第7話

 時は遡って久が転移する前、ちょうど冷凍倉庫へと閉じ込められた頃。

 大迫家では家族が揃って汚い笑みを浮かべて祝杯をあげていた。


「今日なのよね?」

「ああ、そろそろ上手くいっていればそろそろ電話があるはずだ」


 妻からの問いに、男は少し大きめのグラスに注がれたビールを美味そうに飲み干しながら、チラリとテーブルの上に置かれたスマートフォンの画面を見て頷いた。


 家族団欒の夕食であるはずなのに、それ以降一切の会話はなく少々の緊張感が場を支配しており、食器の音と咀嚼音だけが響いている。そして3人の視線は幾度となくテーブルに置かれた男のスマートフォンの画面へと注がれて続けていた。


「おっ!!」

「「あっ!!」」


 黒かった画面が明るく光り、小刻みに震えながら己の存在を主張するかのように音を鳴らし出したスマートフォン。それを見守っていた3人はようやく声を出した……そこには少々の喜びが混じっているような明るいものだった。


「おう俺だ……よしっ……ちゃんと閉めたんだな?……おう、よくやった!じゃあな」

「ど、どうなの?」

「成功?」

「ああ、さっき冷凍倉庫に予定通りちゃんと閉じ込めたそうだ」


 スマートフォンを耳に当て、真剣な表情で話し始めた男だったが、時間が進むにつれ頬が緩んでいた。そして耳が離してテーブルへと再度置いた時には、緩みきった顔でグラスに残っていたビールを一気に呷った。

 その様子を見て確信を持ちながらも、確認するように声を掛ける母と娘。父親の返事を聞き父親と同じように頬を緩める母と、両手を上げて子供のように喜びを示す娘だった。


「明日は誰が発見するの?」

「ああっ……っと先に新しいビールをくれ……んっ……発見者だったか?明日の早番の社員の浅野だな。ゴミが居ないと電話してくるのか、それとも自分で発見してから連絡してくるのかはわからんが」

「浅野さんは知らないのよね?」

「ああ、知らん。知ってたら警察にボロが出る可能性があるだろ。だいたいあいつはあのゴミに対して最近若干同情的気味だったからな」


 妻の問いにそこまで一気に答えると、ビールを呷り喉を潤した。

 男の言う通り、久に対して同情的であったりする者は少なからずいた。悲惨な境遇であるにも拘わらず、決してグレるどころか一切サボりもせずに必死に働くその姿に、そもそも親が起こした事が問題であって久には一切の咎などない事を理解しており、些かの憐れみと同情的を抱いていたのだ。ただ手を差し伸べたり大きな声をあげるとまではいかなかったのは、所属している会社の長や、それに媚びへつらう若く力が強い者が多かったせいだ。たった1人の不遇な未成年の子供と、己の社内における立場を天秤に掛けたならば、後者が勝つのは仕方がない事だろう、誰だって自分の身が1番可愛いのだ。


「ねぇパパ、約束通りバッグ買ってくれるんだよね」

「んっ?」

「えっ?約束したじゃん!!だから嫌々付き合っているフリとかしたのに!手まで握ってあげたんだよ?」

「わかってるよ、ちょっとした冗談だろ」

「も〜ビックリさせないでよっ!!」

「ゴミも最後に夢見れて良かっただろっ」

「本当だよ〜」

「私のもわかってるわよね?」

「ああ、わかってるよ」

「あなたはもうディーラーにクルマ頼んだんでしょ?」

「ああ、納車日は来月の終わりだ」


 どうやら久が推理した通り……悲しい事に愛里との関係性も殺害計画あっての事だったようだ。


 それにしても嬉々とした表情で、それぞれが保険金がその手に入ってくる事を夢見てだらしなく顔を歪めている姿は、とてもおぞましいものだった。そこには罪悪感や後悔など一切なく、ただただ欲望を口にしているのだ。

