帝都⑥

第44話 私達はこの世界で生きていく。

 青い空。

 白い雲。

 眼下には大海原。


——神藤さん!


 誰かが呼んでいる。


——神藤さん! ねえって! また面白い本を見付けたの!


 そうやっていつも、私に本を持ってくるんだ。それは、図鑑でも辞書でも歴史書でも聖書でもない。


——ほら! 『ゲーム世界に転生した俺がチートハーレムを築きながら帝国を滅ぼす話』だって! 面白いタイトルよね!


 全く面白そうには思えないタイトルの本だ。どこかで見たような展開の話が繰り返される退屈な小説。


——だってタイトルというよりこれ、あらすじじゃない! この本の良い所は、読まなくてもどんなストーリーかすぐ分かる点ね!


 じゃあ読まないわよ、と私は言う。


——文章が綺麗なのよ。キャラクターも魅力的で。男の子向けのタイトルと舞台だけど、私が読んでもとっても面白かったわ!


 でも、ゲーム世界に転生して反則的な能力か何かを使ってハーレム築いて帝国を滅ぼす物語なんでしょう? 似たような小説はこの前貴女に読まされたし、もう飽きたわよ。


——違うって! これはまた違うのよ! いいから読んでみて!


 都合と運の塊で構成された思慮浅い主人公とそれを盲目的に狂信するヒロイン達は?


——出てくるよ。


 ほら。良いわよもう。何が面白いんだか。


——でもオススメよ! だって、こんな小説を書く人はもう、今の時代、ひとりも居ないんだから!


 何故、彼女がここまで男の子向けの軽い小説にドハマりしてしまったのか。私には分からなかった。

 確かに、世界は滅亡した。しかもそれからかなり時間が経っている。私だって、21世紀の文明なんて知ってることの方が少ない。


 青い空。

 白い雲。

 眼下には、大海原。


——ねえ。人類移住計画は上手く行ったかな。


 世界の滅亡前に。主要各国の政府は協力して、地球を脱出する計画を打ち出した。方舟計画『プロジェクト・アルファ』だ。

 人類の命運を決める一大プロジェクトで、本当に大勢の人達が携わった。

 結果的に。

 仕方無いけど、地球に残される人達が出てくる。そりゃそうだ。全員は無理。そんな船作れっこない。そもそも宇宙へ行けるのは全体から見れば少数だ。


 そして、全員が地球を捨てる決断ができる訳でもない。当時二十歳前後だった私の祖母は、自らの意思で残ることを決めたらしい。そのせいでか、そのお陰でか。私も地球に生まれた。世界と文明は滅亡したけど、人類が全滅した訳じゃない。


 We will keep living on this world.


 私達の標語だ。人類の。移住先の惑星でもこれが掲げられるらしい。


——ねえ神藤さん。


 なあに? 星野さん。


——私達、そろそろ出会って1年でしょ? そろそろお互い、下の名前で呼びたいなって。


 私の世界は、色々ありすぎた。滅亡の時に神々と戦ったという英雄の子孫の子が言うには。今回たまたま、この世界が『そのような世界』なだけ、らしい。つまり、神や妖怪も居なければラウムやアビスなんかも居らず、滅亡も起きない『世界』が。そんな『地球』だって存在するらしいのだ。ずっと遠くには。

 とにかく。滅亡を大きな分岐点として、歴史は動いた。これから先のことなんて、神も教えてくれない。


——思いは、距離も時間も越えて。世代も歴史も超えて。いずれまた、どこかで会いましょうね。愛音さん。私の兄と、貴女のお母さんが拓いた世界で。私達の子孫は生きていくのです。


 いずれまたどこかで会おう。

 そんな約束が、沢山交わされた時代があった。

 生きていても、死んでしまっても。遠くはなれていても、肉体が違っても。

 思いは飛ぶ。どこまでも清く澄み渡る精神の空へ。


 ええ、会いましょう。蒼空。貴女の子達と私の子達は、きっと仲良く繁栄するから。例え種族は違っても。


——


——


「!」


 鈍い痛みを感じた。身体の傷と、胸の奥に鈍痛。頭の中も、鈍痛。


「…………」


 鈍痛まみれで上体を上げると。今居るここが帝都貴族街の病院で、そのベッドの上であることが分かった。


「おはようございます」

「えっ」


 即座にラットリンと目が合った。彼は目に隈を作りながらも、にこりと安堵を現すように笑っていた。


「ラットリン」

「はい。ご無事で何よりです」

「…………」


 寝起きの頭を必死に働かせようとする。すると徐々に思い出してくる。


「戦争は?」

「帝国の快勝です。キルエルは落とされませんでした」

「王宮は?」

「半壊しましたが機能的には問題なく」

「陛下とイエウロ殿下は?」

「ご無事ですよ。陛下の方は無傷です」

「フィシアは?」

「思ったより軽傷なようで、もう動いています」

「……シュクスは?」

「この部屋の隣に」

「!?」


 全ての質問に即答する。これがラットリンだ。知りたいことを、既に知ってくれている。ようやく頭が回ってくる。すると、アイネの記憶からもう、ついさっきまで見ていた夢のことは霧のように消えていった。


