41.打ち上げ的な夕食会

 チクタクと時計の秒針が進む音だけが部屋の中で鳴っていた。

 外もう暗く、部屋を照らしているのは月明かりのみ。そのためか部屋の大部分が闇に支配されている。

 そんな中、私は先程一花が訪問してきたときのことを思い出していた。


 果たしてあの謝罪は一花の本心だったのだろうか。

 普通に考えれば本心だったといえるだろう。しかし、相手は一花だ。もしかしたら本心ではないかもしれない。だってそう思ってしまえるだけのことを私はされてきたのだ。今更信じられるはずがない。


「でも……」


 彼女の言葉からは嘘を言っているような印象を受けなかった。心から本当にそう思っているように感じた。


 だからこそ私は混乱していた。この謝罪をどう受け止めればいいのか分からなくなっていた。


「もうなんなの……」


 これ以上は無駄だと考えるのを止め、夕食の準備に取りかかった丁度そのタイミングで再びインターホンの音が部屋で鳴り響く。今度こそあの男だろう。


 玄関へと向かいドアを開ける。すると予想通り、あの男──桜田が目の前に立っていた。


「一緒に夕食でもどうだ?」


 桜田らしからぬ突然の誘い。

 今日は一体どうしたというのだろうか。普段ならこんな遅い時間に訪問して来たときは彼が自分から私の家に上がろうとすることはない。


「桜田君にしては珍しいね」


 思わずそう声を掛ければ、桜田からは『たまにはな』という言葉が返ってくる。


 それから私は桜田を家に上げ、ダイニングルームにある椅子に腰掛けた。

 どうやら桜田が料理を持って来ているようで、先程から手に下げていた手さげのようなものからタッパーを取り出すと続々とテーブルに並べ始める。


「すごいね」

「ああ、ご飯は炊いてるか?」

「うん、それなら朝に予約してあったはず」


 着々と準備を進め、あっという間に夕食の準備が完了する。とここで唐突に桜田が妙なことを聞いてきた。


「……何かあったか?」

「別に何でもないよ」


 私って今そんなに分かりやすい顔をしているのだろうか。桜田に見透かされるなんて、なんだか恥ずかしい。


「そうか、変なことを聞いてすまない」

「ううん、別に大丈夫だよ。でも一つだけ聞いて良いかな?」


 私は一体桜田に何を話そうとしているのだろう。

 まさか一花のこと? 

 駄目だ、彼女のことは私個人の問題で彼には全く関係がない。だからこれは私だけで決めなければいけない問題。しかし、そうだと分かっていても私の口が止まることはなかった。


「これはもしもの話なんだけど。昔に酷いことをしてきた人がある日突然、心変わりして目の前に現れたら桜田君だったらどうする?」


 ああ、聞いてしまった。しかも結構直接的に聞いてしまった。これは流石に色々察してしまったかと思ったが、彼は考えることに夢中で細かいことには気付いていないようだった。


「そうだな、俺だったらどうするか……」

「そう、桜田君だったらどうする?」


 うーんとしばらく悩んだ末、桜田は思い出したように昔話を始める。


「……ところで少し話は変わるが有栖川は昔のことって覚えているか?」

「昔のこと?」

「ああ、有栖川は覚えてないかもしれないが小学生の頃も実は俺達こうやって話してるんだ。というか友達だったのか」


 いきなり何を言っているんだ。私と桜田が昔もこうやって話していたなんて、そんなことあるはずが──。


 ──花ちゃんはどうしていつも一人なんだ? もしかして友達いないのか?


