第19話
地球へと転移してきてから5日目。
相も変わらず高級旅館に宿泊し続けている。
この間本屋での爆買いだけではなく、安価である上に品揃え豊富なの事が有名な衣料品店などにも寄り、3人分の様々な衣服を購入したりもした。
異世界において衣服とは基本的にオーダーメイドが主流である。だが地球ではいくつかの規格で分けられた既製品が主流となっている事にまず驚き、更には生地の多様性に驚いた。
その驚きが本屋同様に爆買いに繋がったり、生地自体を売っている店へと行く事にもなった。
久が無人の社長宅から奪ってきたパソコン、それはエミルとシャイラに更なる衝撃を与えた。宿に設置されている無料WiFiを使用する事により、インターネットを自由に扱えるようになったのだ。
パソコンの使い方、それは久はあまり得意ではなかった……いや、正確にいうならばほとんど使用した事がなかったためにわからないといった方が正しいだろう。今やインターネットはスマートフォンでも可能なために、わざわざパソコンを使用する事がなかったせいでもある。
だが2人はどうやら購入こそしていないものの興味を覚えて、『誰でもわかる初めてのインターネット』なる本を読んでいたらしく、瞬く間にWiFiに繋ぎ様々な情報を目にする事が出来るようになっていた。
現代人にとってもはやインターネットは当たり前の事であり、さほどその物自体の存在を不可思議に思う事はないだろう。
だが異世界人であるエミルたちにとってはあまりにも驚異的な物であった。わざわざ足を運ぶ事も、金銭を必要とする事なく世界中の情報を簡単に得る事が出来るのだから。
「なんという世界だ……久に聞いて想像していた以上に発展した豊かな世界ではないか」
視線をモニターに、右手をマウスに載せたまま驚嘆の声を上げ喜ぶエミル。
「本当に……久様に連れて来て頂いた事を感謝致します」
エミルと同様に視線と手をパソコンに集中させながら頭を下げるシャイラ。
本だけでは得られない情報を少しでも多く得ようとする2人がそこにいた。
2人はパソコンを駆使する事で、社長一家の身に起きた凄惨なる事件や、久を含む自分たちが引き起こした騒ぎを知る事となったが、あえてそれを久に伝える事はしなかった。
それは騒動を久が知ったら、もしかしたら心を傷めてしまうかもしれないという配慮以外の何物でもない。
その横で久は購入してきた数学ではなく算数の勉強をしている。分数を使った式が少々怪しかったためだ。
エミルのうっかりによって不老となってしまった身体のためもあるが、異世界でエミルとシャイラ、そしてリードと共に暮らす生活が楽しかった。もちろんその中には魔法を思う存分使用出来る事や、他の民との交流もある。
だが何よりも、蔑まれ過ごしていた数年で陰鬱としてしまい、現実を少しでも思い出したり考えるだけで嘔吐してしまったり気絶してしまうような自分を快く迎え入れるだけではなく、優しく支えとなってくれた2人と1頭への感謝から、これからは自分自身が支えとなれるようになりたいと思う気持ちがあったために、1から勉強し直そうと思えたのである。
そしてその日は結局、近くの食堂へと赴き昼食をとった以外は一日中宿の中で過ごす事となった。
翌日朝からパソコンに被りつく2人とは別に、久はまた警察署へと赴く事にした。行方不明者届けを下げて貰う事を考えたためである。
また例の公園の片隅へと転移した後、先日購入した薄手のパーカーのフードを被り向かう。
警察署近くまで進み、物陰からそっと署前を伺うもマスコミらしき姿がほとんど見受けられない事にほっとした久。
――その頃マスコミは、昨日起きた社長一家拉致監禁及び暴行事件の記者会見が行われる県警本部の会場へと詰めかけていたためにいなかった事を久が知る由もない。
会社の全ての物や社長宅の電化製品各種を盗みとった事、それは復讐という一面を持ってはいるものの、どこか盗んだ事へと罪悪感を抱えていたために、署内へと進む久の足は酷く遅いもので、入口前に立ち警邏している警察官をまともに見れないでいた。
「どういったご用件で起こしになりましたか?」
そんな姿の少年を警察官がどう見るか?
