8.弟子が出来ました(不本意)

 それはとある日の放課後、誰もいなくなった教室でのこと。私は一人自分の席にいた。


「さてと、もうそろそろ帰ろうかな」


 教室に誰もいなくなるまでの時間潰しに読んでいた本を閉じ、一度周りを見渡してから自らのかばんの中にしまう。


 家が特定されることを考え、つい最近になって始めた誰もいなくなるまで教室に最後まで残っているこの作戦。初めはただ帰る時間が遅くなるだけだとマイナスなイメージしか持っていなかったが、やってみたらこれがもう意外とハマってしまい、今となってはこの一人で教室にいる時間というものが私の心安らぐ時間の一つとなっていた。


 そんな安らぎの時間を終え、帰る準備を着々と進めていた私だが、かばんの中身をチェックしている途中で一枚の剥き出しの便箋が私のかばんの中からひらひらと床に落ちる様が視界の端に見えた。


 どうせ誰かが私のかばんに忍ばせておいたラブレターか何かの類いだろう、とそう勝手に決めつけてその後も気にせずに準備を続ける。


 それから少ししていざ帰宅しようとする前、一応ラブレターは家に持ち帰ってから処分する主義の私が先程ひらひらと宙を舞っていた便箋を回収するため机の下を覗き込むと、途中机の中に便箋とは別で『和泉いずみです』と自己紹介のようなものが大きく中央に書かれた、一見するとただのゴミのような紙切れがあった。


「何これ? 誰かのイタズラ?」


 手に取って見ても、何か特殊な仕掛けとかそういったものはない。

 特徴を上げるとすればノートの切れ端に書かれているということと、書かれている文字が達筆なことくらいだろうか。それ以外には全く、これっぽっちも特徴がないただの紙切れだ。


 そういえば中学校時代に誰かがこういった手紙のようなものを回していたのを見たことがある。

 恐らくこれも同じようなもので私の机に紙切れを入れた人は私と誰かを間違えたのだろう。


 すぐさま結論が出たのは良いものの、教室に残しておいたら後で何か言われるかもしれない。証拠隠滅の意味も含めて便箋と同じように紙切れをかばんの中にしまった私はその後何事もなかったかのように教室を出た。



◆ ◆ ◆



 そして次の日の放課後、前の日と同じく最後まで教室に残っていた私が帰りの準備を進めていると、どこからか熱い視線を感じた。私も一応美少女、そういった視線を向けられること自体には慣れてはいる。

 だが今回は少し妙だった。妙というのも普段なら誰がどこから見ているのかすぐに分かるのだが、今回はどこから視線を向けられているのか全く分からないのだ。


「ねぇ、誰かいるの?」


 まるで全方向から見られているような不気味な視線を送る相手に対して試しに声を描けてみるも何かが反ってくるようなことはない。


 まさかお化けじゃないよね、と若干恐怖を感じつつも素早く帰る準備を終わらせる。

 それからすぐに帰ろうと自分のかばんを持ち上げた時、どこかで見覚えのあるような紙切れが教室の床に落ちているのが目に入った。


「これって……」


 恐る恐るその紙切れを手に取る。手に取った紙切れは昨日と同じで何の特徴もない。ただ裏返してみるとそこには昨日と同様、達筆な文字でこう書かれていた。


「弟子にして下さい……」


 声に出して読み上げたその時、突然教室後方の扉がガラガラと音を立てて開く。

 そしてその扉から現れた人物は教室の中に入って早々に深く頭を下げた。


「私をあなたの弟子にして下さい!」


 突然やって来たのは平均的な身長の私よりも二回り程背が小さい、黒よりも少し明るい色の髪を肩くらいで切り揃えた眠たそうな目をした女の子。そして私は彼女を知っていた。


 彼女の名前は和泉いずみかえで、今は違うが一年生のときにクラスが一緒だった同級生だ。

 一年生の時にあまり会話をした記憶はないが、彼女が人と関わることを苦手としていたタイプだったということは覚えている。

 そんな彼女がどうして私の前で頭を下げているのか、まずはそれを理解する必要があるだろう。


「えーと、どういうことなのかな? 和泉さん」

「え、えーとその、私も有栖川さんみたいに大人っぽい女性になりたいと思いまして。そ、そのご迷惑でしたでしょうか?」

「いや、迷惑とかそれ以前に私と和泉さんってあまり話したことないよね? だからいきなり弟子っていうのはちょっと……」

「それはそうかもしれません……」


 そう、私と和泉は一年生の時からあまり関わりがない。関わりといっても朝に挨拶をしていたくらいなのだ。

 それに話したことある、話したことない以前に彼女を弟子として受け入れるということは常に私の側を付いて回る可能性があるということ。それはつまり、うっかり私が本性を出してしまったら彼女に私の本性が知られてしまうかもしれないということなのだ。正直そんなのがあの男以外に増えたらと思うと頭が痛い。


「でも私、有栖川さんをずっと見ていて思ったんです。普段はしっかりしてるのに一人の時はあんなに楽しそうに鼻歌とか歌っちゃうんだなって。音程がほとんど合ってないのはあれですけど、でも逆にそこがギャップになって素敵です。私もそんな人に愛されそうな人間になりたいんです!」

「あの、ちょっと待って。ずっと見てたっていうのは?」

「それは言葉の通りですが、あっ、ここのカメラで見てました」


 カメラがあると言われた場所を見てみるとそこには巧妙に隠された小型カメラが確かに設置されていた。先程感じた奇妙な視線の正体はこのカメラだったのだろう……ってそうじゃない。これは立派な盗撮だ。

 いつ、どこから、何を撮っていたのか詳しく問いただしたいところだがその前に確認しておかなければならないことがある。


「私そんなに音程外してた?」

「はいそれは……で、でもとても綺麗な声でしたよ!」

「そ、そうありがとう」


 こんな反応をされれば流石にお世辞だということは分かる。……いや待てよ、これで私が音痴だと決めつけるのはまだ早い。

 歌っているのを聞かれたときは単に私の喉の調子が良くなかった可能性があるし、彼女の耳がおかしいだけという可能性だってある。そもそもこの私が音痴だなんてあり得るはずがないのだ。そうだ、あまりの上手さに思ってもない言葉が出てきてしまっただけなのだろう。

 きっとそうに違いないと決めつけて私はそれからすぐに本題へと話を変える。


「で、話を戻すんだけど盗撮はいけないと思うよ」

「盗撮ですか? 確かにそれはいけないことですよね」

「自覚してるかな?」

「何をですか?」


 駄目か。あの男に続いてこの女、どうして私の周りにはこんな変なやつしか寄ってこないのだろう。


「もう良いよ、許す。盗撮のことは一旦全部水に流すから今の話は全部忘れて。でも今後こんな真似はしないようにね」

「許すって良いんですか! 本当に私を弟子にしてくれるんですか!」

「いや、そうは言ってないよ。私は盗撮のことを……」

「ありがとうございます! おめでたいです。今日は帰ってからお赤飯です!」


 話を聞いていないというか、自分の世界に入っているという感じで既に私の入り込む余地がなかった。


「じゃあ師匠、明日から早速よろしくお願いします!」

「……ちょっと」


 何をよろしくされたのかも分からず、とりあえず手を伸ばすがそのときには既に和泉の姿は私の視界の中から消えていた。

 教室の窓の外からは部活をする生徒達の掛け声が聞こえ、その中に時折紛れて聞こえるカラスの鳴き声がまるで今日までの私の平穏な放課後に終わりを告げているような、そんな気がした。

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