第8話 フェルシナの街
エンリオ・バルシュハイトは、貴族では無い。力のある軍幹部なんかの子でもない。
父親が軍人だった。それ以外は平凡な家庭。母が居て、歳の離れた妹が居た。
転機は、彼が10歳の時だった。
母親が病気になった。
定期的に薬を飲めば、やがて問題なく治まる病気。父親は当然、薬を取り寄せた。
だがその薬の値段が、高かった。役職も無い父親には辛いほどだったが、彼は当たり前のように薬の購入を続けた。
「俺は家族のために戦ってんだ。何より最優先だよ」
最愛の妻を助けるため。奮闘する父親を、エンリオは尊敬していた。食事が少なくなっても、仕事の手伝いをさせられるようになっても、文句を言わなかった。エンリオも当然、母の為に働いた。
服用を続ければ、約1年で完治するらしい。家の財産では、それがぎりぎりだった。1年以上経って完治しなければ、もう薬を買う金は無い。
天は。運は。
居るならば。
バルシュハイト家を見放した。
「……大丈夫だ」
母親の病気は治らなかった。薬を買わなければ、死んでしまう。だが金が無い。いくら父親が頑張っても、すぐに階級は上がらないし、すぐには戦功も上げられない。
父親はひと言、大丈夫だと呟いた。
次の日に、彼は戦場で死んだ。
「……おにいちゃん?」
怒濤のように、運命が襲い掛かってくる。妹は、あまり理解できていないようだ。泣きもせず、ただ不安な顔を見せている。
軍人が戦地で死ねば、その家族はどうなるか。勿論、国が補償をしてくれる。それ目的で軍人に言い寄る馬鹿な女も居るほどだ。
「そうね。何よりの優先事項よ」
母親は。
その金を自分の薬代には使わなかった。
「……おにいちゃん」
エンリオは、その金を使って軍学校に入った。金を稼がなければならない。『養う』ということは、金を稼ぐということ。幼い妹を路頭に迷わす訳にはいかない。
母親が死んだ。当然の死だった。
「大丈夫だ」
エンリオは、瞬く間に頭角を現し、数年ですぐに卒業した。大人達にひけを取らない剣術と判断力を評価され、帝国軍内部を駆け上がっていく。鳶が鷹を生んだと、周囲に囃された。
「おにい、ちゃんっ」
妹が、病気に罹かった。母親と同じものだ。感染はしない筈だった。だがこの時代の医学では、全てを解き明かした訳ではない。感染では無く別口かもしれないが、とにかく妹は病気になった。
金は、無い。父親は十数年蓄えてきた財産があったから、1年分買えたのだ。いくら階級が上がったとしても、それには及ばない。
「……っ! 大丈夫だ!」
次の出兵の時に死ねば良い。エンリオはそう考えた。当然、最優先事項は妹である。
そんな時に。
『暗部』から声が掛かったのだ。
エンリオではなく、妹に。
——
「大丈夫だよ。おにいちゃん」
軍は、エンリオが死ぬつもりなのを知っていた。だがエンリオの父と違い、彼は優秀な戦士だ。死ぬには惜しい。
そうだ。『死ぬ理由を消して、しかも強い武器を与えられるぞ』。
大好きなお兄ちゃんを死なせずに、さらに強化できる。しかも、君もその肉体で、お兄ちゃんと一緒に戦い、守ってあげられるよ。
幼くも聡明だった妹は、全てを理解して。
即答した。
「……こちらです」
「!!」
15歳の少年に突き付けられたのは、あまりにも変わり果てた妹の姿。父を失い、母を失い。
残されたのが、この『短剣』である。
「そして、妹さんからの手紙を預かっています」
「…………!!」
手紙に何が書いてあったのかは、彼のみ知るところだ。
だが、彼は帝国に対して復讐心を燃やすことは無かった。そして、『短剣』を使って一層戦いに従事した。
——
——
「——その結果、今俺は『将軍』の地位に居る。……とまあ、こんなところだ」
「…………っ!」
絶句。再びの衝撃。
アイネは震えた。やはり、エンリオにも事情があった。だが。
悲しすぎる真実だった。
「今の俺は、家族全員のお陰で存在してる。父が生き方を教えてくれた。母が愛を教えてくれた。妹が、俺に力を与えてくれた。みっともないかもしれないが、俺は『将軍』という地位に対して保守的だ。帝国が滅びるなんて許せない。だから、君の話を聞きたいんだ」
「……はい」
そこで、話は戻ってきた。アイネもどうにか平静に戻る。『こんな話』はいくらでもあるのだろう。こんな世界の、こんな時代だ。いちいちショックを受けている場合ではない。
「私は——」
「失礼しますっ!」
「!」
アイネが自分の話をしかけて。直後にドアが荒々しく開けられた。
緊急の伝令であると、即座に身構える。
