第20話
居をシャイラ監修の元に建てられた日本家屋へと移して半年が経過した。
それは囲炉裏がある古き日本家屋だ。
ただ畳の原料となるい草はこの世界にないのか、それとも近隣で手に入れる事が適わなかったのかはわからないが、似たような質感でしっかりとヘリまでがある謎の畳までが完備されているという、シャイラのこだわりがよくわかる出来であった。
エミルとシャイラとしては、久が落ち着くであろうとの思いやりからだったが、久にとってはテレビで見た事のある田舎の旅館といった、エミルたちの想いとは別の感動を得ていた。
――もちろんエミルたちの優しさにも感謝はしていたが、元々両親と住んでいた時の家はマンションであったし、母と暮らしたのは安手のアパート、社長宅は建て売り住宅だったために、懐かしさとかそういった感情を覚える事は特になかったというわけだ。
新しく家が建てられたからといって、以前のログハウスが無くなった訳ではない。
今は専ら購入してきた様々な本が収められたり、3人がそれぞれ勉強したり様々な作業をするために使用されている。
相も変わらず久は算数……いや、一応中学2年生程度まで進んではいるので数学と呼ばれる勉学に励んでいた。
エミルも隣で数学を学んでいるのだが、悲しい事にその内容のレベルは遥かに離れている……久が横目で見るに見た事のないような記号が羅列しているようにしか見えない程に。
そんなある日の夕方の事だった。
そろそろ夕食だという事で日本家屋の方へと戻り縁側で涼んでいると、リードがその縁側に顔を突っ込むようにして話しかけて来た。
「ヒサシに会いたいって言うから森の人が来るよー」
「僕に会いたい……?」
「うん、ボクが話したらね〜会いたいんだって〜」
森の人とはきっと森の民の事だろうと思われる……未だにリードしか交流のない。
噂のエルフにようやく会えるという嬉しさはあるが、なぜこちらから行くのではなく向こうから来るのか。しかも久指名で来る理由に全く心当たりがないのだ。
相変わらず間の抜けた話し方であり、伝えるべき事を伝えたという思いからか、頭をウンウンといったように振っているリード――ただ全体的に大きいために、時折頭やら耳が軒に当たってギシギシと嫌な音をたてており、料理中のシャイラが顔を覗かせ鋭い視線でリードを見つめていた。新築だというのに、無邪気なリードのうっかりで壊されてはたまったものではない。
「もしやあれか?リードよ、森の民に久の倉庫番の精霊の話でもしたか?」
「したよー」
「相分かった、納得した」
エミルがリードへと尋ね1人納得しているので聞いてみると、森の民は精霊信仰であるためだろうとの事だった。
「それでいつ頃来るのだ?」
「多分もうすぐー」
「そうか、では来たらもてなさんとな」
日本家屋に似合うようにとシャイラがこだわった座布団をいくつか用意し、軽く食事を済ませ待つが一向に来る気配はなかった。
それは次の日でも、その次の日でもなく、リードが告げに来てから4日後の事だった。
あくまでもリードの感覚での「もうすぐ」は、彼の走るスピードとエルフ達の進行スピードの違いから時間差が生まれたという事のようだ。
この世界には久のスキルに現れるように、確かに精霊は存在するのだが、人の目の前に現れる事はごく稀らしい。
精霊は無の民以外からは神の遣いと信仰されている。ただその姿を滅多に目にする事が出来ないために、『悪い子は精霊様に会う事は出来ない』とまるで子供に読み聞かせる絵本のような事がまことしやかに言われている。
――森の民からリードも信仰対象とされている事から、リードももしや精霊なのではないかとの疑問が持ち上がり後ほど試してみる事になったのだが、話す事は出来ないようだった。
ただそれがあくまでも久のスキルに付随する精霊のためなのか、それともただ単にリードが精霊とは違うという事なのかはわからない。
「こちらは森の民の王であらせられるアクザ様である。無の民よ、頭が高い!頭を下げよ」
なんか変なのがやって来た。
久が想像していたエルフとは、耳が長く美男美女でありスラリとした体型の種族だ、日本にいた際に読んだ小説やアニメでの印象だ。
だが実際のエルフはというと……確かに想像通りに耳が尖って長い、確かに耳は長いのだが、どう見てもイケメンには見えなかった。全体的にふっくら……ハッキリ言えば太っているし、顔はニキビだらけで頭の上に金色の王冠のような物を載せて、威張るように胸を張っているのだ。
ただ他の従者と見受けられるエルフはそれなりにミナ顔が整っているし、太ってもいないので、もしかしたら王だけが特異な存在なのかもしれないと、かろうじて久は夢を持ち続ける事が出来た。……ただ既にエルフに会えたという喜びなど消えていたが。
――種族全てが美男美女という方が、普通に考えたらおかしい事だろう。エミルが言う通り地球に迷い込んだエルフが美男美女だったのか、それともそのような種族がいて欲しいという願望が話となって残り、現在まで脈々と受け継がれているのかはわからないが。
まぁどちらにしろ残念な事に目の前にいるエルフの王がイケメンではないのだけは確かである。
「そんな事言ったらダメだよ〜ボク怒るよ〜!」
「ははーっ!リード様におきましては、本日も毛並みが美しくあられます事で」
こちらに頭を下げよと言ったと思ったら、リードに怒られてエルフの集団10人ほどが同時に地面の上で正座をして頭を下げ始めた。
