最後の賄い

高校生遅刻事件のその日、彼ら彼女らはいつものように10時には店を出て帰って行った。

結局最後の最後まで謝罪の言葉を聞けなかった私はもやもやした気分でいたが、高校生なんてこんなものなのかなと無理やりに自分を納得させることにした。


彼らが帰って暫くすると私の賄いが用意されたが、その時の私は食欲があまりなかった。精神的にも肉体的にもいじめにいじめ抜かれた私は、もはや自分が正しいかどうかさえ疑うような不安定な状態だったからだ。


「賄いたべんとね」

奥さんがそう言ってきた、その言葉を聞いて頭に浮かんだのは、こいつは本当に人なんだろうかという考えだった。鬼か、餓鬼か、とにかく人外の類が人の皮を被ってるんじゃないのかと疑っていた。

もちろん現実的ではない、だがこれを同じ人類であると認めたくはなかった、その位には私の悪感情は膨れ上がっていた。

行き場のない憤りが、何度も濾されて濃縮したような状況になったのは、労いどころか悪意をぶつけられていたからだろう。

荒んでいた私は、普段は全く考えないようなことを頭の中に浮かべていた、相当に疲れていた。

「すみません、少し疲れてて」

うすら寒い笑みを浮かべながら私はそういった、作り笑いが出来ない私が、その時だけは上手く出来た気がしていた。もう一刻も早く家に帰りたいと思っていたのだろう、人間必死になるとなんでもできるのだと知った。

「別に食べんでもいいとよ、やったらもうずっと作らないから賄い」

その表情に裏を感じたのか、それとも筋違いの怒りをまだ腹に抱えていたのか、飛び出してきた言葉は脅迫に近いものがあった。

バイトを始めた日から賄はずっと食べていた、それは夕食代わりになるという事よりも、母に負担をかけさせたくないという思いから頼んだものだった。

もし賄を止められれば、深夜に家に帰ってから何かを食べることになるが、その物音で家族を起こしかねない。

両親には既に迷惑をかけていた、だから出来る限り手を煩わせないようにしていた、もし賄いが無くなればその度に親を起こしてしまいかねなかった。大体家に帰る時間は12時過ぎくらいで、両親はともに寝ていることが多い。

つまり賄いを止められることはある意味、私にとって死活問題でもあったが、そのことまで分かってしている脅迫ではないのだろう。

それよりも、賄作らなくして困らせてやろうという悪意の方を感じた。


「あ、ははは、ちゃんと食べますよって」

恨み節が噴水のように吹き出しそうだったが抑えた、我慢だ我慢だと、自分に言い聞かせながら。

向こうが大人じゃなければこっちが大人になればいい、理不尽な事をされた時はそう思うようにしていた、まだ辛うじて我慢できることだったし、一日が経てばましになるという予感もしていた。


その日の賄いは炒飯のようだった、店のメニューにはない料理が賄には出てくることも多い。

私はどんなに疲れていても、どんなに体調が悪くても、食欲がなくなる事自体は基本的にない。食べることでなんだかんだ次の日には元気になっていることが多いから、食べることを大事に考えて、残さず、たくさん食べる。

