第1話

「……い……う……か」


 何かに包まれているような……

 暖かい?


「お……しっ……い……」


 何かが聞こえる。

 誰かが助けに来てくれたのか?

 他の社員?いや、あいつら全員が俺をずっとゴミクズと呼んでいたし来るはずがない。

 では社長……いや、あいつが張本人だって話だ。

 誰だよ……もうしんどいんだ、このまま寝かせてくれ、死なせてくれ。


 久は意識が覚醒しつつあるのを自覚しながらも、ショックから起きる事を必死に拒もうとしていた。


「これどうしたんです?」

「ふふふ……今日はね待望の出来事があるの、だからそれの前祝いよ」


 つい数時間前に食べた夕食の光景が久の脳内で再生されていた。

 普段お目に掛からないようなほどの様々な料理がテーブルに所狭しと並べられ、お義母さん……つまり大迫優里が満面の笑みを浮かべて久へと料理を勧めてきていたのだ。


「どんな事なんですか?」

「ふふふ……明日になればわかるわよ、よーくね」


 今思えば、きっとあれは久を殺す事を言っていたのだろう。チラリとリビングの奥を見た際にクリーニングの袋に包まれたスーツらしきものが掛けられていたのも、きっと喪服だったに違いない。


 ……いや、もしかしたら違うかもしれない。社長である大迫俊典おおさことしのりの事にしても、あの社員が言っているだけで確証なんてものは1つもないんだ。そんな事よりもこの2年間大迫一家に受けた恩の方がよっぽど信用出来る。そうだ、そんなわけがない。


 だが生命保険に入って社長を受け取り人に指定したのも確かなのだ。しかも同時に複数のものに加入させられた。支払いは社長が代わりに行ってくれていたからよかったものの、本来ならば給料のかなりをが消えてしまう額だった。

 そういえば、あれは養子縁組した直後だった気がする……しかもまるで急かすように、ハンコまで用意されていて記入させられたのだ。もしかしてあの時から計画していた?


 受けた恩から信じたいという気持ちと、どこか納得してしまう社長たちの行動への猜疑心が鎌首をもたげせめぎ合う。


 一体どちらが真実なのか……


「おい、大丈夫か!?」


 幾度となく掛けられていたであろう、焦りを感じさせる声がハッキリと頭上から聞こえてきた。

 それはこれまで聞いた事のない声だったために、誰だろうか?救急隊員?医者?そう思いながら久がゆっくりと目を開くと、そこには白銀の髪の毛を肩まで垂らした、自分と同じ年頃と思われる綺麗な少女が涙目でこちらを見ていた。


「ああっ、良かった!目が開いたようだ」


 見た事のない美しい少女は目鼻がハッキリとしており肌は透き通るように白い……まるでテレビで見かける外国人のようでもあるが、久がこれまで見た事のある誰よりも美しい顔立ちをしていた。


「さぁ、これを飲め」

「……」


 頭が追い付かず、ただぼーっとしている久に業を煮やしたのか、その口を無理やり開くとトロリとした果物の濃いジュースのようなものを流し込んだ。


「ゲフッ……ゴフッ……」

「吐き出すなよ?これはお前の身体を癒す物だ」

「……!?」


 寝ているところに無理やり流し込んでおいて、噎せるなとはなんて勝手な言い分だ。そう思ったのも束の間、流れ込んできた液体が身体の隅々にまで広がっていくのと、それと同時に細胞の一つ一つがまるで活性化しているかのように暖かくなる感覚を覚え驚く久だった。


「もう大丈夫だ……こんな最果ての土地に突然現れた事も不思議だが、夏だというのにまるでつい先程まで雪山にでもいたかのように凍りそうになっていたが、一命は取り留めたようで安心した」


 最果ての土地?

 夏?