 そして3人の宴は夜遅くまで続いた……全てが予定通り、計画通りに事が進んでいると信じて。


 翌朝3人は6時には全員が揃ってリビングに待機していた。普段なら遅刻になる時間ギリギリに起きてくるはずの娘までが、通う高校の制服を既に着ていた。


 会社への早番の出勤時間は朝の6時、そこで夜勤の者と交代となるのが本来の流れである。そのため浅野という社員が出勤後、久がいない事に気付いて冷凍倉庫を探して見つけるか、既に帰っているのかと社長へと連絡して確認などをするかとなるだろうと予測していた。どちらにしろ連絡はあるはずなので、今リビングにて、昨夜と同じようにテーブルに置いたスマートフォンを見つめ今か今かと着信があるのを待ち侘びている。


 そして時計が6時10分を指し示した頃、スマートフォンが明るく鳴り響いた。


「はい大迫……えっ?居ない?いや、家には帰って来ていないが……そんなバカなっ!!今すぐ行くっ!!」

「まだ見つかってない感じ?」

「おうっ、にしても俺今めちゃくちゃ上手くなかったか?」

「ちょっとオーバーだったけどね〜」

「そうか?まぁとりあえず行ってくるわ」


 心做しか得意げな顔だったのが、娘の反応に納得がいかないのか首を傾げながら青い作業着を身に纏うと玄関へと向かった。そして予定通りに進んでいる事からついニヤけてしまう顔を引き締めるためか、靴を履いて扉を開ける前に大きく1度頬を両手で叩いて息を吐いてから外へと出た。


 大迫の自宅から会社までは歩いて10分、走れば5分ほどの距離にある。本来緊急事態が起きた場合は、当然自宅から会社まで全力疾走していくのだが、のんびりとタバコを咥えながら歩き、そろそろ自社の建物が見えるといった所でこれみよがしに走り出し……凡そ2分ほどで到着すると、わざとらしく額の汗を袖で拭きながら事務所の前でウロウロとする連絡をしてきた社員へと声を掛けた。


「ハァハァ……なんっで、ここにいるんだ?」

「あっ、社長!鍵が開いていないので」

「んっ?……あの野郎居眠りしてんのか?」


 浅野という社員がオロオロする姿に、つい頬を緩めてしまいそうになるのを堪えながら、思ってもいない事を口にしながら事務所の扉を開けて中へと入る。


「おいっ、久っ!!……居ないのか久!!」


 広くもない事務所へと入ると大声で名前を呼ぶ社長だが、まるで探す素振りのない姿に若干の違和感を覚える浅野はじっと背中を見ていた。


「いないようだ……倉庫は見たか?」

「はい、一応簡単には見たんですが……」

「そんなわけないだろう、ここに居ないんだ、他は倉庫内で作業しているしかないだろう」

「そう……ですね」

「おうっ、じゃあ行くぞ」


 出勤して社長に電話する前も、した後も同じ事を考えて全ての倉庫内を探したがどこにもその姿を見つける事は出来ていなかったが、社長の何故か確信したような言葉に戸惑いを覚えつつ後を追う。


「じゃあ俺は常温庫と冷蔵庫を見てくるから、浅野は冷凍倉庫を見てきてくれ。見つけたらすぐに連絡をくれ、すぐにな」

「……了解しました」


 念を押すように、まるで冷凍庫で彼を見つける事が決定しているかの口振りに、更なる不信感と疑惑を覚える。

 手前から常温・冷蔵・冷凍と並んでいる倉庫の前を歩きながらそっと後ろを振り返ると、扉を開けて常温庫へと社長が入ったのは確認出来たが、すぐにそこからタバコの煙が外へと流れ出ている事を発見してしまった浅野。そこでやはり社長は何かを知っている事を確信すると同時に、最悪の予想が出来てしまった……つまり久が冷凍庫で眠っていると。まさかという思いと、ここまでの社長の態度行動からの確信がせめぎ合い、背中に嫌な汗が流れ落ちるのを感じた。

 どうか外れていますようにと願いながら慌てて冷凍庫の扉を開ける。そこで昨日突然社長がセーフティーが壊れたと大して困った様子も見せずに騒いでいたのを思い出した。全てが線で繋がり……冷凍庫から出てくる冷気ではない何かに身体がブルりと震えるのを感じた。


 扉が閉まるのを防ぐようにと傍らに置いてあった石を置き、恐る恐る倉庫内へと侵入して探したが、予想とは違い誰の姿もそこにはなかった。……ただ商品がぶちまけられダンボールが入口付近に重なっているのを発見はしたが、凍死した久がなかった事への安心感から気にする事はなかった。


 考えすぎだったのか?

