15.彼らはどうやら物好きらしい

 憂さ晴らしを終えた私は屋上へと繋がる階段を降りて昇降口へと向かっていた。

 いつも私が下校する時間はとうに越えていて、外に見える夕日も沈みかけ。窓から差し込むオレンジ色の光は闇に飲まれつつある。

 そんな光景を歩きながら見ていた時である。ふいに気配を感じて後方確認するとそこには既に下校したはずの二人がいた。


「有栖川」


 一方は若干の怒りを顔に滲ませている桜田。


「有栖川さん……」


 もう一方はオロオロしながら私の様子を窺う楓。


 何故帰ったはずの二人が今ここにいるのかは一旦置いておいて、私はまずとある質問を二人に投げ掛ける。


「もしかして聞いてたの?」


 私の質問に桜田の方は何も答えることなく、もう一方の楓が私の質問に答えた。


「はい、聞いてました。その、本当は聞くつもりなかったんですが……いえ、これ以上は余計ですよね。すみません」


 若干動揺している楓の様子を見る限り、二人は本当に先程のやり取りを聞いていたのだろう。

 そして彼女が動揺してしまった理由は恐らく私の屋上でのやり取りを聞いていたため。今まで彼女には完璧美少女である私しか見せてこなかったのだ。いきなりの猫を被っていない私の姿に動揺してしまうのも無理はない。


「今度こそ失望した? でもこれが実際の私なんだよ」

「これが本当の……」

「そう、実際の私は優しくもないし、尊敬出来る人でもない。本当は人に土下座をさせて憂さ晴らしする悪い人なんだよね」


 私の言葉を聞いて、難しい顔をしながら黙り込む楓。

 これでもう彼女が私を師として慕ってくることは無くなるだろう。彼女が慕っていたのは完璧美少女を演じていた私であって、今の私ではないのだ。

 まぁ私にとって都合の良い人間がいなくなるのは残念だが、これはこれで仕方ない。

 元々私も彼女が離れてくれるのを望んでいたわけで、この結果は私としても願ったり叶ったりだ。


「……どうして嘘を付いた?」


 楓との話が終わったと思ったら次は桜田が怒りを滲ませた表情のまま私に質問をしてきた。

 次から次へと面倒だが適当に話を流して逃げられる雰囲気でもない。


「私がどんな嘘を付いたって言うの?」

「有栖川は和泉のことに関わらない、何もしないって言ってただろ」

「言ったね」

「それなのにどうしてこんなことをしたんだ?」


 この男は一体何を言っているのか。どうして彼が怒っているのか未だに分からないがこれだけは言わせて欲しい。


「私は私のためにやっただけで、そこに楓は関係ないよ」

「でも有栖川がここまでするなんておかしいだろ」


 恐らく桜田は普段猫を被っているのにどうして今回に限ってこんなことをしたのか理解できていないのだろう。だが私からはこれしか言えない。


「そんなの許せなかったからに決まってるでしょ。私はただその憂さ晴らしがしたかっただけで他に理由はないよ」

「今まで隠してきた事がバレるリスクを負ってまですることか?」

「心配しなくても大丈夫、そこはちゃんと考えてやってるから」


 そう、もしそんなことしたら彼女らの恥ずかしい過去を全校生徒にバラすだけである。

 それに彼女らが私についての良くない噂を流しても私は反論する。彼女らの言葉と私の言葉、他の生徒達がどちらを信じるかは想像に難くないだろう。


「でも……」


 一体桜田は何に引っ掛かっているのだろうか。これらは全て彼にとっては全く関係ないことだ。

 まさか友達だから心配だとでも言うつもりなのか。


「でも、何?」


 私が桜田に続きの言葉を催促すると、彼は突然何かを決心したように私を見た。

 まずい、やられる!

 咄嗟にそう思い、目を閉じるが一向に彼の拳が降ってくることはない。恐る恐る目を開けると、そこには目前まで迫った彼の胸があった。


「……でもやっぱり俺は心配だ。だから許してくれ、有栖川!」

「ちょ、ちょっと待って桜田君。これ流石に近すぎるから! それと私何されるの!?」


 ここに来て更に近づいてこようとする桜田を慌てて制止するが、私の言葉は彼に届かず。

 彼は俊敏な動きで私の後ろに回り込むと私の肩を強引に掴む。

 そうして私が逃げられないようがっしりと肩を固定した彼はそれから前方にいる楓に向かって叫んだ。


「和泉! 今だ、やれ!」

「はい、桜田!」


 なに? 私本当に何されるの!?

