第13話 帝国宰相
次の日。屋敷まで迎えが来た。
「おはようございます、アイネ様」
人力車である。石畳でかつ坂道の多い『貴族街』では、馬車はあまり使われていない。屈強な男ふたりで、馬車に似た車を牽くのだ。勿論アイネは乗った事など無い。
「それでは参りましょう。昨日の今日で、宰相様は随分と喜んでおられましたよ」
6人乗り用の車に、議事堂からの使者がふたり。
そしてアイネと。
ラットリンが座った。
「……何故貴方も?」
当然のように座る執事長を見て、アイネは少しずつ不機嫌になっていく。
「私どもはアイネ様の護衛でもありますので」
「要りませんと言えば、降りてくれますか?」
朝からにこやかな表情を浮かべるラットリン。アイネが『この待遇』であることを不満に思っていることは、恐らく気付いているだろう。
「申し訳ありませんが、それはできません。ですがならば『その辺りも』、宰相様とお話になられた方がよろしいかと思います」
「……なるほどですね。貴方も、大変ですね」
「ああ、お優しい言葉、感謝いたします」
雇い主には逆らえない。この使用人達は、全員『国』に雇われているのだ。
アイネが彼らをどうにかしようと思ったら『国』へ働き掛けねばならない。
「…………」
心の中で溜め息を吐く。
居心地が悪い。
貴族はこれが普通なのだろうか。
——
——
「やあ来たな。君が『助言師アイネ』か」
「初めまして。アイネ・セレディアと申します」
元老院議事堂にやってきた。そして宰相の執務室。
デスクに座るのは、烏帽子に似た帽子を被り、仙人のように髭を蓄えた小太りの男だった。
「(ああ、禿げているのね)」
アイネは、議事堂内で彼だけが帽子を被っている理由を瞬時に見抜いた。
「わしが、トット・バフンダイン。この帝国の『宰相』である。ふふん。君のことは知っておるし、聞いておる。リボネの件も、ティスカの件も、フェルシナの件もな。僅か17歳の、その見事な手腕。審美眼。——『予言』。わしはとても、君に興味がある」
「……恐縮です」
座りたまえ、とアイネへ促す。彼女はソファに掛けると、バフンダインの秘書がお茶を淹れた。
「それに、容姿も美しい。将来が楽しみだ……」
「…………」
バフンダインの視線がアイネを捉える。だが彼女は動じない。皇帝の眼光やエンリオの殺気に比べれば、この程度は何も感じない。
「立派なお屋敷をご用意してくださいまして、ありがとうございます」
「おほう。そうだろう。何か不満でもあればすぐに言ってくれ。大抵は叶えよう」
「では、『全ての使用人を解雇していただき、私が雇い直して』よろしいでしょうか」
「!?」
この男は『有能』だ。それは間違いない。普通は、『あそこまで』やらない。土地の少なくなった『貴族街』に屋敷の用意をし、そして護衛兼監視と、『服従しながら命令を聞けない使用人』を10人用意した。
「何か粗相があったかね? ではクビに……」
「いえ。彼らは何ひとつ悪くありません。『私に監視は要りません』と、そう言っているのです」
「…………ふむ」
これは抗議だ。助言師の役職を正式に得た『今』。
自分にそれは必要無い。誰とも知れぬ者の息の掛かった護衛など必要無い。『あれ』を素直に受け取るほど、少女ではない。
「ラットリン」
「はっ」
バフンダインの呼び掛けに、ラットリンは凛として反応する。
「人払いをせよ。この『助言師』とふたりで話をしたい」
「かしこまりました」
「当然お前もだ。素早くせよ」
「はっ!」
言うや否や、ラットリンは退室した。
「…………」
アイネにとって、不快であった。自分の執事が目の前の男の命令を喜んで聞いているのだ。
「さて」
ややあって。バフンダインは手を組んだ。何から説明したものか、と悩む素振りをして。
「……アイネ君。君は『魔術』というものを知っているか?」
そう、切り出した。
「…………『魔剣』の事でしょうか」
いきなり何の話だと、アイネはぽかんとする。
「それにも連なるが……別の話だよ。『君の正体』にも、関係するかもしれない」
「!!」
どくんと、心臓が鳴った。
「気になるだろう?」
目が見開かれる。
それを見て、バフンダインはにやりと口角を上げる。
「私の、正体……ですか」
