アクシア王国

第33話 ソラ・ホシノ

 屋根は鱗のような石の板が並んでおり。その先には魚の像。

 木造建築が立ち並ぶ。道にはつるつるの石が敷き詰められている。

 赤。緑。青。色とりどりの『布』が、建物から靡いている。

 ガルデニアと全く異なる文化に、アイネは心底驚いていた。


「……アイネ様?」


 フィシアが訊ねた。ぼうっと、じっと、景色を眺めているのだ。最初こそはしゃいでいるように見えたが、今は違う。


「なんだか、懐かしい……気がする」


 その雰囲気が。空気感が。なんとなく。アイネの『賢者』を刺激しているような気がした。


「賢者の口癖だ。くだらねえ」

「!」


 アサギリから舌打ちが聞こえた。


「……殿下から聞きました。アサギリ殿は、賢者になりたかったと」

「………………」


 捲し立てられるかと思ったが、彼は黙り込んでしまった。


「……黙ってろ」


 ひと言それだけ言って。


——


 港から、『宮殿』まで真っ直ぐ辿り着いた。アイネは、帝国の王宮とは違う『他国の宮殿』を初めて見る。


「鉄の……城?」


 山のような形の建造物。壁は鈍く光沢を放っており、天を突き刺すように鋭い円錐形の屋根が特徴的だ。そんな屋根がいくつも集合している。


 巨大な鉄の門の前には衛兵であろう男が数十人と並んでいる。その甲冑も、帝国のものとは違うデザインだ。


「アイネ・セレディア様。お待ちしておりました」

「!」


 馬車から降りると、門の正面にひとりの少女が立っていた。

 長い金髪で、青い瞳。白い肌。それ自体は、大陸の人間と変わり無い。


「じょ、女王自ら出迎えを!?」

「えっ」


 アサギリの部下が、驚きの声を上げた。アイネは目を丸くして、彼と少女を交互に見る。

 無地の布1枚を巻き付けたような服装——『キトン』のような格好をしている。


「女王」

「ええ。ありがとうアサギリ。後で褒美を持たせるわ」

「……分かりました」


 にこりと微笑みかけられると、アサギリはすぐに下がって馬車を出した。


「俺はここまでだ。じゃあな」


 去り際にそう言って。


「…………女王……」

「ええ」


 残されたのは、アイネとフィシアのふたり。少女は柔らかな微笑みを崩さず、ふたりへ惜しみ無くその視線を注ぐ。


「まずは、どうぞ中へ」

「……はい」


 そして、固い鉄の門の内側へと手招きした。


——


 宮殿へ入り、真っ直ぐ進む。そのまま辿り着いたのが講堂である。真っ赤な絨毯が敷かれており、壁や天井の至る所に空いている窓から、陽光が降り注いでいる。

 どこか禍々しい雰囲気のあったガルデニアの王宮とは正反対に、幻想的な気持ちをアイネに想起させた。


「女王っ! ご勝手が過ぎますぞ!」

「どうして? お客様を出迎えるのは家人の義務よ」


 従者であろう老婆から小言を言われる少女を見る。本当に『少女』だ。アイネより幼い。アミューゴとそう変わらないのではないか。


「じゃあ庭園へご案内して——」

「なりません女王!」

「……ふぅ。分かったわよ」


 少女はやれやれと言った風で、講堂奥にある階段を登る。そして振り返り、壇上の中心にある玉座に、居心地悪そうに座った。

 しばらく呆気に取られていたアイネだが、そこで気付き、即座にひざまづいた。アイネよりぽかんとしていたフィシアも、慌ててそれに倣った。


「……私が『アクシア』第36代女王、ソラ・ホシノ・アウローラ9世です」

「!」


 アイネは、彼女の名乗りにまた驚愕した。


「(『36代』? 『9世』? ……ガルデニアより、遥かに歴史が厚い。単純計算でも、『1300年前の期間』に被ってる。ガルデニアを支配していたメルティス王朝以前の時代から……)」


 唐突に始まった。フィシアなどは何も理解できていない。アイネは、なんとか、頭をフル回転させる。


「ガルデニア帝国『軍師』アイネ・セレディアです。こちらは従者のフィシア・リークヘルム。先程は知らぬこととはいえ、女王の御前であるのにも関わらず頭も下げず、大変ご無礼をいたしました」

「はい。ではお顔を上げてください」

「?」


 形式的な挨拶を終えると、ソラはさっさと席を立ち、壇上からも降りてしまった。


「凄く、会いたかったのです。とても、お話がしたかった。さあこちらへ。アイネさん。我が自慢の『庭園』へ。ご案内いたします。お立ちください」

「…………」


 一国の主と、言っても。

 帝国のバルト皇帝とは何もかも正反対。アイネはそれが、文化の違いなのか方針の違いなのか分からなかった。


——


 ソラの後を追って、廊下を行き。階段を登り。

 開かれたドアの向こうは、彼女が『庭園』と呼ぶ場所だった。

 草花に囲まれた赤い煉瓦の道と、その奥に円卓。周囲にはさらさらと、人工の川も流れていた。


「今の季節は、『レナリア』という花が咲いています。世界中探しても、ここでしか見れない幻の花ですよ」


 ふわりと、柔らかな金色をした小さな花が、アイネを包んだ。日の光でさらに煌めいている。


「さあ。座ってください。お茶と菓子は今、用意させますから」

「……失礼、いたします」


 圧倒されながら、言われるがままに座る。10人も掛けられそうな大きな白い円卓だが、アイネと、向かいにソラのみが座る。フィシアはアイネの後ろに立つ。

 にっこりと、ソラが微笑んだ。


——


「あはは。すみません。緊張と興奮が」

「?」


 微笑んだまま、ソラがはにかんだ。


「えっとですね。何からお話しましょう。えー。考えていたのですが。……あは。やはり、見れば見るほど、『愛音さん』ですね」

「……どうして、私のことを? 何故、私はお呼ばれしたのでしょう。ソラ陛下」

「陛下なんてっ。……『蒼空そら』と、呼んでください」

「……いえ、流石にそう言う訳には……」


 ソラは、アイネを『知っている』ような口振りで話す。だがアイネには分からない。この少女とは間違いなく初対面だ。


「——貴女の国では、『賢者』と呼ぶそうですね」

「!」


 だが。ソラが『知っている』理由は、想像できる。何故ならホシノ家は、賢者の一族だからだ。


「昔の……。大昔の人々は、『精神力』がとても強力だったのです」

「精神力?」

「ええ。その『強き思い』は、世代を、時間を超えて、子孫へ届くことがあります」

「!」


 ソラが説明を始める。賢者の一族の王からの、説明を。


「『精神隔世遺伝マインド・アタヴィズム』と、私達は呼んでいます。遥か過去に生きた『先人の思い』が、現代人に宿ることを」

「……マインド・アタヴィズム」


 アイネが呟く。これが、『賢者』の正式名称だと感じて。

 ソラは、自身の胸に手を当てた。


「私は、5000年前に実在した王女、『星野蒼空』の精神を強く引き継いで生まれました。だから、貴女のことも知っています」

「!!」


 その、『名前の言い方』が。酷く、懐かしく。『違和感無く』聞こえた。つまり、姓が先に、名が後に付く名乗り方を。


「どうして、貴女に気付いたか。ここまでお呼びしたか。……大陸の情報は逐一チェックしていますからね。帝国領ティスカやフェルシナを改革した『アイネ・セレディア』の名前はここまで届いていますよ」

「…………!」


 知識は。アイネの中にあるが。『人物の記憶』は無い。これを聞いても、ソラのことは思い出せない。


「貴女は、『星野蒼空』の友人であった『神藤愛音』さんの精神を宿しています。今、こうして直にお会いして分かります。その暖かな、正義感のある、美しい精神が」


 懐かしい。

 十年来の旧友に会ったかのように、ソラは嬉しそうに微笑んでいる。そして正に、『それは真実』なのだ。


「…………シンドー・アイネ」


 ゆっくりと。やんわりと。

 アイネは、生まれた時から感じている『胸の奥の空白』が、徐々に埋まっていくような気持ちがした。

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