殺されかけたら異世界へと転移出来るようになっていた(仮

マニアックパンダ

プロローグ

 寒い……

 奥歯が勝手にカチカチとなり続けている。


 ここは五味久ごみひさしが勤める食品卸会社の冷凍倉庫だ。

 周りには様々な冷凍食品のダンボールが山積みにされている。

 少しでも暖を取るために、ダンボールを破って商品である中身を出しては家のように囲んだり、布団代わりにしたりしているが、寒さは一向に減る様子はない。


 冷気を延々と送り出すモーター音だけが響く。明かりは一切なく、ダンボールハウスの中で膝を抱え震える五味久の手に持つスマートフォンの画面だけが場違いに輝いていた。


「……まだ21時……次の人が出勤してくるまで後9時間……」


 倉庫の中に電波が届く事はない。誰かが自分を見つけてくれる可能性に一縷の望みを掛けて祈る事しか出来ない。

 だが幾度となく時間を確認しようとも、その針は一向に動いているようには見えないほどに、時間は経っていなかった。


「なんで……なんで……」


 溢れ出てくる涙は直ぐに氷の結晶へと姿を変えて、五味久の睫毛を……頬を白く変化させる。


 寒さからくる眠気と戦いながらも、その脳内にはまるで今際の際のようにこれまでの事が走馬灯となって流れていた。


 父親はサラリーマン、母親は専業主婦の家庭に産まれたのは17年前だ。両親は駆け落ち同然に結婚したようで、祖父母や親戚といった人たちとあった事はないが、とても幸せな家庭だった。

 だがそれは久が小学校5年生になった頃に唐突と終わりを告げた。父親が交通事故死をしたのだ……しかも助手席に久のクラスメイトの母親を乗せて。更にその事故はラブホテルの駐車場から出てきた所にトラックが突っ込んだものだった。そしてトラックが搭載していたドライブレコーダーには、父親とクラスメイトの母親が肩を寄せ合い見つめあったまま運転している様子がハッキリと映っていた……そう、明らかに父親側の前方不注意、つまり過失がある事故だった。また運の悪い事に、近くを歩いていた親子連れを巻き込んでしまい、一命は取り留めたものの大きな後遺症を残してしまった。

 それは連日の新聞やテレビで大きく取り上げられる事となり、非難の目を一斉に向けられる事となった。慰謝料は双方共にという事で相殺となり、事故も加入していた任意保険により借金を背負う事はなく済んだ。だが母親は学生の時に駆け落ちした事もあってこれまで働いた事などなかったし、貯めていたはずの貯金は全て父親が不倫の遊興費へと消えてなくなっていた。失意を引き摺っている中、どんどんと保険金は消えて行き、気付いた時には引越しする金さえなくなっていた。頼れる存在さえいない、明日さえわからない……そんな状態になってようやく両親、つまり久の祖父母へと連絡をした母親だったが、電話が通じる事はなく、調べた結果既に鬼籍となっている事がわかった。では父親の両親だが、こちらは既に息子が起こした事件を知っていたが、その息子を誑かして連れ去ったと母親を責めた。

 後がなくなった母親が働きに出ようにも、小さな街で起きた事件であり、しかもこのSNSが発達した世の中では誰もが事件を知っていたために働ける場所などなかった。母親が加害者ではない事も知ってはいるが、誰もが関わる事を避けたのだ。それでも親子2人生きていくためにと探し見つけられたのは、場末の風俗だった。


 久自身も突然の事故と醜聞に振り回される事となった。その日までは何人もの友人がいたはずなのに、誰一人として声を掛けてくれる者は居なくなったのだ。そして始まるイジメ……学校では教科書は捨てられ傷付けられる。誰もがストレス解消となる対象でも探しているのだろうか……それを正すはずの教師までも……学校の全てがイジメに加担した。その種類は列挙に暇がないほどだが、1番多くを占めたのは『五味久』の名前の後ろに『ず』を付けて、ゴミクズと呼ぶ事が多かった。


 その日までは比較的明るく男女共に好かれる存在だったのだが、中学2年を迎える頃には、両親譲りの美形な顔立ちのはずなのにいつも陰鬱とした表情を浮かべるようになっていた。その頃には安アパートに引っ越してはいたが、母親が帰ってくる事などほとんどなくなり、時折……1週間から10日に机の上へと置かれている幾ばくかのお金を頼りに生きていくのが精一杯だった。

 それでも久は、声を上げて泣く事もなく、ただひたすらにグレる事もなく必死に生きていた。


 時に人はその嗜虐心しぎゃくしんを満たす際、その対象が惨めであるほどに満たされた感覚を覚える。その為決して人前で涙を流すことなく前を向こうとする久の姿に苛立ちを覚え、更に態度は硬化し行為は熾烈なものへと変わっていった。


 そして中学3年生の冬、ついに母親が帰ってくる事はなくなった。風の噂では、客の男と駆け落ちしただとかそんな話だった。


 母親に捨てられた……それでも久は恨んでなどいなかった。最後に会ったのはふた月ほど前だ。きっとその頃には母親の心の中では何か決まっていたのであろう。珍しく久がいる時間帯に戻ってきて、久しくしていなかった手料理を作っていた。そして「いつもごめんなさい」と、いつもよりかなり多めのお金を直接手渡ししてきたのだ。久自身もその様子に何か悟っていた……故にもうふた月も戻って来る様子がないのも、「あぁ、やはりそうか」と納得しただけだったのだ。

 そして捨てられたと認識しても、恨むどころか感謝さえしていた。世間の人々が口々に言うように、確かに夫婦だったのだから非は少なかならずあるのかもしれないが、自分と同じく母親は被害者なのだ、もう顔さえ思い出せない父親の。それなのにも拘わらず、風俗にまで身を落としてもこの数年間食わせてくれたと思っているからだ。


