第14話

 久たちが起きたのは、昼前になってからだった……つまり外では一夜にして突然建っていた巨大な建物に大騒ぎになっており、辺り一体は大勢のメディアがひしめいていた。

 ――次元を越えての転移。そして社長一家との遭遇により久の精神は疲れてしまい、この7年間……あちらの世界では6年だが、毎日日の出と共に起きていたはずなのにも拘わらず寝過ごしてしまっていた。

 だが250年もの規則正しい生活を破ってしまうほどの衝撃がエミルにあったのか?久のように憎き社長一家との遭遇があったわけじゃないのにも拘わらず、なぜにエミルまで寝過ごしてしまっていたのか?

 その理由は簡単だ。まずこれまでの250年間も自発的に夜明け共に起きてきた事など数える程しかないという事実がある。いつもシャイラというメイドに起こされて居たのだ……さすが元王女様と言うべきか、それとも250年間過ごしても尚変わらないエミルの図太さに感心すべきなのか……更に昨夜は転移で疲れた事もあるが、見慣れぬ物にキャッキャと騒ぎすぎた為である。

 そして肝心のシャイラはというと、2人の状況を鑑みて起こさなかったのだ……外の状況には気づいてはいたが、2人の心身の方が大切だと考えた結果である。

 リード?リードは昨夜久が倉庫から強奪してきた冷凍肉の塊をガリガリする事に夢中で、外の状況なんて気にしてもいなかった。


「大変な事になっている……」


 起きてきたはいいけれど、窓から見下ろした周りの状況……メディアが構えるテレビカメラなどを見つけて絶句する久。

 残念ながら騒ぎになっているのはわかったが、カメラなどを初めて見るエミルにはいまいち問題の大きさが伝わっていないので、久は1人で悩む結果となっていた。

 ――ちなみに久は勘違いしているが、部屋から見えるマスコミの全てがこの建物に興味を示している訳では無い。近くの食品会社の倉庫の中身が一夜にして全てカラになったという大規模な盗難事件への取材陣もいるのだ。……まぁどちらも久が引き起こした問題という点では同じなのだが。


 慌てて部屋の中から倉庫番を呼んでみた。そして1度外に出ないといけないのかと質問してみたが、答えは望む物ではなく、このまま見える場所や覚えている場所に転移する事は不可能という事だった。


「この中を外に出るのか……」


 ゴクリと喉を鳴らし、額に汗を浮かべる久。

 遥か昔、父親が事故を起こした直後の事を思い出したのだ。連日連夜マスコミが押し掛けて来て、母やまだ小学生の久へとマイクを向けて意見を……言葉を吐き出させようと醜く顔を歪め叫んでいた事を。


 昨夜社長一家の顔を見たり声を聞いたりした事からの精神へと負荷。

 そして現在地上で起こっている騒ぎから思い出される過去。

 また久の心を蝕み、傷付ける。


「久、昨日倉庫から得たのはリードに与えた肉以外にも何かあるのかな?恥ずかしいのだが……少し腹が減ってしもうた」

「あっ……うん、ありますよ。食品卸の会社でしたからね、向こうにはなかった物がいっぱいありますよ!」


 腹が減っていたのも事実だが、久の瞳の奥の揺らぎを感じ取りフォローしようとするエミルのファインプレーだった。


 久たちが泊まっている部屋は、倉庫スキルがレベル9になった事で発生した物だ。

 倉庫なのにホテル……一見全く違う物のようではあるが、倉庫は物を預かり、ホテルは人を預かると考えれば似た物なのかもしれない。

 部屋は基本的には久が望む人しか泊まる事が出来ないためか、その時の状況に合わせて様相を変えるようである。今回は2人と1体と1頭という事で、人間用の大きなベッドが2つ、リード用の大きなペット用トイレと水浴び場所が存在していたのが特徴的な箇所だろう。その他は基本的に一流ホテルのスィートルームの似ており、更にはオーブンや電子レンジまで完備されていた。

