第42話 アイネvs.シュクス

 どかんと、大きな音がした。


「!」


 壁を突き破って。イエウロが飛び出し、リンナを抑えていた兵士達を巻き込んで激突した。


「があ!」

「っ!」


 埃が舞う。アイネは近付けない。一瞬見えたのはイエウロだ。もしかしたら、もうシュクスに負けてしまったのかもしれない。


「殿下!」


 声を上げて確認する。


「……げほっ」

「!」


 リンナの、弱々しい咳が聞こえた。やがて煙が晴れる。イエウロの身体は兵士だけを吹き飛ばしたらしく、リンナはぺしゃんこになっていなかった。ふたり、隣り合わせで壁にもたれ掛かった体勢だった。


「……なるほど、『風』か。汎用性と、威力では。……追い付かれている」

「殿下! ご無事ですか!」

「…………逃げよ軍師。俺は既に負けた」

「!」


 アイネが駆け寄ろうとしたが。イエウロは動かなかった。腕と脚が、外から見て分かるくらいに折れ曲がっていた。

 巻き込まれたのだ。イサキを掠めた、あの竜巻に。


「『でんか』……!?」

「!」


 イエウロの隣から。


「…………!」


 瓦礫が当たったのか、片目を閉じてしまっているリンナが、男を見上げる。


「……殿下って、もしかして」


 イエウロも少女を見る。戦闘と衝撃でボロボロに破れたリンナの胸元がはだける。

 傷が見えた。


「——……。ベリンナリン、か」

「!!」


 ぽつりと。

 イエウロ自身が信じられないといった表情で言った。


「…………ぅ」

「その傷。……そうか。お前は……帝国を憎むようになってしまったのだな」

「……! ママが、殺されたのよ」

「そうか……」


 お互いにもう、動けない様子だった。辛うじて片腕を振り上げたイエウロが、リンナの頭に手を乗せた。


「済まなかったな」

「!!」


 それで、イエウロは気を失った。リンナも、涙を流しながら眠りに落ちた。


——


「(……リンナが、ベリンナリン姫だった。ヒロインが、敵国の姫だった。……あり得ないけど、『ありがち』な、『展開』なのね)」


 アイネは、まだ整理が着いていなかった。リンナが賢者ならば。自ら望んで、シュクスと旅をしていたことになる。全て分かっていて。


「だから、私を目の敵のようにしていたのね。私の予想を越えるシュクスの成長速度は、貴女の『知識』によるものって訳」


 そう考えると、初めから。シュクスと帝国の争いではなく。

 『この世界』は、アイネとリンナの戦いだったように思えた。


「だけど、貴女は負けた。そして」


 フィシアを確認する。やはりもうしばらくは目覚めない。


「軍師殿っ! お逃げを!」

「!」


 ごう、と轟音が響いた。アイネの黒髪が揺れる。風がここまでやってきているのだ。

 世界最強の台風が。


「——そして、私が負けるかどうかは、まだ分からない」


 兵士はもう、行かせるだけ命の無駄だ。


「……がぁぁぁぁあ!」


 大渦の中心から、人とは思えないような呻き声がした。アイネは、知っていた。いずれ『こう』なるだろうことは予想していた。過去最大級の強敵イエウロを越えるために。限界を突破して風剣を振り回したのだ。恐らく。


