ちゃぶ台返し
バイトを始めて4か月ほどが経とうとしていた頃、大学から呼び出しがあった。
その理由に思い当たる節はなく、大学の友人と連絡アプリで喋っていたが、ついぞその日になるまで思い当たる節は何もなかった。
私も友人も学校に通っているわけではないのだから、何かやらかしたわけではない、講義を受けなくていいというスタンス自体も変わっていない様子、だが呼び出されたからにはいかなければいけない、私は高い電車賃を払いながら大学へと向かった。
大学のカフェテリアへと向かうと、そこには既に友人がいた。
「家風久しぶりー」
「お前も元気してた、勉強してた」
「いやあ、できねえわ家にいたら」
笑いながら言う友人だった。
彼は家から学費以外のお金を一切出してもらってないと聞いたことがあった。私と似たような状況、いやむしろ私よりも大変であろう状況で、ひたすらにバイトに明け暮れているのだということになる。
そもそも彼に勉強をする時間なんてあるのだろうかと思って、どんなバイトをしているのか聞いてみた、こいつもあんな苦労をしているのかななんて思って聞いてみたら、骨董屋の店番をしていると聞いた。客が来ない間はゆっくりとしてくれてもいいなんても言われているらしい。大変どころか勉強する余裕さえあるじゃないかと思うと、途端に彼が羨ましく見えていた。
「他のやつはどうなんよ、おれスマホとかあんま触ってなかったしさ」
在学中の他の知り合いがどうなっているのか気になった、まだ来ていないだけで元気にやっているのだろうかと。
「ほかとか知らねえわおれ、お前くらいとしか連絡取ってないし、それ自体めったにないしな」
私と友人の交友関係はとても狭いことなのだと分かった。
アプリには彼以外の人間の連絡先はそれなりにあったが、試験に合格して順調に進んでいった彼ら彼女らと連絡を取る勇気は、私にはなかった。
学外の友人もみな働きに出ている、どこまでも出遅れてしまっている感がぬぐえないのだった。
不幸中の幸いと言えるのは、私が仲の良かった人間はみな順調に先に進んでいたか、もしくは就職できていたということで、だからでこそいきなり孤独になってしまったとも言える。彼を除けば、気軽に馬鹿なノリで話をできる相手はその時の私にはいなかった。
そんな駄弁りをしているうちに予定の時間が迫っていた、私と友人はカフェテリアから教室へと向かう、教室を開け広げてみるとそこには私と同じように留年した人や、何故だか現役生の姿まであった。
呼ばれたのがダブった人間だけだと思っていたから、教室のごった返し具合には驚かされていた。
「あれ、俺らだけじゃないんだ」
彼の言う俺らとは、恐らく不合格者の事だろう。
「だと思うよ、あいつとか同じ研究室のやつだし」
私は見知った顔を見つけ、その男を指さす、すると向こうも気づいたのかこちらを向いて会釈をするので、会釈をし返した。
「確かに、自主学習になる前は極稀にに研究室行ってたけどおれも知ってるやついるわあそことか」
彼が指をさす方にも、彼の言う知り合いがいた。何か嫌な予感がし始めていた。
その時の5年生を全て集めるほどの発表だということでもある。
まず始まったのは担当教授の挨拶だった、次に予備校講師がやってきて、俗に言う為になる話。あくびを出しながら軽く身体をうつぶせにしていた。
「なんだいつものやつかよ」
「眠そうだなお前」
「そりゃ眠いよ、バイト終わるのが1時とかで、家出たのが7時前だぜ」
居酒屋のバイトは客の出る時間に左右される、長く居座るとこういったことも起こっていた。
「うわあ、じゃあちょっと寝とくか」
「いいよ、何かすぐ終わるって言ってたし、そんな時間もかからんやろ」
始まる前に担当教授が言っていた、30分くらいで終わる話だと。
時計を見てみると予備校教師の話はもうちょっとで終わりそうだった、残り10分くらいを残していた。
目蓋を擦りながらもその話を聞いている、一年遅れれば最低でも500万を、生涯賃金から失う、嫌な言葉だが現実味が湧かない。
バイトで稼げるお金は月々およそ12万円程度で、ざっと計算しても年140万、実際は扶養云々の関係でそこまで働きはしなくなるだろうが、その3倍弱ものお金を失っていると言われても、途方もなさすぎて頭にスッと入ってはいかなかった。
ただ脅迫に近いものではあった。
「それを落ちた人間に言われてもなあ」
「だよなあ」
友人が言った言葉に相槌を打つ、途方もなさすぎ、怖すぎて、自分の思考が止まっているのだということは、なんとなく察していた。