 そしてそんな仕様に対してエミルとシャイラは興味津々で弄り回そうとしていたが、倉庫番同様反応するのは久に対してだけのようだ。

 ――ただトイレや風呂などは久でなくとも反応したのは、久にとっても幸いな事だっただろう。でなければとんでもない騒ぎになっていただろう……下界以上の。


 久が悩んだ結果取り出したのは、冷凍うどんとネギなどの冷凍野菜、そして麺つゆだ。

 母が帰ってこない日々、少ないお金で買ってよく食べていたのはうどんが多かったのだ……久にとっての懐かしい思い出の食事という訳だ。

 ――厳密に言うとその頃の久が購入していたのは、スーパーの冷蔵コーナーに積んである茹でうどんのパックであり、それをいくつも買って冷凍庫に仕舞っていただけなので少々違いはするのだが。


 慣れた手つきてうどんを茹で、麺つゆを適当な濃度に希釈して汁を作る。これで本来は冷凍のネギを散らして終わりだったのだが、久的に豪華にかまぼこを取り出して少し分厚く切って入れた。


「どうぞ……」

「ほぉ、これがチキュウの食べ物か」


 自信なさげに盛り付けた丼ぶりをエミルの前へと置いた久。

 自信なさげなのは、料理の腕に不安を覚えたのではなく、安物料理である事を思い出し、それをエミルが受け入れてくれなかったらとの思いからである。

 だが久のそんな思いを他所に、エミルは器用に箸を使ってうどんを啜り食べにこやかに微笑んだ。


「なかなか……うん、私は好きだな」

「よかった……じゃあ僕も……あぁ懐かしい」


 よくある異世界小説の主人公のように日本食にこだわりそれを追い求めるような事はなかったが、それでも懐かしき思い出の味には久もつい郷愁を感じ、心からの声を吐き出してしまう程だった。

 ――シャイラはその光景をじっと見つめていた。それは久のそのほっとした表情を見て、その心に懸かっていた負荷が幾分か減ったであろうととの思いもあったが、これまでの久の調理スキルなどを考えた結果、今回奪ってきた食品類を生かしきれない気がしていたのだ。それ故に一段落着いたら本屋に寄って学習をする事を強く望もうと決意していた。


 久たちのそんな微笑ましい食事風景を他所に、外では倉庫の周りには警察官やマスコミ各社、そして野次馬の三重の輪が出来ていた。

 だが残念ながらあくまでもこの倉庫は日本人……いや地球に住まうほとんどの人々にはわからないスキルが顕現した物である。そして一見人にも見える倉庫番たちは精霊であり、久としか言葉を交わす事が出来ないのだ。そのためにどれほど警察官やマスコミが倉庫番にマイクを向けたり尋問しようとも答えが返って来る事はないし、スキルのために突入する事も出来ないでいる。更には倉庫ビルも魔力タンクも、倉庫番たちも一切の攻撃を受け付けないので、地球に住む普通の人々にはどうしようもない。

 ――後ほど知る事になるが、この倉庫や精霊を傷付けるには、エミルたちが生まれた世界にいる最強主であるドラゴンの全力攻撃でようやく壁に傷を付ける事が出来るらしい……つまり破壊はほぼ不可能という規格外な存在のスキルという事だ。