 一瞬にして周りの空気が張り詰めると同時に私の心臓は極度の恐怖からかバクバクと速く鼓動する。

 そんな危機的状況にまずは心を落ち着かせようとしていると目の前から楓が全力でこちらに向かって走ってきた。


 まさかのチャージング。思わぬ物理技に今度こそダメージを覚悟した私だったが楓は直前で急停止し、それから大きく手を広げて私の方へと飛び込んできた。


「有栖川さん!」


 私に抱きつきながら私の名前を呼ぶ楓の目にはいつの間にか涙が浮かんでいた。

 これって私が悪いのかな?

 しばらく身に覚えのない罪を着せられたような、そんな感覚に陥っていると、涙を浮かべたままの楓が私に感謝するような目を向けて口を開く。


「嬉しかったです。有栖川さんがまさかあんなことをしてくれるなんて思いもしませんでした。有栖川さんは私のためじゃなくて自分のためだって言ってましたけど、それでも私は嬉しかったんです」


 私の行動の結果によって楓が嬉しかったと感じてもそれは仕方ないことだ。

 実際私もそう取れるような行動をした自覚はある。

 だがそれでも私は彼女のために行動をしたわけではない。

 全ては私の私による私のための行動、それは決して誰かに対する思いやりなどではない。


 だからつまり『楓が勝手に嬉しくなってるだけでそこに私は関係ない』とそう言葉にして伝えようとした矢先、楓の口から先程と百八十度違う言葉が飛び出してきた。


「でももうこんなことは止めてください!」


 まさかの展開に口から出かけていた言葉も喉の奥へと引っ込んでしまう。


「有栖川さんは自分のことを過信しすぎです。さっき桜田が言っていたことをもっとしっかりと考えてください!」


 桜田がさっき言っていたこととは恐らく今回の私の行動に対するリスクのことだろう。

 まさか楓に怒られるなんて思いもしなかったが正論なので何も言い返せない。

 確かに私は後のことを考えて出来るだけリスクを負わないようにはした。だがそもそも何もしなければリスクを負うこと自体ないのだ。


「桜田と同じく私も心配なんです。だからこんなことは今回だけにしてくれませんか?」


 二人にここまで言われたら私も無視するわけにはいかない。というかこの状態で彼女のお願いを無視したらいつまで経っても家に帰れないのだ。なのでここは私の方が折れるしかないのだろう。


「分かったよ、分かったからもう離して」

「そうか、分かってくれたか」


 桜田のそんな一言と共に肩にかかっていた圧力が一気に無くなる。それとほとんど同時に楓も私に絡めていた腕を解き、すっと離れた。

 なんだかあの二人を相手にしたときよりも今の二人を相手にするときの方が疲れたような気がするのは気のせいか。いや、きっと気のせいではない。


「じゃあ、私はもう帰るから」


 帰るため昇降口の方に足を一歩前に出すとまたもや桜田に肩を掴まれる。今度は一体何なんだ。


「……何?」


 ため息混じりに振り返り、桜田の姿を確認する。

 それに対して彼は私に向かって深く頭を下げていた。


「言い忘れていたが、今日はありがとう」

「何のお礼? 私お礼をされるようなことなんてした覚えないけど」

「そんなの決まってるだろ。さっき屋上であったことについてのだ」

「だからそれは単純に私があの二人を放っておくことを許せなかっただけで……」

「どうして和泉のことで有栖川が許せないんだ?」

「それは……」


 この男、私の揚げ足を取ってそんなに楽しいか。

 そうだ、彼の質問にどうして私が律儀に答えないといけないんだ。別に答えなくても良いじゃないか。


「……関係ないでしょ。もう遅いから次こそ帰るよ」

「分かった、引き止めてすまない」


 私は桜田の言葉を聞いてすぐに再び昇降口の方へと歩き出す。その時、背後から二人の微笑ましそうに笑う声が聞こえたので私はその声が聞こえなくなるよう歩く速度を速めた。

 それにしても私が本性を見せて尚、何一つ接し方が変わらないなんてこの二人はとんだ物好きらしい。

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