 だが残していった金は日々の生活費へと消えて行く。母親同様働く場所などない上に、未だ中学生という事もあり……遂には安アパートさえも追い出されて、1週間公園の水だけで喉を潤し腹を満たしていたが、命の灯火は消えようとしていた。


「兄ちゃん、大丈夫か?」


 公園のベンチの片隅で寒さと飢えに震えていた時、ゴルフクラブを持った厳つい男に声を掛けられた。

 状況を見てとったその男は、久を連れて自宅へと戻ると暖かい風呂と食事を馳走してくれた。そして促されるままにこれまでの事を全て話した……「どうせ白い目で見られ、殴られ、唾を吐かれるんだろう」これまで身に経験してきた事からそう思いつつも、これが最後の晩餐だと語った。

 だが、意外にもその男は同情した上に寝床まで与えてくれた。しかもその男の妻や、久の一切上の娘までもがこれまでの不幸を我が事のように涙を流したのだ。

 そしてその日から久はその男の家で居候のように暮らすようになった。出て行く事を何度も伝えたが、拒否されたのだ。一家の尽力により、これまでに失った肉を血を取り戻したのは春になった頃だった。


 その男とは今久が働いている食品卸会社の社長で、働かないかとの打診に恩を返すつもりで頷いたのは2年前だ。

 これまで受けた恩を考えれば、奴隷のような薄給で働かされても仕方がないと思っていたのだが、中卒という事もあり他の高卒や大卒の者と比べれば幾分安くはあるが、切り詰めれば普通にアパートを借りて生活できるほどの給料を与えられてきた。更にアパートを借りようとする久を家族3人で押し留め、社長の家で居候生活を送っていたために、そこそこの貯金が出来るほどにはなっていた。


 微かに遠い記憶に残る暖かい家庭。それを上書きするほどの楽しい日々。まるで本当の息子のように接してくれる面々……更にその恩に報いようと、ガムシャラになって朝から晩まで、どんなにキツい仕事でも請け負って働いてきた。ここでも父親の事件の事を知っている者はおり、ゴミクズと蔑まれ仕事を押し付けられイジメられる事もあったが、それを知った社長の怒りにより、表立ってイジメられる事はなかった。

 そして3ヶ月前、「養子にならないか?お前の本当の家族にならせて欲しい」と申し出があり、戸惑いながら頷いた。


 また一人娘である大迫愛理とも、まだ手を繋ぐ程度ではあるが隅には置けない関係になっていた。

 

 父親の事件以降陰鬱とした雰囲気を常に纏うようになっていたが、最近は少し事件前の元の性格へと戻っているような兆候さえあった。


 そして今日だ。時折顧客から明日の営業にどうしても必要なものを自ら取りに行くから用意して欲しいとの連絡や、既に終わっている発注に関しての追加や取消の電話があるために夜勤番が必要となる。そのために出勤してきた久に対し、社長や他の社員から冷蔵倉庫の内側から開けるためのセーフティーロックが壊れてしまったために、もし入る事があっても必ずつっかえ棒をするようにと何度も何度も念押しして帰って行ったのは2時間前だ。


 電話があるといっても、基本的にはほとんどないために事務所でぼーっとしていた所、社員の1人が突然現れた。


「お得意さんから連絡があった物を持っていくから出してくれ」


 以前もこんな事はあったために、何の疑いも持たずに冷凍倉庫へと入り、200坪ほどある倉庫の奥にある荷物を持ち上げた時だった。


「なぁ知ってるか?」


 社員の笑うような嘲るような声が聞こえてきた。

 それを訝しみ振り向き続きを待っていると、恐ろしい言葉が吐き出されたのだ。


「このセーフティー壊したの社長なんだぜ、わざわざお前のために」


 理解出来なくて頭に?を浮かべていると、更に言葉は続く。


「お前3ヶ月前に生命保険入ったろ?社長を受取人して」


 確かに入った、そして言葉通りに社長を受取人とした。だがそれが何なんだ?そしてなぜこいつがそれを知っているのか?更なる疑問が頭の中を埋めていく。


「中卒のゴミクズにはわかんねぇか……2年前に社長がお前を拾ってきた時言ってたよ、良い金ズルが手に入ったってな」

「金ズル……」

「お前を雇う事で周りの評価は高まるし、普通の半分以下の給料で喜ぶしな。だけど、ゴミクズがいるとくせぇんだよ!それなのに何を勘違いしてんのか、最近は浮かれやがってよ!てめぇはゴミ親から産まれたゴミクズなんだよ。だからゴミクズのお前がみんなの役に立てるようにしてやるってわけだ。つまりお前がここで死ねば社長は保険金が入って喜び、他の社員は不倫した挙句に人殺しした奴のガキなんかと一緒に働かなくてよくなって嬉しいし、俺はこの扉を閉めるだけでボーナス増えるしでみんなが嬉しいんだよ。じゃあなっ!!」


 社員の男は一気にそう言うと、いやらしく顔を歪めたまま非情にも冷凍倉庫の扉を閉めた。


 心無い言葉にフリーズしていた久だったが、状況に気付き慌てて扉へと駆け寄るも、うんともすんとも動かない。幾度となく叩いても、虚しく打撃音が倉庫内に響くだけだった。


 そして先程の言葉を反芻して、また捨てられた事に気が付いた……保険金殺人の被害者になるという事にも……


 一体自分の人生とは何だったのか……

 その質問に答えてくれる者は誰一人として居ない。


 薄れていく意識の中に見たのは、誰も住まないような森の奥にひっそりと建つ一軒家と、そこに広がる原風景だった。

 それは幼き日にテレビで見たアニメのような世界だった。

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