その姿を見るに、本当にリードは神の遣いとして扱われているという事を実感するとともに、面倒くさそうな相手が来てしまったといううんざりした気持ちが浮かんだ久は、きっと普通の感覚だろう。なぜならエミルもシャイラは当然の事としてリードでさえもが呆れた表情を浮かべてエルフ一行を見ていたのだから。
――エルフは王と謳っているが、エルフたち森の民の人口は約2000ほどしかおらず、人の街ならばせいぜい町長がいいところだろう。
リードに向かって五体投地のように地面に身体を投げ出して賛美の声を上げたり許しを乞いたり、はたまた貢物であろう肉の塊を差し出したりと忙しい一行が何とか立ち上がって久たちへと向かい合ったのは、来訪から1時間ほど経ってからの事だった。
――後ほど、エルフ一行が帰ってから「よくあんな面倒くさいのと付き合えるね」と、思わず久がリードに漏らしたところ、あくまでもエミルたちに頼まれての物々交換のためと、時折お肉の美味しい物を差し出されるからであって、リードでさえ敢えて交流を図りたい訳ではないらしい。
「そちらのヒサシとやらが不遜にも精霊様をお呼びする事が出来るとリード様より伺った、無の民ごとき……ごほんっ……拝見させて頂きたい」
リードの顔色を伺いながら、ようやく話した事と言えば精霊を見てみたいという物だった。
「倉庫番さん来て〜」
早く帰って欲しいという思いから、言葉の端々に漂うこちらを見下した感を気にしないようにして、倉庫番を呼び出す事にした久。
ただ呼び出したら呼び出したで、それはそれで更に面倒くさい事になるのは明白だったが、この時の久は既に疲れきっており気付きもしなかった。
『何用でございましょうか』
「精霊様!!」
倉庫番が出てくると同時にまた五体投地で、頭を垂れて祈りのようなポーズを取り始めたエルフ一行。
「精霊様はなにゆえこのような無の民ごときに富を齎せられるのか……是非我らとともに起こし願いたいっ!!」
『……』
「何卒!何卒っ!!」
『……』
エミルたちにそうであるように、倉庫番である精霊がエルフたちに反応する事はない。
だがそれでも自分たちは特別とでも思っているのか、必死な表情で声を掛け続ける。
――久のスキルなのだから、その所持者である方が久を悪し様に言って精霊が喜ぶはずもないと思うのだが、海の民同様にエルフたちは無駄にプライドが高い事からその事には気付いてはいないようだ。
「おい、ヒサシとやら。精霊様に我らの元へ行くようにお伝えしろっ!!」
「えっ?嫌です」
「なっ!?なんだとっ!?この無の民ごときがっ」
「グルゥ……」
「な、なぜ故にリード様は無の民ごときを庇われるのですかっ!?」
「ボク怒るよ〜?」
「も、申し訳ございません!そ、そこの無の民たちよ、リード様におとりなしを願えっ!!」
エルフの王と、リードと久のこのやり取りが幾度となく繰り返される。
――もはやコメディでしかない。
何をどうしようとも言葉を交わす事さえ叶わないどころか、精霊に見向きもされない。更には自らが吐き出した言葉に対してリードにも敵意を含んだ冷たい目で見られる事に心が折れたのか、恨めしそうな目で久を見ながらとぼどぼと帰って行った。
エルフたち森の民との初交流は、思っていたものと違い散々なものとなってしまったが、収穫がなかったわけではない。
それは精霊への供物のつもりだったのだろう、エミルたちの畑には存在しなかった果物や薬草であったり、様々な種類の肉を手に入れる事が出来たのだ。
まぁ、確かにその供物が精霊の手に渡った事は事実であり、エルフたちはその事には感謝していた……ただそれが久の倉庫に預けられただけというのが真実であったとしても。
知らないという事は幸せな事である……エルフたちにとってはだが。
ちなみに精霊たちが好むのは相変わらず甘いお菓子類のみだ。会社の倉庫から頂いてきた食糧品の中には、手を汚す事なく片手でパキッと割るディスペンパックと呼ばれる個食用ジャムがあったので、その幾つかをパンと共に提供したところとても喜んでいた。ただ過去にエミルの好物であるピーチパイを無断で食べてしまった前科があるために、勝手に食べないようにと念を押し、もし食べたら二度と差し入れはないと脅しまでしていた。
――もしその光景をエルフたちが見たとしたら、とんでもない事態になっていただろう事は想像に難くないだろう。
「疲れたの……」
「なんであんなに偉そうなんですか?」
例え王だとしても、あの態度には思うところがあった久がエミルへ質問すると、その答えは残念なものだった。
久やエミルたち普通の人間と思われる種族の事を『無の民』と表す事からわかるように、何も持っていない、秀でている事もない種族と思われており、他の種族である民たちの多くからは下等生物のように思われている事が多いらしい。
これまで交流してきた力の民も本来ならそのような傾向が見受けられるのだが、エミルたちのこれまでの尽力や、リードが付き従っている事から対等な態度をもって接してくれるという事のようだ。
リードは自分が安易に話した事により、エミルたちを無駄に疲れさせる結果となってしまった事を悔いしょぼくれていたので、励ましつつ全身を日本で買ってきた大きな櫛でといてやる事となった。
久たちにとって、酷く疲れる1日となったのであった。
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