精神的にも体力的にも疲れ果ててはいたが、スプーンを握ればその手は普通に動いた。炒飯を底から掬うようにして口いっぱいに頬張り、咀嚼する。



『ジャリ』



その刺激物に、私は噛みしめるまで気づかなかった。そして噛んだ瞬間に、腹を刺すような傷みが走った。

堪らず腹を抑え、蹲る、体験したことのない痛みだった。

嫌な汗が額を垂れる、体験したことがない状況だったが、すぐにその原因がいま食べた何かのせいだという事だけは理解できた。

痛みに困惑しながらも、自分が食べたものの正体を確認したかった、スプーンでもう一度炒飯を持ち上げ、ひっくり返す。

底に敷き詰められた香辛料が出てきた、それはどんぶり一杯に敷き詰められ、炒飯の方が隙間から見えるというくらいの量、明らかに異常な量だった。


その瞬間に悟った、これは罰のつもりなのだと。忙しいなか口答えをした私に対する罰のつもりなのだと。

同時に食べなければ賄を作らないという言葉が不自然だったことも繋がった、何としてもこれを食わせようとしていたのだと。

底知れぬ悪意が、もはや殺意にしか見えなかった。



「なんね、悲劇のヒーロー気取りね」


蹲る私に奥さんが、いや、鬼畜が言った。

既に私には、それが人間に見えなかった、これは人間になろうとした出来損ないなのだと。そしてこのままここに居たら私は殺されると分かった。

心底楽しそうな笑みを浮かべているその顔を見たら。



じっと炒飯を眺めていた、人がとても食えるものではなかった。

いや、殺されようとしているのだから食うわけがないと。


「食べんのなら捨てんね、あたしは二度と作らんけどね」

「ああ、こっちがお断りだよ」


まだ客は残っていた、大将と談話していたので仲の良い客なのだろう、カウンター以外の客はいなく、照明も既にほとんど落としていた。

自分の感情をコントロールできないほどの激情を感じていた。

キョトンとした鬼畜の顔を見ている、ずっと殴られっぱなしのサンドバックが殴り返してきたのだ、それは大層驚くだろうと。

「賄いに香辛料敷き詰めて出すような人殺しの店誰が続けてたまるかってんだ」

口は止まらない、今までの鬱憤が全て吐き出されていた。

「大体なんだよ、遅刻したのおれじゃねえのに、物理的に無理な注文されてなんで俺に切れてんだよ、筋違いも甚だしいだろ糞ババア」

赤の他人に暴言を吐く事も初めての事だった。瞳から涙がこぼれそうだった。

「なんで高校生はお咎め無しなのに大した文句も言ってないおれにだけ罰があんだよ、ああ」

「そもそもSさんなんか1年以上やってんのに俺が覚えてるホールの仕事すらできてねえじゃねえか、てめえはよ甘やかしすぎなんだよ、なのになんで俺だけずっと研修なんだよ、もう半年経とうとしてんだぞ」

「こっちが何も言わなかったからって何やってもいいとか思ってんじゃねえだろうなてめえ、いくらなんでも度が過ぎてんだよ、てめえは人間かあ」

相手に何も言わせたくない、ずっと捲し立てる。

「食べないなら捨てろだあ、家畜も食わねえ飯にしたのはてめえだろが、喜んで捨ててやるわ」

私は食べ物を捨てさせられる行為が一番嫌いだった、それも自分に対して出されたものに関しては特にそうだった。

ずきずきと心が痛み、涙が溢れていた。シンクの三角コーナーに、まだあった大量の炒飯が一気にごみとして捨てられる、その瞬間に私は終わりを感じ取った。


「二度と作らなくていいわ、俺も二度とこんなところで働かねえよ、殺されちまうからな」

制服をその場で脱ぎ捨て、半そで一丁で制服を厨房の地面にたたきつけた。


「お世話になりました、今日で辞めさせてもらいます」


そのまま家へと帰って行った。

その間一言も喋らせはしなかった。



家に帰ると大将からアプリで連絡が届いていた。

『おいてめえ家風、おれんつくった飯捨てたな、今すぐ出てこいやおいこらあ』

炒飯は大将が作ったものだと分かった。賄はもう作らないと言いながら、他人が出した料理を足蹴にしたのだ、私の怒りは更に煽られたが、逆に大将は何も悪くないということが分かった。

家に帰ってからはだいぶ冷静さを取り戻していた。

『炒飯捨てたことだけはすみませんでした、でもそれ以外は自分絶対悪くないんで、あれは人が食うもんじゃなかったです、あれを食って死ぬくらいなら捨てます』

そう送ってから、返事が返ってくるまで20分くらいが経った。

『事情を聞いた、確かにやりすぎたかもしれん、すまんかった、一度店に戻ってきてくれんか』

その言葉は大将から返ってきた、怒りが見当違いだと気づき謝っていた。

だからでこそ絶対に許せなくなった。

『なんで大将が謝ってるんですか、自分はちょっと勘違いをして大将もグルだと思ってはいましたけど関係ないって途中でわかりました、だから普通に考えて謝るならあなたの奥さんのでしょ、舐め腐ってませんかいくら何でも』

そのメッセージを送って、アプリの通知を切って私はもう寝ることにした。

もはや会話が通じると思えなかったのだ。

もしこの後に、あの鬼畜からメッセージが届いたとしても、それはもう私が催促したから出てきたものであって、謝罪の意味など一ミリも含まれないのだと分かるのだ。


どうせ謝罪のメッセージが送られてくるに違いない、恥知らずの人でなしの。そう思うともう顔は愚か声すら聴きたくないと思った。

布団を被ってスマホを遠くの椅子の上に投げた、ボロボロだった私はすぐに寝てしまった。

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