第5話
この世界において魔法とは、1部の例外を除いて、基本的には体内にある魔力を体外に放出させる際に起きる事象らしい。その為魔法を覚えようとするならば、まずは体内にある魔力を認識をし、その後それを体外へと放出する事を覚えるのが大事なのだそうだ。
ではスキルとは何か?それは魔力の認識や放出を覚えなくとも自動的に行ってくれるらしい。確かに久は魔法の何たるかを知らずとも、唱えるだけで転移を行えた。
ただここで注釈すると、本来のスキルのほとんどが魔力を使用しないものがほとんどらしく、転移魔法のような多大な魔力を消費するものは珍しいそうだ。そしてまた倉庫に精霊が付いてくるといった例は、エミルとシャイラが知っている限り初めてとの事だった。
これは久が異世界からやって来たからなのか?それとも久が特別なのか?ただ単にエミルたちが知らないだけで、そのような例はいくつもあるのかはわからない。
「では魔力を認識する事から始めようか」
「お願いします」
「うむ、では座って両手を出せ」
朝の畑での魔導人形へと指示出しが終わってから、リビングにて勉強する事になった。
服装は作業着からシャイラがいつの間にか縫った、絹のような手触りの白いシャツとパンツだ。エミルの話では、シャイラは家事全般や戦闘技能、他の様々な事柄が超一流らしい。どうやら故障している魔導人形の部品を色々組み合わせた結果、様々な技能を併せ持つ完璧な個体となったとの事だ。
――何事においても超一流に熟す疲れ知らずの魔導人形……エミルは量産など出来ない、偶然と奇跡が重なったためと言うが、そんな物が量産されたら仕事を失ってしまうとの危機感から、昨日まで
ちなみに作業着は捨てる事も考えたが、どこか捨て難くて一応倉庫に保管してある……その縫製に興味を示したシャイラが散々弄った後となったが。
エミルの指示通りに久が床に胡座をかいて両手を差し出すと、エミルも正面に座るとおもむろに久の両手を握った。
細くしなやかな指はほんの少し冷たくて、それでいて温かさや柔らかさを感じてしまっていた。
更にすぐそこに絶世の美少女の顔がある事もあってか、久は顔が赤くなるのを認識してしまい思わず俯いた。
「では今から魔力を直接流し込んで久を通して循環させるから、久は身体を抜けていくものを感じよ」
だがそんな久の思春期のような反応などお構いなしに、エミルは目を瞑る。
その姿にまた久は緊張しつつも、「長い睫毛……」だなんて見蕩れていた。
「久、初めての事で緊張するのはわかるがリラックスしてくれ。魔力は精神も大きく作用するからな、緊張していると上手く通らん」
「は、はいっ」
魔法への緊張ではなかったが、それを見透かされたという恥ずかしさからか、思わず甲高くなった声で返事をし背筋を伸ばした。
「では行くぞ?息をゆっくり吐いて……そうだな、好きな光景でも思い浮かべていよ」
「はいっ」
好きな光景と言われても、久にすぐに思い付く場所などはなかった。
思い出される日本での生活……だがそのほとんどは他人からの白い目や誹謗中傷に塗れており黒く澱んだものだ。
そして社長一家に拾われた後の事だ。あの閉じ込めた社員の言葉を信じていない自分と、やはりそうなのかと納得している自分がそこにはいた。どこかで違和感を覚えていたのだ、日々の生活の中で。それまでに受けていた様々な事により、他人の目の奥に潜む
「ど、どうした!?もしかして苦しいのか!?」
突然慌てたようにエミルが声を上げた。
それもそのはず、いつの間にか久の目からは涙が零れ、身体をカタカタと震えさせていたのだ。――それは人の悪意への恐怖か……それとも真実から目を背け続けていた己の愚かさ故か……久自身にもわからない事だった。
「もしかしてツラい事を思い出してしまったのか?」
「!!」
エミルは先程とは打って変わって優しい声音で問い掛けると、繋いでいた手を放し、そっと震え続けている久を抱きしめた。
「大丈夫だ、ここにはお主を傷付ける者などいない……大丈夫だ」
「ううっ……うわあっっ」
その抱擁は、まだ事件が起きる前の幼き日の温かさを思い出し……久は事件以来初めて声を上げて泣いた。
ずっとこれまで気を張って生きてきた、必死に生きてきた。一生懸命に生きていればいつか報われるとの思いで。
本人は気付いてはいないが、久の精神状態はずっと危うい綱渡りをしていたのだ。
それが今、エミルに与えられた温かさから崩れてしまったのだろう、散々声を上げて泣いた後に気絶するように倒れた。
久が目を覚ましたのは、倒れてから3日後の朝だった。
夢の中でもずっと誰かに蔑まれ、時には暴力を浴びていた日々が繰り返し流れていた。そして「もう死のう、生きていてもツラいだけだ」との思いが浮かび上がるのだが、なぜか毎回名も顔もわからない誰かが手を握り「大丈夫だ」と声を掛けてくれて思い留まっていた。
そして引き留める誰かに会いたいと願い続けていたのだが、それは目が覚めた時に判明した。ベッドに横になる久の手をエミルがしっかりと両手で握っていたのだ。
その温かさは、夢の中感じたものと同じだったのだ……母の手のように優しく柔らかく温かかった。
「……エミルさん」
「んんっ……」
「エミルさん……」
「んっ……お、おっ、起きたのか!?」
「はい」
「頭は痛くないか?どこかツラい事はないか?」
「大丈夫です」
「本当に大丈夫か?お主は突然気を失ってから3日も眠っていたんだぞ」
「3日……」
「あぁ3日だ、そしてその間ずっと苦しそうに魘されておった」
「……もしかしてその間ずっと手を?」
「いや、シャイラと交互だがな」
「……ありがとうございます」