震えながら言葉を絞り出す。アイネの『秘密』について言及されたのは生まれて初めてである。
「……君の『予言』は、君自身の能力では無いだろう。いや、もはや君の能力とも言えるが……君が『桁外れに聡明であるが故の閃き』では、無い筈だ」
「!」
思えば。
そんな『隙』を晒していたのだろう。ぴたりと当てる『助言』をする割りに、本人自体の知性は『歳の割りに大人しい』程度だ。
見る者が見れば、すぐに見抜く。アイネ・セレディアの『予言』は、『予言と言えるまで研き上げられた予想能力』ではなく、『既に決まっている事象を覚えている』だけなのだと。
バフンダインは有能である。だからこそ、帝国の政治を一手に任されているのだ。
「……どうだ? 何か言いたいことはあるか?」
「…………!!」
プロの政治家を、嘗めてはいけない。
どんな世界にも。
文明的・技術的に遅れていようとも。
分かりやすく言うならば。
『ガチの天才』は居るのだ。
「アイネ君。君は『こことは違う世界を知っている』もしくは……『この世界のこれからの歴史を知っている』。違うか?」
「うっ……!!」
バフンダインは、別にこういった経験があるという訳ではない。以前同じような人物が居た訳でもない。ただ単純に、『閃いた』のだ。これまでの報告と、今実際に会った時に。『異世界』という文化、考え方、解釈が無いこの世界で。ゼロから『思い至った』のだ。
「……私は……」
そしてそう『言葉にされて』。アイネの中にあったもやもやは、一気に形を成していく気がした。
「どうだ?」
バフンダインの目は、好奇心を満たす準備をしている。少年のように、輝いている。
もしその通りならば、アイネという少女は『国賓』どころか『国宝』になる。諸外国が必死に『答え』を知りたがり、『総当たり』している時に。自国はその『答え』を既に知っているのだ。戦争、貿易、土地。あらゆるアドバンテージがある。執事など何十人付けても良い。なんとしてもこの少女を手懐けなければならない。
「……私は…………」
だが。
当のアイネは。
「…………分かりません。申し訳ありません……」
「な……」
力無く項垂れた。自分が別の世界を知っているなど。この世界の全てを知っているなど。
そんな『確信』は持てない。可能性としては高い。自分でもそう思う。
だが。
今のアイネには断言はできない。
「……そう、か」
演技ではない。嘘を見抜く目など、『宰相』であるこの男が持っていない訳は無い。
「ですが、『そのどちらか』であるとは、思います。もしくは似た『何か』。……私の中には。確かに、『私以外の知識』が存在します」
「…………」
何とか、結論を伝えた。
期待する答えを聞けなかったバフンダインは、しばらく大口を開けたままだった。
——
「そうか。確かに、急に『貴族流』でもてなされても吃驚してしまうか。あい分かった。使用人は解雇しよう。だがその後、君が雇い直すのはどういうことだ?」
つまりバフンダインは、アイネの『可能性』と『危険性』を考慮して、あの待遇にしたのだ。だが結局は『帝国の少女』であると、直に接して判明した今、特に問題は無い。普通の『軍師』としての扱いで良い。
「私のせいで、彼らは職が無くなるでしょう。私から話して、辞めるなら退職金も払います。……この話はもう『私の問題』ですので。それでは失礼いたします」
「……ふむ。ああ、最後に」
「はい?」
一礼し、執務室を出ようとした所で声が掛かる。バフンダインは席を立ち、ラットリンを越えてアイネのすぐ隣までやってきた。
「『魔術』について知りたいなら、いつでもわしの寝室へ来るが良い。『ベッドの上で』いくらでも話してやろう」
「……!」
置いておいて。
バフンダインの聡明さや閃きはさておき。彼の天才性や『宰相』としての仕事は全く関係無く。
彼はアイネを『欲しがって』いた。
「いいえ。自分のことは、自分で調べます。今日はありがとうございました」
「……そう、か」
社交的に、彼の『男としての尊厳を傷付けず』に。
即答。
アイネは当然、にこりと笑って断った。
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