行き先が地獄と分かっていても

家の中ではそんな卒論の事ばかりが何度も何度も頭の中を巡っていた。

監査の教授がいるとすれば、それを頼りにするのは当然ではないのだろうかとも思っていた。つまりは何かしら言い訳を探していたが、そんな事情は両親には関係がないという事実を前には、どんな考えもすぐに消えていった。

その結果行きついた考えは、監査の教授がいたとしてもその人間を信用するなと言う事なのだろうか、自分が信用できないと思ったら、何一つ任せるなという事だろうかと、疑心暗鬼になりつつあった。

信じることが本当に正しい事なのだろうか。

それとも信じているのではなく頼りきりになっていただけだろうかと。

頭の中でいろいろと考えていたが、所詮一人の人間の頭の中で考えることは限界がある、分からないという結論しか出なかった。


それよりもこれからどうしたらいいのだろうかと考えた。

最悪借金でもして卒業をするべきだろうかと。

親には頼れないと思っていた。あれだけ大見え切った一年前の事を思えば、あと一年続けさせてくださいなど自分からはとても言えない。

パソコンで金を貸してくれるところを検索してみたが、現実的ではなかった。


階段を上ってくる音が聞こえる、この部屋に来るのはまず母親しかいない。

部屋の入り口を開けると、私がくるまっている布団を引きはがし、私に向かって話をし始めた。

「卒業だけは最低でもしたいね」

「うん、したい」

振り絞るような声でそう返事をしていた、即答だった。子供の気持ちを親が一番よく知っているとでもいうのか、自分からは言えない言葉を代弁してくれたのだと気づいた。

そしてこう聞かれるという事は、またチャンスを貰えるのだということも察していた、自分のふがいなさも感じながらも。

「バイトでも何でもする、いや、させてください」

「分かった、これがラストやけんね、流石にもう一年は無理だから」

そうしてまたバイトの日々が始まろうとしていた。



その年も、担当教授は進級試験以外の単位は全て取っていたために、講義に出る必要がない、自宅学習という体を取らせてくれた。

流石に試験を終えたら国試が待っているという事で、日がな一日家で過ごしていいといった風ではなく、それなりに呼び出されることもあったが、それは月に数回程度のものだった。


決心したら行動は早かった、だがアルバイトの選択肢はほぼないに等しい。

以前にバイトをネットで調べたとき、募集サイトの方ではほとんど見つからなかったのだった。

一縷の望みをかけて、改めてネットでアルバイトの検索をかけても、そこには大手のコンビニ以外やはり見当たらない。


以前はコンビニバイトを見つけても、それは最後の手段だと考えていた。

何故ならネットでまことしやかに語られている、最もきついと言われるバイトと言われるものの一つがコンビニバイトだったからだ。


覚えることは多いのに、時給は少ない、客とのトラブルも多い。

調べても良い話の方が出てこないくらいに、地獄のような環境だとわかる。

それでも選択肢はなかった。地獄に飛び込む決意を持たなければならなかった。


電話が数コールなると店の人間が出た、それは女性だった。

アルバイトを希望しているという事を伝えると、その女性はすぐに店長に変わると言って保留音が流れる、私は少し待った。


「お待たせしました、店長のDです」

男の声だった、声だけでは年のほどはわからないが、大体40くらいだろうかと思った。

「家風といいます、バイトを希望したいのでお電話させていただきました」

コンビニバイトはオーナーとの兼ね合いも大事な要素の一つであるとネットで見たので、その見極めには慎重に行こうと頭をよぎったが、そもそも他の選択肢はないのだった。

それは逆に言えば、この店長に気に入られるしかないという事でもあった。

「では履歴書を持って、大丈夫な日などがあればいつか教えてくれませんか」

4月の終わりごろ、自由な時間はいくらでもあった。バイトに行くと決めた私はまず履歴書から作っていたから、それこそいつ面接を行っても大丈夫な状態でもある。

「いつでも大丈夫です、なんだったら今日でも大丈夫なくらいです」

私は軽く笑いを含ませながらそういった、実際のところ当分用事は何もなかった。

「そうですか、では今日の3時でどうでしょうか」

「え」

耳を疑った、いつでもいいと言ったのは確かに自分だったが、その面接を本当にその日にやると言うと思ってなかったのだ。

本音の言葉が漏れていた、思考が一瞬フリーズして、自分の意図しない言葉が口をついて出た。

「何か問題でもありましたか」

そう言われて時計を見ると昼の11時頃だった。提案された時間まで、まだ4時間はあった。コンビニがある場所も原付を走らせれば7分くらいでたどり着ける場所にある。

「あ、いえ問題ないです、大丈夫です」

現実に戻ってきた私は、その勢いに流されるがままに了承していた。

頭によぎった考えは、ひょっとして自分はとんでもない場所にバイトに行こうとしているのではないのかということだった。

あの居酒屋のバイトでさえ、予定を調整して面接日を決めていたのだというのに、日がな一日開店しているコンビニの店長が、そんな急ピッチで予定を入れるというその事実が。

底知れぬ恐怖が私を襲った、ひょっとするとここはあの居酒屋よりやばい場所なのではないのかと。

それでも後退の二文字はなかった、元より地獄でも金さえ手に入ればいいと思っていた。一年を地獄で我慢するか、今までの6年を棒に振るか、天秤にかけるにはあまりに重い時間で、ここ以外にバイトができる場所はない。あっても相当遠くになる。


「はい、わかりました、昼の3時ですね」

「では、お待ちしております」


スマホの電源を切って初めて、私は背筋に嫌な汗をかいていることに気づいた。

色々と考えられる可能性がある、そのくらい無理をしてでもバイトを入れないと回らないほど激務なのか、それとも客が少なくて、店長自体ほとんど仕事が無くて、暇だから当日を面接日にもできたのか。

後者であればいいと思ったが、応募したコンビニは国道沿いにある、そんな都合のいい店のはずがなかった。

私は確信めいたものを感じながらも、行く準備をしていた。

きっと何かの思い違いに違いないと、シャワーを浴びながら嫌な考えを洗い流すように。

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