 だが社長の様子を見るに……

 と、久が見つからなかった事から得た安心感と猜疑心の間で揺れる。


 頭を振りながら、今はとりあえず久の行方を探す事を優先しようと考える。


「社長、冷凍庫にはいませんでしたが、そちらはどうです?」

「そ……はっ!?居ない!?」

「ええどこにも」

「ちゃ、ちゃんと探したのか!?」

「隅から隅まで探しましたが、どこにも」

「そ、そんなわけ……俺が探す」


 わざとらしく沈痛そうな顔をしていると思ったら、報告を聞くや否や急に声を荒らげ、押しのけるようにして冷凍庫へと入る社長の態度を見て、やはりとは思うが肝心の久の姿がない事に頭を捻るしかない。一体何がどうなっているのかと。


 しばらく冷凍庫の中で自社の商品を乱暴に扱いながらくまなく探していた社長だったが、どこをどう探してもその姿を確認する事が出来ないとわかると、明らかにイラついた表情で外へと出てきた。


「常温、冷蔵庫にもいなかったんです?」

「……居ない」

「電話はされましたか?」

「……してみる……チッ電源が切れている」

「久君が無断で職場を離れるなんて初めてです。もしかしたら事件に巻き込まれたとか?警察に通報しましょう」

「いや……どこかに出掛けているのかもしれん。とりあえず浅野は通常業務をしてくれ」

「そう……ですか、了解しました」


 警察という単語を出した途端に一瞬顔を顰めた社長を見て、更なる確信を深めた浅野だが、肝心の久の姿がない事にはどうしようもないので、どうか無事に居てくれと願いながらその場を後にした。


 その場に残った社長はというと、すぐにスマートフォンを操作して電話をしだした。まず掛けたのは、昨夜冷凍庫へと閉じ込めたと連絡をしてきた社員だ。浅野が事務所へと入るのを確認してから耳に当てた――もはや既に完全に疑われているのだが、本人はここまでボロを出していないつもりのようだ。


「俺だが……ああっ!?てめぇ本当にちゃんと確認したんだろうな?……おうっ……おうっ……5時間倉庫前で出てこない事を見ていて確実?だったらどこにいるんだよ、ああっ!?……そうだよ……はぁっ?来るなよ」


 どうやら昨夜社長へと電話した直後から5時間ほど倉庫を見張っていたらしい。その事を電話で伝えたものの、現実に久の姿はどこにもないのだ、疑われても仕方がないだろう。


 苛立った様子を隠さないままに続いて電話を掛けた先は妻だ。

 今度は相手の話を聞く事もなく、現状を端的に伝えるのみだった。


「どうなってんだ……」


 苛立ちから困惑へと表情を変え、ボソリと呟いた言葉は空へと吸い込まれていった。


 1ヶ月後、いつまで経っても久が現れない事から、ようやく警察へと行方不明者届けを提出する事となった。

 なぜ1ヶ月も経った後か、冷凍庫に居ないという事はどこからか脱出したと判断するしかない。だが保険金殺人計画をたてていた手前、もし警察が久を見つけて保護してしまった場合、計画を暴露されて己の身が危なくなるのではないかと考えたためだ。だが届けを出さない事は、養子にした手前不自然極まりない……あくまでも本人たちは人格者を気取っていたのだから。

 それ故に1ヶ月後となったのだ……大半の届けを出す人達の願いと正反対の事を考えながら。

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