「『風剣のシュクス』『不死身のゼント』は両者とも、同じ部屋に。未だどちらも目を覚ましませんが、装備を解除し兵士を配置しておりますので危険は無いかと」

「……リンナは?」

「『第二王女ベリンナリン様』は、王宮です。怪我も殆ど無かったのですが、心の傷が癒えぬようで」

「……『どうなる』か、何か分かってる?」


 アイネのこの質問は。即答できなかった。つまり、今回の件は『帝都侵入』どころではない。『皇帝襲撃犯』だ。ガルデニアの法律に沿えば斬首刑である。


「まだ、何も。そもそも当日からまだ1日しか経っていません」

「誰かと話せる? 陛下か、殿下か、無理ならエンリオ将軍かシャルナさん——」

「アイネ様。落ち着いてくださいませ」


 アイネは焦っていた。政治に携わろうとする軍師にとって、戦いの後の方が重要なのだ。反抗軍や王宮襲撃を受けて、帝国としてどのようなスタンスで対応していくのか。市民は勿論諸外国も注目している筈だ。そもそも、これで帝都が弱体化していると思われれば別の国から攻められる可能性も高い。勝って終わりではないのだ。


「まず心配すべきは国ではなく、ご自身です」

「!」


 ラットリンに諌められた所で、ドアが開く。入ってきたのは、ふたり。


「アイネ様!」

「フィシア! と、アミューゴっ」

「アイネさまあっ!」


 フィシアとアミューゴが、泣きそうな表情で現れた。ふたりはよろよろとベッドに近付いてくる。


「アイネ様……申し訳ありませんでした」

「へっ? 何が?」

「……大口を叩いておきながら結局、守れず」

「!」


 そこで、アイネは気付く。

 自身が包帯まみれであることに。


「…………この程度で済んだのね」

「アイネ様?」

「ええ。ありがとうフィシア。貴女のお陰で、私は死なずに済んだのよ。誰かがリンナを止めていないと、シュクスと協力して殿下を討ってから、私と陛下にも届いていたから」

「……!」


 震えるフィシアの手を取る。メイドに恵まれることは幸運で、慕われることは光栄だ。


「うわあん! アイネさまあ!」

「ミュー。病院では静かになさい」


 アミューゴは感極まってアイネに抱き付こうとするが、怪我の様子を見て出来ないでいる。そこをラットリンに諌められる。


「ミーリとゼフュールは屋敷?」

「はい。ふたりとも随分心配していますよ。ゼフュールなどはもう、特に」

「…………そう」


 ラットリンの話し方で、まだ帝都は『どうにも』なっていないことが察せられる。アイネは一先ず安堵する。彼も、噂程度にしか知らないだろう。詳しい話は関係者としなければならない。


「……アイネ様。目覚められて早々恐縮なのですが、お客様がお見えです」

「大丈夫。どうぞ?」


 フィシアが訊ねて、即答する。合図と共に、病室のドアが開かれる。


「よっ。アイネっち」

「シャルナさんっ」


 紫掛かった部分のある黒髪に、緑眼。低い背に豊かな胸。将軍シャルナがやってきたのだ。

 さらに背後から、男性がもうひとり。


「怪我は平気か?」

「はい。問題ありません」

「まあ無理すんなよ。で、こいつがちょっと会いたいって言うもんでな」

「はい」


 その男性は。白髪の顎髭を蓄えた、モノクルを掛けた老年だった。だが背筋が真っ直ぐしており、身長もすらりと高い。ハットと洋式正装を着用しており、『紳士』という言葉が似合うような出で立ちで。


「まともに挨拶するのは初めてですな。『助言師アイネ』君」

「……コーム将軍」


 この場の誰もが、彼を知っている。

 名はコーム・トリスタス。

 人呼んで、『霧盾のコーム』。帝国七将軍のひとりだ。幹部会議で、一度アイネとは会っている。


「キルエルの報を聞いて北方から飛んできましたが。ここまで来ると、最早貴女を認めない方が意固地と思われてしまいますな」

「…………」


 これまでアイネと接点が無かったのは、彼が支配している地域が帝都の北側にあったからだ。未だ大国であるメルティス帝国との国境線を守る大ベテランの将軍である。


「今、私を含めて帝都……『幹部会議』は止まっています」

「えっ?」

「『貴女の助言待ち』なのですよ」

「!」

「明日にでも王宮へ来なさい。『シュクスの件』は、貴女が責任を持って、最後までやり遂げなさい」


 言葉の最中、コームはじっとアイネを見ていた。この小娘がどんな人物なのか、見極めようとしているのだ。


「……かしこまりました」


 アイネは怯まずに答えた。

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