第38話 少女達の旅
「私は、戦争や戦術については門外漢です。ここへ来る時に見てきた反抗軍についてはまとめてお渡しします。お訊ねしたいのは、シュクスのことです」
「ああ分かってる。偵察の情報では、何人かの魔剣使いを確認したが、その中にシュクスは居ないらしい」
「!」
まだ戦争は始まっていない。キルエルには巨大な関門、国門がある。反抗軍はまずこれを落とさなければ、南から帝国へは侵入できない。
「ウィリア将軍は? キルエルの管轄でしたが」
「奴はキルエルの北にある都市に居る。そこは帝都へのアクセスに便利でな。奴の居城があるんだ」
「……フラスタの街ですね」
「ああそうだ。ここが落ちて、フラスタまで攻められれば。もう帝都まで止めるものは何も無くなってしまう」
エンリオの軍が駐屯している屋敷へと向かう途中から、もうアイネの『助言』は始まっていた。
彼女が急いでいるということも、エンリオは察していた。
「では私は、大急ぎでフラスタへ向かいます」
「どうしてだ? 目の前の反抗軍は良いのか」
「今回は。恐らく反抗軍を囮に、『既に国内に潜入している』と思います」
「なに」
正面切っての大戦争は。『らしくない』と、アイネの中の賢者が告げていた。しかし、この大一番に何もしない訳も無い。
彼らは常に少数だ。そして、軍隊は相手にせず将だけを討つように動く筈。『軍師章を持った少女』にすらたじろいでしまう警備ならば、潜入など簡単だ。そもそも、風の力で関門など空から越えられる。
「こちらの軍を引き付けている間に帝都まで突き進んで。一気に陛下の元へ。……そう、彼らは考えるでしょう」
「ふむ。ならばどうする。ここでの戦争は無意味なのか?」
「いえ。こちらも本番。本気でしょう。シュクス一行と反抗軍は、全ての意思が繋がっているとは思えません。それに、シュクス達の退路を確保する為にも、キルエルを落としに来ることは間違いありません」
「分かった。……俺はここを離れられないが」
エンリオは、アイネを心配していた。その声色と表情は。まるで家族へ向けるそれのような気がした。
「……問題ありません。私には、信頼できる優秀な護衛が居ますから」
「!」
だがそれは筋違いだ。心配はありがたいが、アイネはエンリオの妹ではない。
「フィシア・リークヘルムと申します」
「彼女は私のメイドで、魔剣使いです」
「なに」
にこりと笑い掛ける。心配は無いと。大丈夫だと。
亡き妹に重ねられるのは心外だが、決して悪い気分ではない。
「エンリオ将軍は、キルエルをお願いします。私は、私の役目を果たしますので」
「……分かった。馬を貸そう」
「ありがとうございます」
——
話の分かる相手が居ると、こうもスムーズに事が運ぶのか。関門でもたついていた時間が無かったかのように、軽い食事を終えて数10分後にはもうキルエルを出発していた。
「(恐らくあのエンリオ将軍も、アイネ様を好いている。罪なお人)」
フィシアは不遜なことを思ったが。アイネは自覚が無い。それもまた、魅力のひとつなのだろうと息を吐いた。
「大丈夫? 疲れていない?」
「それは、私の台詞です。アイネ様。ソラ陛下との交渉に、慣れないワープなどという旅に。今日は随分距離を歩きました。だというのに、まだ昼過ぎです。食事も軽めに掻き込んだだけで。疲れていらっしゃいませんか」
「……ええ。きっと、疲れていても今は忘れているわ。今は、一刻も早くフラスタへ辿り着かなきゃ」
「距離と時間的に、今夜は野宿をしなければなりませんよ」
「ええ。頼りにしているわフィシア」
「…………」
アイネは馬術を修めてはいない。借りられた軍用馬も1頭。アイネは今、フィシアの後ろにしがみついていた。
「お任せください」
悪い気分ではなかった。フィシアは、このような時こそ、アイネを補佐したかったのだ。
「近くに川があります」
「知っているわ。進路は、貴女に任せるけど」
「一応目立たないよう、街道を外れて向かいます」
キルエルからフラスタまでは、一直線に街道が敷かれている。通常、旅人や行商人、行軍でもこの街道を使う。だがその脇には林と、川もある。帝国の軍用馬は頑丈で、ある程度の悪路でも問題なく走れる。その匙加減と、現状の緊急性をバランスよく加味して馬を駆れるのは、主人をよく理解して、馬と野宿の技術を持つフィシアにもってこいだった。
「(まだ、シュクスが国内へ入った確証は無いのに、この確信した行動力。これが『賢者』。これが、アイネ様のやり方)」
屋敷外での、仕事をしているアイネはこれまで知らなかった。正に今、『対シュクス』の最前線に居る。過去、この実績を以て軍師となり、屋敷を持ち、自分達を雇ったのだ。
