巡りあわせの悲劇

大学6年次にやることはたくさんあった、新しく始まる講義の単位も取らなければいけない、レポートも提出しなければいけない、だが私を最も苦しめたものが何かと問われると、それは間違いなく卒業論文だったと断言できる。


所属している研究室は、その室長である教授に惹かれ入った場所だったが、私が卒業をする前に当の教授は退職していった。

年齢にしても定年退職の時期だったらしく、私が進級試験を合格できていれば、恐らく一緒に大学を卒業出来ていたのだと思うと、やはり5年の時の自分を悔やんでいた。


卒業論文自体は5年次から、テーマや事前準備や実験などを用意していたが、教授が変わったことで、私の卒業論文も担当者が変わってしまった。

卒業論文は大体2週間に一回ほどのペースで確認をしてもらって、その度に私は、このまま進めてください、という言葉を受け取って愚直に頑張っていた。

初めての卒業論文というものは右も左もわからないことだらけであり、どういった形をとればいいのかさえ分からない、そんな手探りの中自分でテーマを決め、必要な情報を集め、進捗を話しながらその2週に一回の確認作業をやってもらうというのは、安心でもあった。

問題があれば何かしらを言ってくれる、そう思うと不安は軽減され、自分が進むべき道を示してもらっているような感覚さえ覚えるのだ。

ただ一つだけ引っかかったのは、いつも返ってくる返事が同じだった。

いま思えばそこで気づけばよかったに違いない。



6月の中ほど、研究室単位で進捗報告会が開かれた。論文を精査するのは研究室の室長だが、私の研究室では教授と助教と準教授の3人がいて、それぞれが進捗を確認していたが情報の共有はなされていなかった。

その論文の進捗具合を生徒も教授も含めて全員で確かめるといった会がその目的だった。

同室の学生は殆どが実験を研究結果に載せるタイプのもので、卒業論文は、一種の論文としても遜色のない、完成度の高いものであった。

そしていざ発表を聞いていると私は不安になっていた。自分がやっている卒業論文は、本当にこれで論文という体を為しているのだろうかという疑問だった。

何しろ右も左もわからない、そもそも卒業論文の意義がよくわかっていないのだ。

そこで私は進捗報告会に出たとき、担当ではない教授にその疑問をぶつけてみた。

「先生、ひょっとして自分のものは、論文としての体を為してないような気がするのですが、これは本当にこのまま進めていっても大丈夫でしょうか」

考え込むのは新任の教授、私が惚れて入った教授の次に入った研究室の室長だった。

「僕は研究室に入ってこういう立場につくこと自体が初めてだから何とも言えないんだけど」

教授は一息挟んだ、それは憶測とか想像ではなく、確信していたから答えるのに困ったといった様子に見えた。

「駄目……かもね」


その後、私の他に文献から論文を作る学生が3人いたが、そのうち2人が論文としての体を為していないという事実が発覚した。

入ったばかりだという教授もその判断に困ったのか、その事実が発覚したとき、既に大学は夏の時期に入ろうとしていた。

その時期に、私ともう一人の論文はほぼ白紙に変わったのだった。

監査が監査として機能していないことに恨み言を呟いていたが、うすうす感づいていたのにすぐに行動に出なかった自分も悪かったのだと、私ともう一人の彼は泣き寝入りをするしかなかった。



その日から論文のテーマを変え、データを集め、また論文づくりが始まった。

愚痴を溢しながら、担当准教授の文句を言いあいながら、仲の良かったもう一人の学生とやはり不平たらたらで、それでも卒業するためには卒業論文は必要不可欠だと理解していたから私たちは必死になって卒業論文を作っていた。

幾度と進捗を報告していく、例えどれだけ頭が良かったとしても、卒業論文ができていなければそもそも卒業自体ができなくなるのだから。


そして私の卒論にやっと合格サインを出されたのは、そんな卒業試験の一日前だった。

その日まで勉強とはあまり関係のない情報ばかりを集めていた。

当然、試験を合格などできるはずがなかった。

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