選り好みができない理由
アルバイトをすることになった私が一番最初に気に掛けたのは、大学の講義についてだった。
進級試験だけを落としたが、講義自体の出席日数はクリアしてあり、他の教科についてもすべて履修している状態で、もしまた出席しなければいけないとなると時間やお金がかかるのが目に見えていた。
実家から通っている私にはその定期代と原付を動かすガソリン代ですら削る必要があったし、外に行くのであれば昼食代だって馬鹿にはならない。
そこで私は、もし可能なら自宅学習という形にはできないだろうかという話を、進級試験の担当教授にしてみたのだった
「ああ、君みたいな人は結構いたんだ」
「なんとかー、ならないですかねえ」
「うん、大丈夫だよ、教授会議でもその話は出てて、もうある程度自宅学習ってことで決まってるから。他の単位は取れてるんだよね」
「はい、それはもう大丈夫です、試験だけだったので」
「きみ達も災難だったよねえ、いきなり進級試験やり始めてさあ」
「あはは」
そう、私の年にいきなり進級試験が始まったのだ。それも半年を切った段階から。進級試験と言っても実質的に国試レベルのものであり、前もって勉強をしている人以外はほぼほぼ落ちている、まさに闇討ちのような試験だった。実際非難がそれなりにあったとも聞いている。
そして他の講義を履修している人に限り、大学に講義を受けに来なくてもいいという条件になりつつあるといった話を聞いた。
もし聞き間違いだと大問題になると思い、そのことを不安になりつつも何度も聞いた。
「大丈夫、大丈夫だって、僕を信じてよもう」
「すみません、これで聞き間違いだったらーなんて思うと怖くて怖くて」
「まあ気持ちはわかるけどね、だったら学籍番号教えてよ、もし何かあっても僕が責任を持つから」
「ありがとうございます」
教授の苦笑いを引き出すほどに、私は必死だった。
そのあとに聞いた自宅学習については、登校しなければいけないといった強制力の働くものはほとんどなく、提出しなければいけない課題が出るわけでもなかった。
そして一年近くは数回の登校以外に何かをしなければいけないということはなくなっていた。
アルバイトをフルタイムでもできるような環境こそ成立していたが、それで勉強を疎かにしては何のためにアルバイトをしているか分からないので、半日くらいは勉強に充てることにした、それが達成できるかどうかは別としてだ。だからフルタイムの仕事には入れない、必然的にバイトしか選べなくなっていた。
だがここでもう一つ問題が発生した、それは立地についてった。
例えば普通の人がアルバイト自体を探すことは容易い、パソコンを立ち上げ、検索エンジンで地名とアルバイトの種類だったりアルバイトという文字そのものを打つだけでもいい、場所も募集時間や最寄りの駅なども、ものの数分で見つけることができる。
そういった常識が田舎では通用しないのだ。
新聞と一緒に送られてくる広告に社員の募集のようなものはあるが、そこにあるのは正社員の募集だったり、あってもロングパートなどの長時間労働くらいしかないのだ。
最寄りのバイト募集をネットで探してみれば、見つかるのは車で1時間といった場所にあったりする、交通費も洒落にならなくなってきては本末転倒なのだ。
そして自宅学習といっても大学に全くいかなくていいというわけではなく、たまに呼び出されることもあったためフルタイムのパートはできない、必然的に時間の融通がしやすいバイトということになる。
それでも探せば意外と見つかるもので、最初に見つけたバイトは、店の表に募集広告を出していなかったが、店の中には張り紙を貼ってあるという個人経営の居酒屋だった。その張り紙を教えてくれたのは、普段あまり会話をしない父だった。なんだかんだと父も気にかけているのだなと知った。
灯台元暮らしとでもいうのか、家から歩いて2分という破格の立地だった。
居酒屋のバイトと聞くと、ネットにどっぷりとつかっている私のような人間は全くいいイメージがない。きついし、ブラックだし、肉体労働だと、むしろいい話の方が聞いたことが無いくらいの印象で、最初こそしり込みをした。
だが大学に通わせてくれるために、無駄に学費を多く払ってもらう親を考えれば、私には選択肢などそもそもないのだと思い至った。
むしろいい社会経験にでもなるんじゃないのかくらいに考え始めた。きつい仕事はいくつか経験してみた方がいい、そういう話もまあまあ聞いたことがあるじゃないのかと。
その店自体はたまに横目に見かけていたが、私自身が中に入ったことはなかった。
同じ地域にある店ながら、店の人間がどのような人たちかも知らないといった不安も多少はある、だが父はその店にたまに入ると聞き、その店の大将の人柄は悪くないという話を聞いた。不安が心を押しつぶさんとしていたが、心変わりする前にと、私はすぐさま電話を掛けてみた。
コール音が3回ほど鳴る、その間に出てほしくないなという気持ちも見え隠れする。他の場所に行くべきだったかなという後悔もちらほらと見え始めるころ、向こうの電話を取る音が聞こえてきた。もう逃げられないと思った。
「すみません、家風というものですが、そちらでアルバイトの募集をしていると聞きまして電話を掛けさせていただきました」
「あー、ありがとうございます」
女性の声だった、母より少し歳がいっているかのような印象を受けたが、機械越しの声はそれほど頼りにはならないと知っている。
「うちが今募集しているのはホールで、肉体労働がメインとなっていますがよろしいでしょうか」
いやなイメージが脳裏に浮かぶが、それをすぐさま振り切り、努めて明るい声を出そうとした。
「はい、大丈夫です、いつからでも入れます」
「分かりました、それでは面接をしたいと思うので、履歴書を持って、えー、予定は明日など空いてますか」
ものすごく早いなと思ったが、できる限り早く金を稼ぎたいと思っていたので渡りに船だとも思った。
「大丈夫です」
「じゃあ明日の5時半はどうでしょうか」
「大丈夫です、はい、どうかよろしくお願いします」
「では、お待ちしております」
頭を下げながら私は3秒待って電源を切った。これで逃げられなくなった。
ネットでは絶対にやるなと言われるアルバイトがある、それがコンビニバイトと居酒屋のバイトだ。そのうちの一つに私は今から飛び込む、少し怖くもあったが、少し楽しみでもあった。知らないことを知るというのはどんなことでも楽しいものだから。
例えそれが、私を変えるアルバイトになると知らずとも。
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