居酒屋の面接

私は実家住みだということで、外の店に食べに行くことが極端に少ない。大学の研究室や部活の付き合いで食べに行くといったことはままあったが、それでも居酒屋という空間はそう何度も行く場所ではなかった。

初めて店の中に入ったときは、いかにも想像通りの夜の店といった感じ、少しばかり暗く感じたのは、まだ開店前だということで照明を付けていなかったからだった。

木製のカウンターに、通路を挟んだ場所にはお座敷があった、さらにカウンターの横を見るとその先に通路があり、薄い柵のようなもので仕切られた大部屋が2か所に分けられていた。

恐らくはどこにでもあるだろう居酒屋といった様子で、カウンターからはケースに入ったその日仕入れた魚が見えたり、棚に焼酎と何か札がぶら下げられいるものが目に入る。

如何にも夜の店を思わせる外装は私の今までの人生に縁のない世界だったが、そんな店が自宅から徒歩2分の場所にあるのだと思うと、いかに自分の世界が狭いのかというのがよく分かった。


電話を掛けてから面接までの流れはとにかく早かった。電話を掛けたその次の日に面接しても大丈夫かと聞かれるのは、如何にその居酒屋が人手不足なのかを表している。

面接に向かった居酒屋は夫婦で経営しているらしく、面接をしたのは奥さんの方で、50代くらいに見えるが、見た目にエネルギッシュさを感じさせる人だ。

まだ開店準備中のようで客はいなく、店のオーナー兼旦那は外を箒で掃いていた。


「んで、志望動機はなんね」

そんななかで面接は始まった、といっても格式ばった感じはなく、一応面接をしてみるかといった風に見える。カウンターの席に並んで座り、身体を斜めにしながら紙が二枚置いてあった。一枚は履歴書を広げたもの、もう一枚は雇用についての説明をしている紙だった。

私は素直に答えることにした、ここで嘘をついてもしょうがなかった。

「大学を留年してしまい、学費の足しにしたいからです」

本心からそう思っているとき、その言葉が淀まないことを私は知った。

以前にもバイトをしていたことはあったが、その時は遊ぶ金欲しさの『学費の為』だったのだが、言葉が引っかかるとでもいうのか、自分の口からスムーズに出て行かなかった記憶がある。その時と比べると、驚くくらい流れるように『学費の為』という言葉が出てきたからだ。

「そうなんね、ところでうちは夕方の6時からやけど、学校とかは大丈夫とね」

恐らく大学の出席などの事を聞かれているのだろう。

「そこは問題ないです、単位自体は全て取ってあり、落としたのが進級試験という試験だけだったので、他の講義に関しては出なくても大丈夫だという了解も、教授から得ています」

「真面目やねえ、じゃあ時間は大丈夫っちゃね」

バイトの理由として絶対に辞めないであろう理由であり、絶対に継続するであろう理由であり、そして高尚な理由だということが相手に伝わったに違いない、なんてことを考える余裕は当時の自分にはなかった。とにかく受かろう、とにかくバイトをしよう、とにかく金が必要なのだと。

そもそもここを蹴られてしまったら、こんな田舎の一体どこにバイト募集があるというのかという話だ、私は必死でもあった。

「ほぼ毎日入れます、ごくたまに大学からの呼び出しがあるかもしれませんが、そこだけは前もって伝えますので」


そこからは給料の話になった、時給制でシフトは相談して店側が決めるといったこと、他の従業員や雇用形態についてなど。

いくつか引っかかることがあった、それは店の身内以外はバイトしかいないことである。構成される面子は大体高校生から大学生、一部社会人が副業としてやっているという話であり、つまり奥さんと店長以外、社員は一人もいないことになる。

そしてもう一つは、雇用についての紙を眺めていた時だった、私は私が今までしたことのあるバイトと比べると100円近く違うことに気付いた。

仕事はその対価にお金をもらう、つまりその差額が一体どこに出るのかといったことが気になり、世間知らずな私にはその差額が嬉しくもあり、怖くもあったのだ。


「じゃ、明日から大丈夫ね」

一通り話をすると奥さんはそう言ってきた、一瞬何のことか分からなかった、採用の為に何か審議でもあるのではないのかと思ったからだ。

バイト自体は初めてではない、実は面接をして落とされたこともある。とにかく即日で決定するといったことが今までなかった分、何もかもが知らない世界の知らないルールの話ばかりで、少しばかり置いてきぼりにされていた。

だから少しして、バイトとして採用されたのだと理解できた。頭が追いついてくると同時に、これから全く未知の世界に飛び込むのだと思うと、また肩に力が入っていた。

とにかく金を稼ぎたいという要望を伝えていた私は、店の営業が週6日あるうちの、4~5日ほどのシフトに入ってもらうことになるだろうと聞かされた。

「それでよろしくお願いします」

そう言って頭を下げる、すると奥さんは手をこちらに伸ばしていた。それが握手だと分かると、私は手のひらをシャツで拭いて、その手を伸ばす。

手を少し痛いくらい力強く握りしめられた、とても50代の女性の握力とは思えないほど強かった。居酒屋が肉体労働なのだと、その時点でうっすら察してしまった。

「じゃんじゃん働いてもらうけんね」

そう言われた。何か間違えたような気分になっていたが、それはきっと何も知らないせいだと自分に言い聞かせながら。



その日はそのまま家に帰った。店から家までも徒歩2分となると本当に気楽で便利で助かる、よほど寝坊でもしない限り遅刻することも無いのだ。

私は小学校から大学にかけて、どんどん登校時間が長くなっていたものだからか、2分という快適さには心惹かれるものがあった、大学に行くときなど、その45倍はかかるのだ。途方もない数字だなと思ったが、それを6年は通ってきたのだと思うと、我ながらすごいことだと思っていた。

バイトを採用してもらえたということを家族に伝えた、。

「頑張らんとね」

そのころには、初めて結果を知らせたときの激高も、結果を通知で知ったときのような悲壮感も見えなかった。本当に大変なのは学費を払ってくれる家族なのだと思うと、両親が今この時だけ感情を隠しているのだと思うと、私がここから逃げることなど許されるわけはないだろうという気持ちに、なっていたのだった。

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