ワンオペ

その日は珍しく7時のシフトだった。

1時間の店の準備が無いというだけで少し気が楽になっていたが、その気楽さは店に入った瞬間に雲がかかり始めた。


まず6時のシフトのバイトが来ていなかった、文句を言いながら奔走するのは奥さんで、私を見るなり手伝ってくれと言われた。

6時のバイトはどうしたのだろうと思ったが、シフトは高校生が入っていたようだった。高校の用事で遅れているのだろうと言ったのも奥さんだった。

だがどれだけ待ってもバイトは来ない、それも6時シフトだけではなく、それ以後に来るはずの7時のバイトも来ないのである。

店は基本的に3人のアルバイトで回す、その内の二人が高校生で、その二人がいつまで待っても来ないのだ。


嫌な予感は現実となった、その日も当然のように予約客が入っている、しかも今日に限ってカウンター以外ほぼすべてが埋まりつくすほどの満員御礼だった。

当然その中を走り回るのは私しかいない。

料理を持って行き、皿を引き、汚れを落として食洗器にいれ、飲み物を作り、呼び出され、永遠に同じループを繰り返されるが、当然全てをこなしていたら破たんするのは言われなくともわかっていた。

そこで私が省くことが出来たのは、すぐには客に影響が出ない皿を洗う工程しかなかった。



「おい家風―ビールがまだ来てないらしいぞ」


カウンターの方から聞こえる大将の声は切羽詰まっていた。

その注文を私は把握していたが、ビールグラスにも限りがある、普段は冷蔵庫で冷やしている予備の分もあるのだが、洗い物ができないつけがここにきて来た。既にできっているグラスを洗って出すしか方法がなかった。

そして溜めに溜めたシンクの中は皿とグラスがあふれ、零れかけていた。既に辛苦に入りきらず、横の棚を使うしか置く場所がなかった。


「おい返事しろや家風」


怒鳴るような声が聞こえてきた、そんなに怒鳴られても出せないものは出せないのだ。

「すみませんもうちょっと待ってください」

もう客の食器さえ引けないほどシンクはたまりきっている、だけどそれを洗う暇余裕もない。

大将も私が一人で回していることは知っているはずなのに怒鳴っている、私はそう思うとだんだんとムカついてきた。そもそもバイトが2人いないのが原因なのにどうして自分が怒られているのだと。

「客を待たせんじゃねえ」

「無理だって言ってるでしょうが」

自分が出した声とは思えないほど、その声は荒げていた。物理的に不可能なことをやれと言われてはいはい言えるほど、自分は出来た人間ではなかった。

そして次の瞬間カウンターにいた大将が厨房に入ってきて、本気の蹴りを私に入れてきた。あまりに痛くて暫く俯いていると。


「なんちゃあてめえ、喧嘩うっとんのかおらぁ」


そんな声が頭上から聞こえてきた。むしろ蹴り上げて悶絶している時間が勿体ないんじゃないかと思ったが、これは八つ当たりなのだなと気づいた。

ほかに二人いない、そんな事情大将だってわかっているはずなのにそう思っても声は届かない。そもそも聞く気が無い。

バイトに遅刻している高校生二人に向けるべきはずの怒りを何故私にぶつけるのか、まだ研修中の札を付けているから、私を未熟だと思っているのか、頭の中には反省どころか怒りさえこみあげてきていた。


結局一人では回せないということで、客に謝罪をして待ってもらうことになった。

何故か私が謝罪をしに行かされた。バイトがいないのは私の責任じゃないし、仕事をさぼったわけでもない。それどころか実直に取り組んでいたのに、頭を下げさせられた。

それはもはや屈辱だった、自分が真面目に取り組んで間に合わないで頭を下げる、それなら分からないでもない。だが自分だけでどうしようもない問題を客に謝罪にいかされる、そこはむしろ大将の仕事ではないのかと。



多忙な時間が終わりを迎えたのは、8時半ごろ、ようやく高校生が来たのだ。

高校の用事で遅れたといいのけたが、それでも私は納得が言ってなかった。

バイトが遅刻しているのに怒られていたのは私だからだ。

私の中にドス黒い感情が芽生えていた。

こいつら当然デスソース食うんだよなと。

そんな事を考えるべきではないと思っても、止めることは出来なかった。

環境は私を変えていた、こんな嫌な奴にはなりたくないと思っていたはずなのに、同じような事を考えていた。


高校生に対してお咎めなしだという事、それを聞いた瞬間私の頭の中は真っ白になった。それどころか大将が私にけりを入れたことを、奥さんは楽しそうに話をしていた。

それどころか遅刻してきた高校生たちが私に頭を下げるといったわけでもなかった。

別に謝ってほしかったわけではなかった、悪かったと自覚しているのだと分かればそれだけでもよかった。

だからむしろあって当然だと思っていたからでこそ、私は自分の正気を疑うようにさえなっていた。



おかしいのはどっちなんだと。

ひょっとして自分が間違えていたのかと。



だが何度考えても私が悪いなんてことはないという結論に向かっていた、多少声を荒げたが、蹴りを入れられるほどではない筈だろう、そうじゃなければ遅刻した高校生たちなど、殺されてもおかしくないくらいの事をしているのだから。


私の中で、バイトや店の人間への信用や信頼といったものがマイナスに振り切ったのをその瞬間に感じた。

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