 何を言っているのか理解出来ない。

 自分が居たのは都市郊外ではあるが最果てと呼ばれるような場所ではないし、今はまだ春だったはずだからだ。


「とりあえずは眠れ」


 疑問に埋め尽くされている久へと少女はそう優しく声を掛けると、白魚のような指をそっと久の眉間に当てた。すると久の目は閉じ、穏やかな寝息をたて始めた。


「寝たか?……ふぅ」


 小さく確認するように呟くと、少女はほっとため息を漏らし久の身体へと綿で出来た毛布をそっと掛けた。


「このような忘れられた最果ての地にどうしてこんな子が……」


 誰に問いかけるでもない言葉を呟く少女の瞳はとても悲し気だった。




「うぅ……」


 久が目を覚ましたのは、それから数刻後の事だった。

 長く寝過ぎたせいで起きる背中の痛みのようなものを感じつつ辺りを見渡してみると、タンスのような物だけがある殺風景な部屋のようだった。


「ここは……俺はどうして?」


 見覚えのない風景に戸惑い首を捻る。


「閉じ込められて……誰かに助けて貰ったような……病院?いや、でも……」


 傍の窓からそっと外を見てみると、真っ暗だが月夜の光で大きな木々が照らし出されていた。


「森?……なんで……」


 久の住んでいた近くには、公園はあるが大きな森などはなかったはずだと。もし救急搬送されたのだとしても、草原と森があるような場所に心当たりはない。

 身体を起こしてみると、ベッドは鉄パイプではなく木材で出来ているようであるし、毛布も白くはない茶色いので、やはり病院ではないようだ。


「どこ……」


 つい先程まで、もう死ぬんだ全て終わりだと思っていたにも拘わらず、知らぬ場所という事に急に不安になる。


 毛布を剥がし、物音を立てぬようにそっとベッドから降りて己の身を確かめてみれば、靴こそ履いていないものの、倉庫内にいた時と同じいつもの水色の作業着を着ている事にほんの少しの安心感を覚える。


 ギシッ……


 もしかして死んだのか?

 月明かりだけが射し込む部屋で、久が身体中を触り確かめている時だった、文明の光と共に眠る前に見かけた少女が入口からそっと顔を覗かせた。


「もう大丈夫そうだな」

「!!」


 少女の言葉にビクリと久は身体を硬直させる。


「どうした?」

「こ、ここは?お、俺は死んだんですか?」


 光を背にした少女があまりにも美しく、思わずやはり自分は死んでしまってここはあの世なのかと思った久だった。


「確かに生きていると思うが、死んでいるのか?」

「いや……」


 不思議そうな顔で逆に問い掛けられた久は返答に困ってしまっていた。


「ここは忘れられた最果ての地、お主はどこからどうやって来た?」

「わす……果て?」

「ふむ……色々見るにどうやら事情がありそうだな」


 初めて聞く言葉に首を捻る久を見た少女は、思慮深い顔をして小さく頷いた。


「良かったらこちらに来て話そうか」


 久をいざなうように背を向けてゆっくりと歩き出す少女。

 恐る恐るその後ろを付いて行くと、大きな居間のような場所に着いた。そこは天井には光り輝くシャンデリアが輝き、壁際には高そうな調度品が備え付けられており、真ん中には革張りの大きなソファーが設置されていた。それはまるでテレビで見た事のある、ヨーロッパの王族の部屋のようでもあったが、そうではない事を久は理解した。なぜなら壁にはまるで幼き日に遊んだゲームに出てくるようなドラゴンの頭のような物が飾ってあったからだ。