それに直で触れられているフィシアは、気持ちが高揚した。
彼女はアイネの正体と実体を知る、唯一のメイドだ。
——
それから数時間、馬を走らせて。
「そう言えば、帝都へ早馬を送らなくて良かったのですか」
「……そうね。一応エンリオ将軍に頼んできたけど。私個人の為には使えないから、他の報告と併せてという感じだし。フラスタの街でできそうなら送るけど」
陽が落ちた。火と水と食料の調達をテキパキとこなしたフィシアは、火を囲む石の上に座ったアイネに訊ねた。
「果たしてウィリア将軍が、私の助言を聞いてくれるかは。半々って所かしらね」
「…………」
テントや食器など最低限の道具はキルエルから持ってきている。フィシアは、ぼうっと火を眺めてスープを飲むアイネを見て、自分の本来の仕事を思い出した。
「アイネ様。ボロボロです」
「えっ?」
このような野宿は初めてだ。今までは、日数の掛かる旅でも御者が計算し、必ず街で夜を越せるように手配していた。だが今は、とにかく急いでいる。休憩もろくに取らず。あっという間にキルエルも通過して。
「髪も。お顔も。お召し物も。……今日は沢山、出来事がありました。お疲れでしょう」
「……それは、貴女もだし。旅はそういうものでしょ? 寧ろ気を張るのは貴女の方——」
こんな時も、従者を気遣ってくれる主人を。
慕わない訳は無い。
「丁度川がありますから。水浴びをしましょう」
「えっ。良いわよそんなの」
「いいえ。必要です。不潔にしていると病気の元にもなります」
「うっ……」
確かに。髪も顔も、服も。気が付けば、ドロドロだ。気持ち悪い。洗いたい。着替えたい。当然に思う。そう言われては、然しものアイネも、従わざるを得ない。
どうせもう、今日はこれ以上どうしたって進めないのだ。気持ちだけ焦っても仕方無い。
「さあ」
「……分かったわよ」
アイネは観念したように、軍服を脱いだ。続いてフィシアも服を脱ぎ、アイネの服と並べて綺麗に折り畳む。
そしてふたりは、夜の川へ向かった。
——
「きゃっ。冷たっ」
「まだぎりぎり、いけますね。これからの季節はもう無理でしょう」
いくら、南方領とは言え。今はもう秋だ。下手をすれば風邪を引いてしまう。だがすぐ洗ってすぐに火に当たれば、問題ない。その辺りの管理も、フィシアは得意としている。
「シャンプーも石鹸もありませんが。贅沢は言えません」
「そりゃあ、そうよ。……でも、さっぱりはするわね」
「アイネ様、こちらへ」
「へっ。いや、自分で洗えるわよ?」
「お座りください。マッサージをいたします」
「へっ」
夜の川。星明かりが照らす幻想的な自然。川幅は10メートルほどあり、中心は泳げるほど深い。
「…………」
ふと、空を見上げる。この世界の空は、綺麗だ。無条件でそう思える。星など、毎夜見えるというのに。
恐らくは、『知識』では。つまり5000年前の夜空は、今より星が見えなかったのだ。今みたいに、澄んだ空気では無かったのだろう。
「……マッサージ、ね。ミーリにもしてもらったことがあるわ」
「はい。メイドの嗜みです」
「じゃあ、お願いしようかしら」
肌を合わせると、暖かい。じっとしていると、互いの鼓動すら感じ取れる。
信頼の証である。
「……やっぱり私の胸、平均より小さいわよね」
「そんなことはありません。ミーリが特別なだけです」
「でも、すらっとしたフィシアより小さいもの」
「まだまだ成長期です。アイネ様も、私も」
「あ。フィシアも気にしてるんだ」
「……それは。毎日ミーリを横で見ていますから。ですが私の仕事には必要ありませんので」
「仕事とかじゃないわよ。女としてよ」
「…………余り考えたことはありません」
「ふふ。私もよ。だけどやっぱり、なんとなく『巨乳でありたい』と思うのは。どこか無意識に、自分を『女』だと自覚しているからなんでしょうね」
「……この大きさでも、男を誑かすことはできます。まあ、大きいに越したことはありませんが」
「それって前の仕事?」
「はい」
頭皮のマッサージから始まり。耳、首筋、肩。腕。
段々と、心地よくなってくる。フィシアとは同い年だが、彼女の方が随分と人生経験をしてきたのだろう。家事に人の世話に戦闘、暗殺、サバイバル術。その細い身体にどれだけの技が入っているのか。
「……頼りにしているわ。フィシア」
「お任せください」
いつしか、アイネはそう呟いて眠ってしまった。寝言だったのかもしれない。
「……お任せください」
すぐに人を信用する、甘い主人だ。だが。
彼女に信用されるのは心地よい。
フィシアは、強い決心を表明するように何度も呟いた。
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