「『魔剣の少年』シュクス・リンデンバーンがフェルシナへ到着しました!」
「!」
「はぁ!? まだ掛かる筈だろ!」
あり得ない。シュクスは、まだ手前の町から出ていない筈だ。馬でも数日掛かる。何故急に、この街に現れるのか。
「そ、それが……見張りによりますと、『空を飛んできた』と」
「はぁ!?」
エンリオは開いた口が塞がらない。だがこの事実を、アイネは真面目に考察した。
「……『風剣』」
「!」
彼は。シュクスはただの剣士ではない。『魔剣』を持っている。それは『風剣』。風を自在に起こし操る剣。
修行を経て、飛べても不思議ではない。
「取り敢えず様子を見ようか。……アイネ。どうする?」
エンリオはアイネへと振った。この件は、彼女の指示通りに。アイネの謎は残っているが、それは揺らがない。
「はい。いきなり討って出ることは無いでしょう。私も街へ降ります。『少年』へは顔が割れてしまっているので、仮面か何かありますか?」
「分かった。用意しよう。俺も行くぞ」
——
アイネは。
馬車から直通でこの屋敷に入った。そして、今日まで外には出なかった。内政には手を出さないと市長へ宣言したこともあり、街の様子は特に気にしていなかった。
「……!」
だが。
「(何……この街)」
屋敷とその周辺……以外の場所。
予想はしていた。ここは帝国領だから。
「(……酷い)」
倒壊した家々。荒らされた田畑。うずくまる人々。流石に遺体は処理されているらしいが瓦礫は片付けられておらず、人は住めない廃墟と化している。
「……将軍は、ご存知だったんですか」
「まあな。帝国軍が攻めりゃ、街のひとつやふたつはこうなる。必要なら、後で片付けさせようか」
「……街の人々は?」
「こっちで用意した農地や工場で雇ってる。食事も寝床も給料も与えてる。だから、ここを整備する必要が無いんだ。乞われりゃ助けるが、こいつらはそれでも俺達の支配を拒んだ者達。勝手に死のうが自己責任だな」
「…………なるほど」
アイネは、エンリオの説明を聞いて冷静になった。これが、帝国のやり方なのだ。確かにいちいち動じてはいられない。『ここはもう、そう』なのだ。
「きゃああああ!」
「!」
悲鳴が聞こえた。女性の声だ。
「将軍はここで待っていてください」
「は? 何でだ?」
アイネは『確信』していた。
「『ややこしく』なりますので」
言って、エンリオを置いて悲鳴のあった方へ走っていった。
——
「いやあ! 離して!」
「へっへっへ。まだこんな女が残ってたなんてよ。こりゃ掘り出しモンだぜ」
襤褸を纏う女性。その細腕を掴むのは帝国兵だ。
アイネは瓦礫の影に身を潜めた。
「(……確かに街については口出ししてないけど。こうも分かりやすく『餌』をやるなんて)」
数人の帝国兵に連れ去られ、女性が泣き叫ぶ。
その時。
「待てこの野郎!」
「!」
背後から、帝国兵を呼び止める声が響いた。凛とした少年の声。
「(出た。やっぱり)」
凡そ半年振りに見る、『魔剣の少年』シュクス。少しだけ、前より精悍な顔付きになっている。
「あっ! こいつ! 例の『魔剣の少年』だぜ!」
「ようし! 俺らで仕留めて大手柄だ!」
帝国兵は、次々に剣を抜く。
「この人数相手に何ができる!?」
そして一斉に襲い掛かった。アイネは溜め息を吐く。
「(馬鹿。台詞がもうアウトじゃない)」
シュクスはするりと、腰から『風剣』を抜いた。
「——『颪ノ舞・百空』!!」
「!」
「ぎゃあああっ!」
そして一気に、強風が放たれる。姿勢を崩された帝国兵へ、重い剣の一撃が見舞われる。
「(……凄い)」
どう見ても両手で使うような大きな剣。それを『腰に差す』という違和感。しかし『風』により、重さなど無いように。まるで踊るように重剣を振るうシュクス。
これが、『魔剣』。
「ふぅ——」
瞬く間に、帝国兵は倒れた。
「シュクス——! ちょっと待ってよ~~!」
「はぁ……はぁ。ったく、俺らを置いていくなっての」
そこへ、赤い髪の少女と銀色の髪の青年が駆け寄ってくる。
「ははっ。ごめんごめん。だけど放っておけなくてさ」
それを見て、シュクスも破顔する。和やかな空気が流れる。
「(……あれが彼の仲間。セリアネ姫は流石に居ないわね)」
この街の状態を見て、恐らく何らかのアクションを起こすだろう。
アイネはそれを見届けてから、屋敷へ戻ろうと考えた。
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