そんなありがたいお話が終わり、また担当教授が前に出てきた。ここからが本題なのだろう。
教授の左右に一人ずつ教授が立った。その物々しい雰囲気でなにがあるのか、ちょっと怖くもあった。
「ええ、前年度から始まった進級試験についてです」
ああ、それか、私をこんな目にしてくれたあの試験か、頭の中でそんなことを思った。実際には自分の不勉強具合が原因だとはいえ、不意打ちに始まったこの試験の存在はやはり問題を醸し出していた。
保護者の中から抗議も出ていたらしく、所属研究室で結構仲の良かった助教の先生に聞いたところ、かなり抗議の話が来ていたらしい。
6年次にも進級試験があるというのに、どうして5年次に増やす必要があったのかと、それも突然不意打ちのようにと。
その抗議の結果自体はもう既に出ていた、また5年をやっているのだから通らなかったのだということを。
「なので、5年次の進級試験は廃止いたします」
その言葉だけがスッと耳に入っていった。色んな事を思い出しながら聞いていた事や、寝不足も相まって話を殆ど聞けていなかった。
「え、いまなんて言ったの」
「進級試験なくなったってさ、つまり単位取ってる俺らは無条件で進級ってこと」
友人に確かめると、改めてそう返ってきた。耳を疑うとはこのことかと思った、進級試験がなくなる、つまり単位を全て取っている私や彼は無条件で進級できることになる。
本音をいうと試験の事が不安でしょうがなかった、国家試験は毎年毎年難しくなっていた、それに伴い学内の試験もまた難易度を上げていってたので、また今年も難しくなるだろうという予測は容易に立てられた。
それなりに勉強はしていた、だがそれなりだ、それが十分か不十分かさえ分かっていない私は、そのまま合格できるのかどうかという判断すらできていなかった。
進級試験に指定される範囲はない。一応は出すかもしれないであろう場所を、前年の講義の時、それらしくほのめかすことこそあったが、それが罠であったことも少なくはない。
『ここを出すとは言ってませんでしたからね』回答の解説をするとき、教授はそう言いのけたこともある。指定された範囲だけを出すわけではないと言われれば何も言えないが『真面目』だった私は馬鹿正直にそう言った罠にも引っかかっていった。
そして疑心暗鬼に陥っていた。ただでさえ5年分、全てを網羅することはおよそまともな人間には無理だろう。それでも私は完璧を求めようとしていた。
覚えても覚えても無限に湧いてくる、5年という時間の厚みが、目の前の参考書に詰まっている。これをすべて覚えれば国試にも受かる、だがそんなことができる人間が一体どこにいるというのかと思いつつも。
ただがむしゃらに頑張っていた、どれだけ難問が立ちふさがっても、応援してくれる人が身内にも、大学にも、バイト先にだっているのだと背中を押されていた、その頃は日々の勉強時間自体も伸びて、無理なんじゃないのかという考えが、行けるかもしれないというものに変わっている頃でもあった。確実に一個ずつ進めば終わりは必ず見えるのだと。
へとへとになりながらバイトをこなしているときも似たような事を考えていた、残り時間を確認できないほど忙しい時の方が、時間は飛んでいた。勉強もそんな感じになりつつあった。
「よっしゃ、これで楽できるぞ」
友人はそんなことを言っていた、実際はそんなわけは無いのだが、ひょっとすると彼のバイトも大変なのかもしれない。私が勝手に思いこんだだけで重労働だったりするのかもしれない。
そんな喜ぶ友人の横、試験が消えた私に浮かんだ感想は
『なんだそれ』
だった。その試験のせいで1年を費やされ、私の死ぬほど忙しいバイトが始まった。そこでいろんなことを知ったり再会したり教わったり、そんな色んなことを経て、どんなに難しい試験だったとしても、それこそ死ぬ気で合格しようと思っていた私の本気は学校側の勝手でひっくり返されてしまった。
話はそれで終わりと解散になり、電車の時間を待つためにカフェテリアで私と友人はまた駄弁っていた、なんてことはない世間話だ。
たとえどんなに無謀なものでも、目標があるのとないのとでは違った。
その時私はカバンの中に勉強道具として小さめの参考書を入れていた、暇さえあれば勉強をしようと思っていたのだが、その日はカバンから出すことさえなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます