第32話 険しい道
【私が、帝国に対してどう思っているか。実を言うと考えたことがない。
故郷を守る。その一点でこれまでやってきた。帝都が落とされ、皇帝が討たれれば故郷も無事では済まないから。
だから、一番政治が酷かった東方が気になった。それで、陛下にお呼ばれした時にお伝えした。
帝都の言葉や力が及びにくい遠方だから、ある程度は仕方ないけど。
それを是正するのは軍師の仕事じゃないけど。帝国は軍事国家だから、将軍も政治に参加している。私は普通の軍師というより、『助言師』だから。
帝国の支配は、やはり杜撰だ。陛下は、『七将軍』に権限を与えすぎている。
私は、それを正したい。と思っている。多分。
私が、居なければ。賢者でなければ。多分シュクスが、皇帝を討って帝国は滅んでいたと思う。これは予想じゃなくて確信。
でもそれは。多くの血を流しすぎるんだよ。迫力があって、劇的で、ヒロイックで、将来吟遊になりそうな彼の冒険は。
裏を返せば、血にまみれている】
——
「『より良くする』。それが、『力ある者』『上に立つ者』『才ある者』の務めだと思っています」
「はい」
アイネは自分の考えをまとめた。
「何故なら、人の命を預かっているからです」
「ええ」
セリアネは真剣に聞いてくれる。
「私にはそれら何ひとつありません」
「えっ?」
「当然戦えませんし、部隊も持っていません。部下も居ない名ばかりの軍師です」
「でも、『才』はあるでしょう。ティスカは貴女のお陰で」
「……それも、ありません」
皆がアイネの『才』だと思っているものは、彼女にとっては自分のものではない。『ズル』だと思っている。
だが、ズルなりに、それを持たされた責任を持っている。
「思えば、私はシュクス殿と因縁があるようです」
「……それは、私も思います」
「彼がこのまま進めば、帝国の支配は終わるでしょう」
「…………」
「皇帝が死に、帝都は火に包まれ、国が、政治基盤ごと崩壊するという結末で」
「!」
アイネには見えている。
その光景が。
「弱り、主を失った帝国は、恨みをもった諸国に搾取されます」
「……!」
この説明で、セリアネの脳裏にもそれが伝播した。
「…………町を解放して回るというあの子の旅は」
「行き着く先は帝都です。つまり、『帝国軍を順番に討伐していき、全滅させる』血塗れの邪道」
「!!」
口元を押さえた。
「——彼には、やがて、それを実現する力が。可能性があります。私はそれを、止めるために」
そうだ。
アイネは気付いた。
自分がシュクスと戦うのは、必然なのだと。
必然に、自分からしたのだと。
「私は、彼を止めるために軍に入ったのです」
「——!」
真っ直ぐ。真剣に。そう言い切ったアイネを見て。
セリアネは、酷く動揺した。
「……そう、ですか」
だが、どこか納得もしていた。
ここまで、シュクスを高く買いつつも真っ向から否定し、本気で対策している者は、恐らく帝国にこの少女だけだ。
「勿論、帝国の非道な侵略を肯定するつもりはありません。ですが我が国の民が殺されるのを、黙って見過ごすこともできません」
アイネは今日、これをセリアネに伝えに、リンデンに来たのだ。
「(悪者のボスを倒して終わり。そんなのは物語の中だけ。実際はその後のほうがよっぽど大事で、難しくて、苦しい)」
そう思えた。
「いずれ私が、帝国を改革します。最も、犠牲の少ない道で」
シュクスより。険しい道を選ぶ決意ができたからだ。
——
——
「次のワープの準備ができた。行くぞ」
「はい」
リンデンの屋敷を出る時。アイネの表情は晴れていた。そして、セリアネも同じく。
「ワープで旅なんて。時代は変わったわね」
「いや姫。このワープは俺個人の力で……」
「アイネさんをお願いしますね、アサギリさん」
「…………はあ」
セリアネは、何故ここへ来たのか。次はどこへ行くのか。訊かなかった。
「アイネさん」
「セリアネ姫」
訊く必要が無いからだ。
「シュクスを、よろしくお願いいたします」
「…………?」
アイネはぽかんとした。『殺す』と言った筈だ。敵である。今さら、弟の命乞いをするセリアネではない。
「分かっています。でも、シュクスが『完全に間違っている』と思うのは、帝国の傲りだと私は思います」
「!」
対立が発生するのは、立場と考え方が違うからだ。
デュナウスを始め、大勢の騎士が死んだ。帝国の侵略によってだ。
それを忘れることなどできはしない。
「思いがぶつかれば戦になり、『どちらかが負けて死にます』。いつの世もそうなのでしょう」
にこりと笑って。
震える手を握り締めて。
「私はシュクスを信じています」
アイネにそう言った。
——
「次はアクシアの港だ」
「はい」
「…………」
晴れ晴れとしたアイネを見て、アサギリは不思議に思った。
「姫と何話したんだ」
「貴方に聞かれたくないから、退室していただいたのですよ。アサギリ殿」
「……ちっ」
アサギリは大人しく引き下がった。そして全員が乗り込んだ所で、馬車が再び光を纏い始める。
「行くぞ。座標はアクシアだ」
恐らくは、体力を消耗するのだろう。一度にいくらでも距離を行ける訳ではないらしい。ワープについては、まだまだ分からない。こればかりは、シャルナの研究待ちである。
——
また、一瞬のホワイトアウト。
「!」
風が吹いた。アイネが感じたことのない心地悪さと、嗅いだことのない香り。
「潮風……」
「!」
フィシアが呟いた。アイネはそれで理解した。『知識』にはあったのだ。
「海」
視界に。青色が飛び込んだ。
見渡す限りの水色。遠くで跳ねる魚とそれを追う海鳥。
陽光がキラキラと反射している。アイネはしばらく、その景色に見とれてしまった。
「……綺麗」
「海も見たことねえのか。ガルデニアの西は海だろうが」
「!」
アサギリが訊ねてきた。
「はい。初めて見ました」
「…………お前、この間のこともう忘れたのか」
「えっ?」
そう言われて、振り向く。アイネを見るアサギリの表情は、奇妙な生物を見る目をしていた。
「王子の屋敷で」
「ええ。覚えていますとも」
「…………」
壁に押し付けられ、ドレスをちぎられた。このアサギリという男は各国を渡る商人で、帝国を恨んでいる。
「今さら謝りたいのでしたら、受け付けますよアサギリ殿」
「ふざけんな」
「『妖精』というのですか。こんな距離を、ひとっ飛びなんて。原理はどうなっているのでしょう」
「…………」
だが。もうアイネにとっては興味が無い。セリアネと話して、自分の考えがまとまってすっきりしたのだろうか。
そもそも、そこまで我が身が可愛い訳でもなければ、自身を強く『女』だと自覚している訳でもない。
「ここは『アクシア』のどの辺りですか? 太陽の位置から察するに南東の港だと思いますが」
「…………ふん」
見慣れぬ町。建物。人々。アイネは、国外へ出たのは初めてだ。当然、大陸の外の島国など。
17の少女にとっては刺激的な旅行である。
「ここはアクシア王都『アウラ』だ。今から宮殿へ行く。俺らはそこまでだ」
「ありがとうございます」
「……ちっ」
馬車の所有者であるアサギリの方が、居心地を悪くしていた。アイネはもう気付いていた。デウリアスの言う通り、彼は本来。
根が悪い奴ではないと。
——
「わあ。ねえフィシア、あれは何かしら」
「大道芸のようなものでしょうか。しかし子供を宙に浮かせる技術があるとは」
道中、アイネははしゃいでいた。本当に帝国からの使者なのかと疑う程。
「何もかも不思議だらけね。異国文化は面白いわ」
「……ええ。そうですね」
フィシアも苦笑いしていた。アイネがこんなに表情豊かとは思わなかったからだ。普段、屋敷での彼女しか見ていない。真面目な表情しか知らなかったのだ。
「うるせえぞメスガキ。無理矢理黙らせてやろうか」
「アサギリ殿は、アクシア出身なのですよね」
「ああ?」
アサギリの脅しなど意にも介さず。
「良ければ教えていただけませんか?」
「黙ってろ」
明るく振る舞っていた。
「(……信じる、って言った。そんな、根拠の無い言葉こそ……危険に思える。特にあの人は、シュクスの姉だから)」
頭の中では、『最悪の予想』をしながら。
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