久は自然にまた涙を溢れさせ零した……それは事件以来、初めて悔し涙でも苦しさからくる苦いものではなく、感謝と喜びからくる暖かい涙だった。
「3日も眠っていたのだ、腹が減っているのではないか?」
「お嬢様、長らく何も食べていなかった身体に突然重たい物はいけません。久様、まずはこちらをどうぞ」
シャイラがお盆に薄いオレンジ色のジュースを載せ久へと差し出した。
だが久はそれを受け取らず……
「お二人ともご迷惑をお掛けしました……それとありがとうございます」
ベッドからは降りはしなかったが、上半身をしっかりと起こした上でしっかりと頭を下げた。
「いや、何もしとらんよ」
「はい、何も私たちは出来ませんでした」
「そんな事ないです!!ずっと……ずっと声が聞こえてました。だから目も覚めたんだと思います」
「そうか……少しでも久の役に立ったというのなら良かった」
「はい、どこかスッキリとした顔をしていらっしゃいます」
「腹が減っておるだろう、まずはそれを飲んで身体を元に戻す事が先決だな」
「ありがとうございます」
シャイラの言葉通り久の顔は以前に比べると、3日も眠り続けたせいで少し頬が痩せてはいるものの、目の奥に虚無感や絶望感を秘めていたものが消えていた。
そして更に3日後から、ゆっくりと久の修行が始まる事となった。
先日のようにリビングの床に胡座を組んで座ったのだが、また倒れてしまうのではないかと少し怯えるエミルがそこにはいた。
「久よ。魔法をどうしても覚えたいか?もし覚えなくとも、久はずっとここに居ってもいいんだぞ?」
そして優しく問い掛けたのは、居場所を失う事を恐れている久を思っての言葉だった。
それはエミルの本心だった。
250年もの間たった1人と1匹で長く過ごして来たのだが、最初の幾年かは寂しさなどを感じてはいたが、長い時を過ごす内にそんな感覚も忘れ去っていた。だが久が現れた事によって思い出してしまったのだ、寂しさという感情を。
だが寂しさからだけで言っているのでもない。久の倉庫スキルにより、シャイラの部品が大量に手に入った事に感謝しており、その礼のためという気持ちもあるのだ。
「いえ、もしエミルさんが嫌ではなかったら教えて下さい。魔法とか僕がいた世界では憧れだったので」
「そうか、久がそう言うならば良いのだ。それにしても魔法がない世界とは……想像がつかん。叶うならばいつか見てみたいものよ」
「そうですね……あまり勉強していなかったので、科学の仕組みとか説明出来ないんですけど、魔力を増やしていつか地球に転移出来るようになったら一緒に行きましょう」
「!?よいのか?連れて行って貰っても……」
「もちろんです」
中学校はイジメにも負けずにちゃんと通ってはいたが、色んな物を説明出来るほどの事を覚えてはいなかったのだ。
地球に帰りたいなんて久の本心では思ってもいなかった。だが地球の話に目を輝かせるエミルを見て、少し行って帰ってくるくらいはありかなとも思ったのだ。
転移してくる前の日本の季節は春頃だったのに、今のこちらの世界の季節は夏。その事から考えると時間の経過が地球と同じだとは思えないが、目標は7年と定めた。
なぜ7年か?
それは社長が殺人計画を本当にたてていて、殺そうとした事の黒幕かどうかはとりあえず別にして考える。
自分がいなくなった事は事実。そしてその事から失踪届を出すだろうと推測出来る。確か失踪届は7年間生きている事が確認されない場合は、死んだ事にされるはずだったと記憶している。そのためにその前に戻りたいと思ったのだ。
「では改めて始めようか、まずは魔力を感じる事から始めよう」
「お願いします、エミル先生!」
「先生……ふふふ、何かいい響きだ。では生徒よ、始めようか」
しばらく上機嫌のエミルと手を繋いだままにしていると、何やら暖かいモノが指先から流れ込み、鳩尾辺りでぐるぐると渦を巻いた後に、逆の手の先へと流れて出ていく事を感じた。
それを素直に伝えると、エミルは大きく頷いた。どうやらソレが魔力というものらしく、鳩尾で渦を巻いたのはそこに魔力を貯蓄する器官があるかららしい。
ここで急に久は不安になった。
それは日本で暮らしていた時には確かに人体に魔力発生器官などなかったはずだ。自分の知識不足とも一瞬考えたが、17年間生きてきて1度たりともそんな話など聞いた事はないと首を振る。
だがエミルは確かにあると言ったし、久自身も鳩尾で渦を巻くのを感じた。
なかったものがある……これはどういう事か?もしかして転移してきた際に身体が生まれ変わってしまったのかと。
「どうしたその顔は……」
不安そうな久の表情を見てとったエミルが問い掛けた。それに久は素直に己の不安を打ち明けると、エミルは大きく笑いだした。
「ふふふふ……大丈夫だ、目に見える物ではない。もしかしたらチキュウにも魔法があったのやも知れんぞ?住まう人間が知らないだけであってな」
「そうなんですかね?」
「うむ、久の話を聞くに物語の中などでは魔法という存在があったのであろう?だとするならば、もしかしたら久が知らんだけで密かに使っている者がいたのかも知れん。いや、久がこちらの世界に転移してきたように、魔法ある世界から転移なりをして広まったのかもしれんな……っと、少々脱線してしまったが、身体が勝手に何かに弄り回されたとかはないと思うから安心して良い」
「そ、そうですか……」
エミルの言葉に久は心底安心したといった様子でため息を吐いた。
「よし、安心したところで次に進めようか」
ニコリと大きく笑みを浮かべたエミルの言葉に、久は頷き背を伸ばした。
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