードに入る、その店のバックヤードは本当に狭く、人が二人並んで歩けないレベルだった。横に太めの人だったら恐らくまっすぐ通ることも出来ないだろう狭さに、いろんなものが置いてある。
飲み物の入った箱に、懸賞系の商品に、雑貨に、物がごちゃごちゃしすぎて道が狭まっていた。
置く場所がないのか、それとも整理できていないのか、初めてきた私にはその見極めができない。
前日に教わった通り制服を着て、名札で出勤の手続きをする。
パソコンに店の様子が監視カメラで写っていて、今からここに飛び出すのかと思うと気が重かった。
まだ仕事をろくに習っていないというのに、二日目にしてこんな戦場に放り出されるのかと。
そして幾度となく横にいる人に聞くことになるだろう、私は出来る限り迷惑をかけたくなかったが、そうはいっていられない状況でもあった。
逃げたくなるほど精神的に追い詰められそうな状況で、だがそれを自分への罰だと思うことにした、ちゃんと勉強していれば、今こんな場所にはいないのだから。
「お疲れ様です」
一歩踏み出し、レジ応対をしている他のバイトに挨拶をしていった、まだ未成年のように見える女の子と、中年の女性だった。
「お疲れ様でーす」
「自分昨日から働き始めた家風と言います、よろしくお願いします」
「よろしくです」
忙しすぎるのは傍目にわかった、その時点でも既に客が4人は並んでいる。手短に自己紹介をし、さっさと仕事に入ろうと思った。
「もう上がるんで、交代お願いします」
中年の女性がそういうと私は持ち場を交換した。
二人体制で暫く客の応対をしていた。レジで商品を買うくらいの事だったらわたしでも対応できるようにはなっていたが、内心は私が知らない仕事は来ないでくれと願い続けていた。
それから30分ほどが過ぎたころ、女子高生らしき女の子が言った。
「あたしもそろそろ上がりなんで、Fさんと交代しますね」
それと同時にバックヤードに誰かが入ってきた音が聞こえてくる。
よく見ていなかったが交代の人が来ていたらしく、その人と女の子はレジを交代していった。
Fさんと呼ばれた人は中年の男性で、痩せっぽい身体に、何故だか酒の臭いがした。
バイトに酒を飲んでくるわけないよなと、普段から飲んでいるから臭いが染みついたりでもしたのかなと思いつつも、Fさんの隣で私は客の応対を続けていた。
会釈程度はしたが、そんなものを待つ気はないと言わんばりに客は列を作っていたからだった。
客足が収まるまで1時間は経った。立ちっぱなしで足の裏が痛くなり、私は足の裏を伸ばすような感覚で足踏みをしていた。
動きっぱなしよりも立ちっぱなしの状態の方が疲れるという事を知った。膝から足の裏まで全てが痛むのを感じていた。
そう言うことが出来るくらいには、やっと客足が弱まって自己紹介をする余裕もできたので、私は自己紹介をした。
「家風と言います、よろしくお願いします」
「ああ、よろしく、おれはFっていうんだ」
ぶっきらぼうで、顔が赤らんで吐く息が酒臭く、息もなんだか酒以外の臭いで臭い。
私はもともと鼻が良くないのでその程度で済んでいたが、その私でもこの臭いという事は……私は余計なことを考えるのを辞めた。
私が気づかないのだったら、そのままにした方がいいと思った、こういったものはデリケートな問題でもある。
しかし私の頭に浮かんだのは、やっぱりこいつ酒飲んでないかという考えだった。
だが彼が車で来ているのは知っていた。彼が店の横の従業員スペースに停めた車から出てきたのを、たまたま見ていたから知っていた。
きっと体調でも悪いのだろうと、思い込むことにした。
ここでは常識が通用しないのだと、私はそう考えるようになっていた。
その日は商品の応対や、飲み物を手渡ししたりする作業などで、他の仕事は無かったので何も支障がなく終わることが出来ていた。
それが一時しのぎだと自分でわかっていても。
だがとなりでFさんが、私のしたことがない対応をしているのを見ると途端に不安に駆られてしまう。
一応その場で質問をしてメモを取ったりしたが、それでも分からないことは多い。
レジを見ても使ったことのないボタンがある、それが自分のパンドラボックスだと思うと、次の日もまた分からないことに恐れてバイトに入るのかと考えていた。
バイトが終わり家に着いてから、私はまた店長から送られてきたシフトの画像を確認してみた。
当分は連日で入っているなと思っていたが、もっと大事な場所はそんなところではなかった。
その全てが、今日働いていた店のシフトになっていることだった。
初日に働いた店での研修は、どうやら店長Dの頭の中では既に終わっているということだろう。
私は当分、分からない事への恐怖を感じ続けるしかないだと諦めた。
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