「まぁ座れ」

「……ここは地球ではないのですか?」


 少女に促されるも、立ち尽くしたままにドラゴンの頭を見ながら問い掛けた。


「チキュウ?初めて聞く名だが、それはどこの事だ?」

「え……地球の日本って所に住んでいたはずなんですけど」

「チキュウにニホンか……聞いた事はないな」


 久と同じように首を捻る少女。

 その様子を見て、やはりここは地球ではないのかもしれないと認識する久。


「ここは先程も言ったが、忘れられた最果ての地だ」

「お嬢様、いつまで病み上がりのお客様を立たせておくのですか?」

「!!」


 背中から突然声がしてビクリとして久が振り向くと、そこには20歳前後で赤い髪をしたメイド服姿の女性が、お盆の上にティーセットを載せて立っていた。


「いや、すまん……えっと、座ってくれ」

「どうぞお座り下さいませ」

「……では失礼します」


 慌てたような顔の少女と困り顔の赤髪の女性に促されてようやくソファーへと座ると、目の前の机にティーセットが並べられた。


「どうぞお飲み下さい」

「では……あっ、美味しい」

「ありがとうございます」

「ふふふ……他人に自分で摘んだ物が褒められると嬉しいな」

「摘んだ?」

「うむ、ここには私とそこのシャイラ、そしてペットのリードしか住んでいないからな、自給自足のためその紅茶も自分たちで栽培して摘んだものだ」

「魔導人形のシャイラと申します、お見知り置きを」

「まどうにんぎょう?」


 紅茶などは買う物というイメージを持っていたために、摘んだという言葉に思わず問い返すと、新たな知らない情報が提示されて戸惑ってしまう久。


「魔導人形も知らんか……ではアズラルール大陸はわかるか?」

「いえ……あの……ここにはそこにあるような生き物がたくさんいるんですか?」


 やはり知らない言葉だ。

 そこでもしかしたら異世界なのかもしれないと、その確信を得るためにずっと気になっていた壁に飾られているドラゴンの頭らしき物を指さし質問した。


「あれか?あれは……うーん、たくさんとは言わんがそこそこ空を飛んでおるな」

「そうですか……」


 やはりここはどうやら地球とは違うようだとの確信を得た久。


「どうやら何かわかったようだが、よければその何かを教えてはくれないか?」

「あっ、はい。どうやって来たのかはわからないんですけれど、もしかしたらお……僕は異世界から来たのかも知れません」

「異世界!?それは違う次元にある世界という意味か?」

「そ、そうです」

「ほう……異世界……そういえば昔読んだ本にそのような記述がある物があったな……てっきり都市伝説的な物だと思っていたが」

「この本でございましょうか?」

「おっ、取ってきてくれたのか」


 久の推論を聞いて、ブツブツと独り言のように呟き始めた少女。赤髪のシャイラと呼ばれた女性が、黒い革表紙の本を手に少女に差し出した。


「うむ、やはりここに書いてある……その男は全身銀色で子供のような体躯で頭と目がとても大きかった、そして不思議な事に頭の中に直接話し掛けてきた……ふむ、これは違うな……こちらは……まるで海の生物にそっくりな吸盤の付いた八本の触手を持っていた……」


 少女は机の上に本を置いて読み上げては、久を見て首を振るといった動作を繰り返している。

 その内容は久にとっては、テレビの中で見た事のある宇宙人や火星人を想像させるもので、もしかしたらここは異世界ではなく違う星なのかとも思っていた。


「これは……我々とよく似た姿形をしていたが、魔法をおとぎ話の中の話だと信じていた者がいた。その者はパリという所に住んでいたらしい……どうだ、ここまでの中で聞き覚えのある言葉はあったか?」

「最後のパリっていうのは、僕が住んでいた世界にある他の国の都市名だと思います」

「そうか!!そうなると、この本はデタラメではなく真実である話を書いたものだったという事だな?眉唾物と思っていたが、まさか本当だったとは……」

「魔法があるんだ……」


 少女は異世界の存在に驚いていたが、久は魔法という言葉に驚きを隠せなかった。


「やはりお主も魔法を知らんのか?ではスキルも?」

「あっ、はい。魔法は架空の物語の中でしか見た事がないです。あとスキルというのはわからないです」

「なんと!!では……「お嬢様、今日は夜も既に遅く、お客様も病み上がりですので明日にされてはいかがでしょうか?」」

「あっ、ああそうだな……すまん、久しく人と話していなかったために興奮してしまったようだ……また明日色々教えて欲しい」


 目を輝かせ前のめりになって質問を繰り出す少女だったが、シャイラの注意に意気消沈しつつも気まずい表情を浮かべていた。


「こちらこそお願いします」

「うむ、では明日またな……っと名前をまだ聞いていなかったな。私はエミルだ。お主の名は?」

「僕は五……久です」

「久だな、では明日またな久」


 五味久の名前を告げようとしたが、またゴミクズと言われる事を恐れて下の名前だけを告げた久だった。

 だがそんな久の心の内を知らないエミルは、にこやかに微笑み部屋を去って行った。


「さぁ久様、こちらへどうぞ」


 シャイラに案内されて寝ていた部屋へと戻った久は、ベッドへと腰掛けるとぼんやりと月を眺める。


「月が3つ……ここは本当に異世界なんだ……どうなるんだろう……また殺されるのかな……」


 ボソリと吐き出すように独り呟いた。

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