 これからは野宿の心配は一切ない……次の日に起きるであろう周りの騒ぎさえ無視すれば最高のホテルだろう。


 もう1つの騒ぎの元凶……つまり久の元の職場や社長たちの話をしよう。


 昨夜に久が突然現れた事による苛立ちで、中々寝付けなかった一家3人。

 苛立ちから酒を浴びるように飲み、それぞれが物に当たったりしており険悪な雰囲気となっていた。なぜこのタイミングでという思いが苛立ちを強くする。

 ――久の登場をタチの悪いイタズラなどと捉えなかったのは、インターフォンに映っていたのを3人ともが見たからだ……微かに覚えていた久とそっくりな姿を。


『会社の営業車やトラックが全てがありません!!』


 深夜そんな状況の社長のスマホが鳴り響き、部下から意味不明の電話があったのだ。

 ――偶然にもその部下が久を冷凍倉庫に7年前に閉じ込めた男だったのは、久の憎しみが天に届いた結果だろうか……


 営業車やトラックの鍵はしっかりと管理しているのに、突然全て盗まれるなんて信じられなかった。それ故に『寝惚けてるのか?』とか『酒飲んでんじゃねぇだろうな?』と怒鳴りつける結果となる。だが部下は部下で『本当にないんです』と叫ぶばかり。

 結果、もし消えてなかったら部下をボコボコにしてやろうと強く思っていた。……その思いの底には、久が突然現れた事への苛立ちがあったのは言うまでもない。


 だがそんな社長の苛立ちは長くは続かない。

 なぜなら本当に会社前に駐車してあった全てのトラックや営業車がなかったのだ。更にはもう少しで失踪が死亡に変わる事から保険金を得れると踏んで、また先走って買ったばかりの自家用の新車や、娘の愛理用の軽自動車さえも消えていた。


「どうなってんだコレは!?おいっ、てめえこんだけ盗まれてんのに気付かないってどういう事だよっ!!」

「車が走る音も、何か作業をするような音もしなかったんですっ!」


 顔を真っ赤にして怒鳴り散らす社長と、真っ青な顔で力なく首を振る部下の声が響き渡る。

 あまりにもな怒鳴り声に、近隣の工場や家屋に火が灯り始めるほどだった。

 そしてそこでようやく警察へと電話する事になったのである。

 だがここでもまた予想外の事が起きた。なぜなら空き地に謎のビルが現れたとの通報から警察はそちらにかなりの数出動しており、交通整理などに忙しくしていたのだ。そこにまた首を捻るような内容の通報……電話対応した警察官の声はとても訝しげで、それが更に社長の苛立ちを煽る事となったのだ。

 そして交通整理をするほどの騒ぎ……つまりパトカーが来るのも遅れるという始末となるし、その出動内容に首を捻る警察官から情報を聞き出したマスコミが同時に会社に到着したのにもまた社長の苛立ちを加速させた。


『トラックに営業用ライトバン、そして新車である外車のSUVに、国産の軽自動車が突然消えていた……ですか』

「本当なんですって、本当に突然消えたんですよ!!」

「突然ねぇ……今日は色々突然が多い……あぁいやなんでもない、こちらの話です。他には盗まれた物は?」


 警察官も困惑気味であり、かなり疲れ切っていた。話が荒唐無稽としか思えないのだ、それほどまでの大量の車が突然消えるなんてと。それ故に会社ぐるみの自作自演を疑っていた。


 そんな中、社長と部下の騒ぐ声がまた響いた。

 そう、倉庫の中身の全ても消えている事に気が付いたのである……中にあったフォークリフトも全て。


 そしてまた繰り返される警察官との会話。

 警察官は自作自演や記憶違いを疑い、社長と部下は声を荒らげる。

 車などがあった事の証明はなかなか難しい。なぜなら社員全員を呼びつけて証言させても、会社ぐるみを疑われたら終わりなのだ。だが倉庫の中身はまだ証明出来ると思われた。それは夕刻にメーカーから届けられた荷物があったためだ。その納入業者に倉庫内に確かに荷物があった事を証言して貰えればと。だが今は深夜、納入業者にすぐ連絡が着くはずもなく、翌日に回される事となるのだった。


 そして朝を迎え、社員たちが続々と出勤してきて更に騒ぎになる現場。

 そして事務所金庫の中にあった大金も消えている事がわかったのだが……これまた警察官には疑わし気な目で見られる事となり、大騒ぎへと発展する事となっていた。

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