「ああああぁぁあ!」

「……魔剣には『意思』があるんだもの。そりゃ、取り込まれて『暴走』なんて。『ありがち』よ」


 ゆっくりと、だが激しく逆巻いて、こちらへやってくる。周囲の物は触れると塵になっていく。大きな物は吹き上げられ、天井に当たって砕ける。


「軍師殿っ!」

「……貴方達は下がりなさい」

「危険です!」

「…………」


 この先はもう王座だ。通す訳にはいかない。目を輝かせて仲間と共に進む勇者ならまだしも、今のシュクスはとても。


「……大丈夫です」


 アイネには、不思議な『知識』が生まれつき備わっていた。そのせいで、今、ここに居るのだ。そのせいで、こんなことになっている。


「我を失って暴走している状態。『これ』の対処も……私は知っている」


 アイネは、退かない。今も迫ってきているシュクスの台風を前にして。


「……やっぱり、怖い。とても怖い。……イサキをあんなにしたやつに。あの時よりもっと凄まじい中心に。……自分から行かなきゃいけないんだ」


 一歩、脚を前に出した。


「軍師殿っ!」


 兵士の声はもう届かない。決意と覚悟を決めるのに、全集中力を使っている。


「私が怖がってちゃ駄目。彼に伝わっちゃう」


 もう、数センチ。当たれば弾け飛ぶだろう。何の訓練もしていないアイネの身体など、果実のように切り裂かれるだろう。


「ぉああああ……!!」

「……シュクス殿」


 寸前、リンナをちらと見る。


「(本当は、貴女の役目かもだけど。この、最後だけは私が取るわね。だって私にも)」


 責任がある。

 決心をした。


——


「……大丈夫」

「!!」


 斬撃の台風は。風と同じ速度で振り回される両手剣は。

 アイネの身体だけを避けるように。


「……っ!」

「があっ!」


 否。掠めた。アイネの頬が、肩が、軍服が切れる。一歩進む度に、何度も負傷を貰う。


「……大丈夫……っ」


 致命的な傷ではない。アイネは歩みを止めない。


「や……メロ! くる……ナ!」

「シュクス殿……」


 遂に。

 シュクスと出会った。


「ぎ……ああ!」

「貴方は本当に、がんばり屋さん……」


 悶え苦しみながら、葛藤している。なんとか、歩みを緩め、なんとか、アイネを殺さないように。


「私は敵じゃない」

「だメダ! ……うおガア!」

「お人好しで、純粋で、誰より優しい心の持ち主。……『あり得ない程に』」


 彼は『何者』なのだろう。ついぞ分からなかった。ここが、この世界が『小説でないのなら』。

 この突然変異のような嵐の少年は、何者なのだろうか。賢者ではない。普通の、この世界、この時代に生まれた人間だ。

 数度会っただけ。時間にして1時間も相対していないだろう。だが。アイネは『知っている』。


「シュクス。聞いて」

「!」


 優しく。両手で頭を包んだ。シュクスの視線を固定する。狂ったようにのたうち回る眼球が、やがて真っ直ぐアイネだけを映していく。


「……帝国は、『良くなる』」

「ぎ……」


 ゆっくり。子供に言い聞かすように。


「不当な支配は止めるし、不条理な侵略ももうしない」

「アぁっ!」

「!」


 伸ばした腕に斬撃が閃く。痛みで気絶しそうになるが、アイネは堪える。


「壊れた町は建て直すし、住んでいた人に補償もする。亡くなった人と遺族には、お墓と祈りを」

「……が!」


 獣のようにぼたぼたと涎が垂れ落ちていた口も、やがて理性的に閉じていく。


「勿論、奴隷制は廃止するし、貧富の差をできるだけ埋める政治にする。当然、今更従ってくれない人は沢山出てくると思うけれど、何より、これから生まれてくる子達の為に」

「うう!」


 叫びは唸りになり。

 台風は、その勢いを弱めていく。


「私がやる。貴方にも協力して欲しいの。そうすればきっと。貴方の情熱と、私の知識と。皆の助けがあれば。きっと世界は『良くなる』筈だよ」

「…………ぅ」


 兄同然だったデュナウスから受け継いだ風剣に『何』が宿っているのかまでは分からない。どんな祈りが込められているのかは、シュクスにしか分からない。

 だからこの『暴走』は、シュクスにしか解けないのだ。


「大丈夫。貴方は良く頑張った。無駄じゃないよ。皇帝を。諸国を。皆を動かした。だから、帝国は変わるの。崩壊じゃなく、再生するの。滅亡じゃなく、改善させるの。……貴方と、私で」

「…………ぉれは」

「?」


 遂に膝を突いた。台風はもう。

 止まっていた。


「分かってた。いや、教えてくれた。あんたと……話をしたくなったんだ。あれから」


 あれから、とは。リボネでの戦いのことだろう。シュクスはアイネと視線を合わせず。ぼうっと前を見ている。ちょうど、アイネの腹辺りを。


 がらん、と。

 風剣が彼の手から滑り落ちた。


「もっと、早い段階であんたの話を聞いていたら。ここまで、人は死ななかったかもしれない」

「……良かった。私も、貴方とゆっくり話してみたかったから」


 分かっていたのだ。シュクスも。だが、止められなかったのだ。あれだけ、期待されれば。キルエルを攻めている反抗軍は。もう止まらない。シュクスを旗頭に、帝国滅亡を掲げて。

 罪無き市民をも轢いていくだろう。


「……ぅ……っ」


 ふらりと、シュクスの身体から力が抜ける。もう限界だ。

 ああ。この為に、全てはあったのだ。

 シュクスの暴走を止めるためにアイネが居て。暴走させる為にイエウロと戦って。その間リンナを引き付ける為にフィシアを連れてきて。すぐに帝都に戻ってこれるようにシャルナにワープを解析してもらって。ワープの存在を知る為にリボネで戦うことになって。魔剣について知って。今日キルエルを落とされないようにフェルシナでエンリオと縁を作って。影響力の出せる軍師になるために、初めにティスカに出向いて。

 帝国を滅ぼさせない為に。


「……お疲れ様」


 膝を突いて前のめりに倒れるシュクスを。

 抱き締めるように受け止めて、アイネも座り込んだ。

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