当然のように声を掛けられる事となるのは明白だった。
「あっ……えっと、僕の行方不明者届けが出ているって聞いて……」
「ん?君が行方不明者届けを出されているのかな?」
「はい」
「ふむ……どういった理由があったかは知らないけれどね、行方不明者届けの取り下げは届けを出した人にしか出来ないんだ。だから出した……えーっと、親御さんだよね?どのような理由があるかは知らないけれどね、1度ちゃんと会って話し合ったらどうかな?」
「……はい」
「うん、色々あるとは思うけど、行方不明者届けを出しているという事は、きっと心配しているだろうから、まずは元気な姿を見せてあげる事が必要だと思うよ」
「……わかりました」
「うん、しっかりと向き合ってね。きっと大丈夫だから……あーっと、一応君の名前教えてくれるかな?」
「五味久です……失礼します」
「五味久君ね……五味……五味……五味久?あっ!」
行方不明者届けの取り下げは出した本人にしか出来ないらしい。
警察官に悪気はない、むしろ優しい人間だったといえるだろう……久のような立場の者以外にとってはだが。
きっと警察官の言葉通り社長に直接会って行方不明者届けの取り下げを願った方がいいとはわかる。だが会えば殺そうと画策してくる事は確実であるし、素直に取り下げてくれるとは思えない事もわかっている。
そもそも届けを下げれたとしても、また日本で暮らす気はない。取り下げるのは社長一家に保険金が渡されないようにするためのみのためだ。しかもそれは本人が自白したような事を先日テレビレポーターから聞いているためにそれさえも必要ないが、一応念の為にと来ただけなので諦める事にした。
――警察官は久の名前を聞き、どこかで聞いた事のある気はしたがすぐにはその名が世間を騒がせている当事者たる被害者名だとは思い出せなかった。思い出したのは久が署前から見えなくなってからで、慌てて追い掛けたがその頃には転移していたために見つける事は出来なかった。
そして後ほど上長に伝えた際に激しく叱咤される事となる。
宿に戻ると、未だエミルとシャイラはパソコンに夢中であったために、再度1人で出掛けノートやボールペンなどを大量購入して来た。
異世界での紙とは、重要な文書や契約書に使用するのは羊皮紙で、その他は日本の和紙に似た物が主となる。だがそれもほとんどが上流階級……つまり王族貴族のみが扱い、庶民が手にする事はほぼない。また筆記具も鳥の羽根を使用しているために、鉛筆やボールペンに慣れている久にとっては非常に扱いにくい物だったために、これから自分が勉強するためにも、エミルたちが使用するだろう事も考え大量購入となったのだ。
購入後また宿へと戻ったのは、そろそろ夕食という時間だった。
宿の予約は本日までで、明日からはどうやら他の客の予約が入っているために連泊は不可能となっていた。
「ネットで調べれば簡単だと思うんで、どこか他の宿を探しますか?」
パソコンに夢中な2人を見て、まだまだ日本に留まる事を希望するだろうと予測した久の申し出に、意外にも2人は首を横に振った。
「いや、今回はここまでにしておこうと思う。確かに欲を言えばまだまだ居りたいと思うが、言い出したらキリがないからな」
「ええ、もしかしたらまた久様にお願いするやも知れませんが、ちょうどキリが良いと思われます」
「そうですね、魔力さえ貯まればいつでもまた来れますし」
エミルとシャイラは久がいない間に話し合っていたのだ、明日帰る事を。
このまま在留していれば、近い内に社長一家の身に起きた凄惨たる事件を知り心を傷めてしまう事を予想したためだ。それほどまでにどのニュースサイトも昨日の事件を大きく伝えていたのだ、どうあっても誰の目にも止まりやすい程に。
翌日長く逗留した宿を女将をはじめとした仲居総出でのお礼とお見送りに戸惑いつつも出た一行。
だがそのまま直ぐに帰るわけではない、近隣のお土産屋により気になっていた物を多々購入となったのだ。
――ご当地や近くを走る高速道路のサービスエリアに並んでいるような菓子をはじめとした食品や、陶磁器で出来た茶碗やカップなど、または温泉街にはまるで関係のないようなキーホルダーまでをまたもや大量購入していた。
その後雪のないスキー場を散歩がてら頂上まで登り、辺りの景色をゆっくりと眺めた後に転移して地球をあとにする事となった。
久にとってはいつの間にかこの異世界の僻地にあるエミルとシャイラが長らく住んでいた家こそが帰宅すべき場所となっていたのだろう、地球に転移した際には口に出なかった「ただいま」という言葉を自然と呟いていた……本人の自覚はなかったが。
約1週間ぶりに戻って来た訳だが、当然何1つ変わってはいなかった。
それでもなぜかどこか懐かしさと心が安らぐのを覚え、疲れるように部屋へと戻るとすぐに深い眠りへと落ちた久だった。
だが翌日からはとても忙しいものとなった。
まずは新たに購入してきた本をはじめとした様々な物品を仕舞う場所が必要だという事で、新たな建物を増設する事となったのだ。
どうやらシャイラは日本の家屋に感銘を受けたらしく、購入して来た建築関係の本を片手に設計図を描き、言葉こそ丁寧なものの現場監督よろしく指図を行いつつ、自らも率先して作り上げる事となった。
エミルはエミルで、建築作業の合間や夜半には大量の専門書を片手に感嘆と悩みの声を漏す。
久は相変わらず算数のお勉強。
リードは久しぶりに元の大きさに戻れた事が嬉しいのか、そこら中を駆け回っていた。
そんな日々が続き、半年後には立派な日本家屋が出来上がった。
――本来なら木を乾燥させたりする必要があるために、もっと時間が掛かっただろう。だがここは魔法のある異世界、時間を必要とする作業は短縮されて、驚くべき速さで完成を迎えたというわけである。
これは余談だが、最終日に購入したお土産のいくつかは、交流のある力の民、海の民、水の民や、リードだけが交流ある森の民にも少しづつだが配られたのだが、美しい包装紙やこの世界にはないプラスチック容器、菓子一つ一つを包むビニール袋に誰もが驚いていた。そして知らぬ間に無の民が異常なる文化発展を遂げていると恐れ
配る際開け方や食べ方をはじめ乾燥剤は食べられない事を説明したために、誰もがその場で食する事となり問題は起きなかった。だがリードが持っていった森の民は違う。「ビリッと破って中の美味しいのを食べるのー」という曖昧な表現での説明だったのと、神獣様から頂いた物という事で食べる事もなく厳重に保管する事となり、これから数百年にをわたって宝物として扱われ祈りを捧げられる対象物となったらしい。
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