 いや──。


 ──花ちゃんはいつも難しいこと考えてるな。そんなこと気にしなければ良いのに。


 そんなこと──。


 ──花ちゃん、もし良かったら俺と友達になるか。俺は……。


 あるかもしれない。

 引っ込み思案だった私にいつも話しかけてきてくれた失礼な男の子。

 友達になってすぐにどこか遠くに引っ越してしまった無責任な男の子。


「……そっか、もしかしてあのときの男の子が」

「……?」

「いや気にしないでこっちの話だから。それでまだ質問の答え聞いてないんだけど」

「まぁちょっと待ってくれ」


 私は質問の回答を催促するが、一方の桜田は手を出して待ったのポーズをする。そして彼は再び昔話に花を咲かせ始めた。


「それでな、俺はある時有栖川に聞いたことがあるんだよ。地球がもし明日終わるとしたらそれまで何をしたいってな」


 なんだ、その質問。スケールが大きすぎて付いていけない。

 でもその時私はどんな返答をしたのだろう。記憶を探ってもパッとは出てこない。しかし桜田はその答えを覚えているようでフッと軽く笑うと話の続きを口にした。


「そしたら有栖川はこう言ったんだ。別にいつもとやることは変わらないよってな。だから俺もさっき有栖川の言っていた状況に遭遇したとしたら同じことするんじゃないか」

「同じことってどうするの?」

「そんなの俺だったら、いつものように朝起きて、学校に行って、空を見る。ただそれだけだ」


 いつものように朝起きて、学校に行って、空を見る。

 最後の一つだけなんとも桜田らしい。


「有栖川は難しく考え過ぎなんだ。昔みたいにもっと簡単に考えた方がいい。有栖川はどうしたいんだ?」


 私は一花とどうしたいのだろう。

 別に喧嘩がしたいわけじゃない。

 だからといって仲直りがしたいわけでもない。

 だとしたら復讐? それもない。


「私は……」


 何がしたいのか。

 私はただこの自分の中で蠢く醜い感情どうにかして心の平穏を保ちたいだけだ。

 しかし、どうにかするには相手を許すことなんて出来ない。

 だとしたら何をする。


「……私はそいつを追い返すかな」


 許すことが出来ないなら追い返す他ない。

 何も絶対に相手を許さなければいけないことはないのだ。


「そうか、だったらそうしたらいい」


 桜田は背中を押してくれるような言葉で私にそう告げる。この様子だともしかして彼は既に私の質問の意図を理解していたのだろうか。そうだとしたら本当に食えない男である。


 それにしてもそうか、別に動じる必要も下手に構える必要もなかったんだ。

 昔のことなんて関係ない、今の私らしく対応すればそれで問題なかった。そうだと分かってしまえば不思議と気分が楽になる。


「ごめん、ちょっと席外すね」

「ああ」


 私は椅子から立ち上がり、自分の寝室へと移動する。

 それから自分の携帯を取り出した私はある人にメッセージを送った。


『さっきのことだけど、私あのときのことは一生許せないと思う。だからもう友達とか無理だけど、でも話相手くらいにならなってあげてもいいよ』


 今の私らしく、上から目線で、きっぱりと。

 送ったメッセージにはすぐに既読が付く。そして相手から新たなメッセージが送られてきた。


『ごめん、やっぱり今更だったよね。でも何か反応を返してくれて嬉しかった。本当は罵倒くらい覚悟してたけど、やっぱり花蓮ちゃんは優しいよ。ごめんなさい』


 私はそのメッセージを一目確認し、携帯を机に置く。


「最後にごめんなさいって後味悪すぎでしょ」


 別に許したわけではない。

 でもだからといって話すことすら拒むほど私の心は狭くないのだ。だからこれでいい。


 一先ずやることをやった私は桜田が待つダイニングルームへと戻った。



◆ ◆ ◆



 ダイニングルームに戻ってくると桜田の顔が玄関の方へと向いていた。


「お邪魔します」


 聞こえて来た声に私も玄関の方を見る。するとそこにはちょうど今来たと思われる楓の姿があった。

 こんな時間に一体どうしたのだろうか。


「楓? どうしてここに?」

「桜田に呼ばれたんです。それとすみません、鍵が開いていたので勝手に入って来ちゃいました」


 彼女は玄関で靴を脱ぐとまっすぐに私の隣までやってくる。


「桜田君、呼んでるんだったらせめて私に一言くらい欲しかったかな」

「すまん」


 いつもの無表情、本当に反省しているのだろうか。まぁいいけど。


「そういえばお二人は先程まで何か話をしていたんですか? さっきからいくらメッセージを飛ばしても反応がなかったので……」

「まぁちょっと色々あってな」

「そうそう、ちょっと地球が滅亡するって話をしてただけ」

「そんな話だったか?」

「なんですか、そのスケールの大きな話は! 詳しい話を是非!」


 まさか楓が地球滅亡の話に食い付いてくるとは。案外彼女はこういう話が好きなのかもしれない。

 とそんなことより大事なことを忘れていた。


「それよりせっかく来たんだから楓も一緒に食べようよ。今まですっかり忘れたけど、まだ『いただきます』してないんだよね」

「でも良いんですか?」

「ああ、俺は元々そのために和泉を呼んだんだ。だから遠慮しなくていい」

「そういうことだから。ほら、楓も席について」

「はい、ではお言葉に甘えて」


 私と桜田が先に席につき、その後にご飯をよそったお椀と箸を持ってきた楓が私の隣の席へと腰を下ろす。

 どうやらご飯はギリギリ足りたらしい。


 しかしながら、こんなにも賑やかな夕食は初めてかもしれない。まぁ賑やかというよりは騒がしいといった方が正しいけど。


「ところで桜田はちゃんと合コンで有栖川さんを護衛出来たんですよね」

「それは一応な」

「へー、護衛とかしてくれてたんだ」

「ああ、和泉が心配だって煩くてな」

「ふーん、そのわりには一花ちゃんとずっと話してたみたいだけど?」

「ただのコミュニケーションだ」

「ほほう、そういえばずっと気になってたけどなんで一花ちゃんは名前呼び捨てなのかな?」

「それはあれだ…………。そんなことより早く食べないか? 折角の料理が冷める」

「そうだね、この件は後でみっちり聞くことにするよ」

「……そうか、後でみっちりか」


 いつの間にか体が芯から温かくなっていく。それに伴って段々と心も満たされていく。


「有栖川さん、また珍しい表情してます」

「それって前言ってたやつでしょ? 詳しく知りたいから私が今どんな表情してるのか教えてよ」

「えーとですね。いつもより温かいというかなんというか……」

「ああ、優しいというかな」

「それで?」

「その、なんと言いますか。……とにかく私が一番大好きな有栖川さんの表情です!」

「……もうそこで諦めないでよ」


 そうか、これが噂で聞く人の温もりというやつなのかと私は不覚にもそんなことを思った。


「……ってそうだ、今度こそ『いただきます』しようよ」

「そうですね」

「もう話を脱線させるのはなしだよ、桜田君」

「いや俺は何もしてないだろ」


 そして私は……。


「じゃあみんな手を合わせて」

「「「いただきます!」」」


 もしかしたらこの三人でいる時間が結構好きなのかもしれないとそんなことも思った──。

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屋上に呼び出されたので告白されると思ったら、弱みを握られていてピンチな件 サバサバス @misogasuki

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