第3話 怪しい女達

 会場へ戻ってさり気なく横目でプリヤンカーの腰を確認する。広がったスカートの上からは一見分からないが、彼女が方向転換してスカートが捻れた時、右腰に一瞬異物の形が浮き上がった。


 ——腰に何か隠し持ってるな。


 あのセキュリティをすり抜けて武器を持ち込んでいるとは考え難いが、その可能性も念頭に置く。

 俺達は市民第一をポリシーに掲げているが、そうではない組織もある。市民を守らず、逆に彼らから搾取している組織だ。俺達はそのような組織とは取引しないし、アジャルクシャンに入ってくれば戦って追い出す。仲の悪い組織の連中が来ているなら、あまり近付きたくない。

 無論、ディアマンテ・ローザがそのような組織なら取引は無しだ。


 再び会場を物色すると、別の女と目が合った。先ほどから何度もこちらを気にしていた、赤毛で色白の女で、これまた幼い。

 若く見える女ばかり目に入るのは、ロリータという言葉で無意識に十代前半くらいの少女を連想してしまっているからだろうか。

 目が合った瞬間、俺はすかさず必殺の笑顔で微笑んだ。しかし女は焦ったように慌てて顔を背けた。おかしいな、と首を傾げる。


「こんばんは。何を飲んでるの?」

 話しかけると彼女は、躊躇うように横目で俺を見ながら答えた。

「オレンジジュースですけど」

「もしかして未成年?」

「はい、十八歳です」

「それじゃあお酒を薦めるわけにはいかないね。楽しんでる?」

「ええ。音楽を聴いていましたから」


 彼女は演奏をしている楽団に視線を向けた。

 何だか、こちらを見ていた割には態度がよそよそしい。あまり話したくないのかも知れない。単純にその気分じゃないのか、今は都合が悪いのか、こちらを信用していないのか、いずれかと言ったところだろう。

 淡いレースのロングドレスに身を包んでいるが、ミッドナイトブルーは身に付けていない。ピンと伸びた背筋や、しなやかな美しい手の所作からして、どこかの上流階級の娘なのだろう。

 ロリータではなさそうだが、念のためもう少し会話して探りを入れてみよう。


「俺はヤコフ。君の名前は?」

「ヴォルガです」

「実は俺も音楽が好きで。たまにノリフ・オペラ座のコンサートを聴きに行くんだ」

「まあ、貴方も?」

 彼女の顔が輝いた。

「バレエはご覧になるの?」

 唐突にその単語が出てきたことで、注目度が一気に上がる。偶然の可能性も十分あるが、彼女がロリータである可能性が浮上した。

「バレエもたまに」

「私と、お会いしたことがあるかしら……?」

「君もよく行くの? それならもしかすると、何処かで会ってるかもね」

 俺の返事に、彼女は一瞬顔を曇らせた。回答を間違っただろうか。しかし彼女は次に、思わぬ言葉を投げかけた。

「ヤコフ、一緒にパーティーを抜け出しませんか?」

 突然の積極的な誘いに驚く。予想外だったが歓迎だ。


 ——いや待てよ。いくら俺でも、十八歳に手は出すのは気が引けるぞ。


「ヴォルガ、もう深夜ミッドナイトになるけど平気なの? 保護者の人は一緒かい?」

「いいえ」

「じゃあきっと心配してる。遅くならないうちに帰るんだよ」

「……はい」

 さり気なくキーワードを混ぜてみたが、特に反応はない。彼女はロリータではない。俺は適当に挨拶して、その場を離れようとした。すると別れ際に彼女は意味深な言葉を投げかけた。

「ねえヤコフ……バレエシューズのことを、覚えてますか?」

「あ、ああ。覚えてるよ」

 意味は分からなかったが、やはりキーワードと関係があるかも知れないと思い、話を合わせてみた。ロリータでないなら、ディアマンテ・ローザの関係者か、あるいは取引を探ろうとしている別の勢力か。

 続く言葉を待ってみたが、彼女は寂しそうに黙って頷くだけだった。



 ヴォルガと別れ、会場であの紺色のドレスの女を探す。栗色の髪をしたあの女は、ヴォルガと話しているときにも、確かにこちらを見ていた。しかし見当たらない。

 時折パフォーマーが現れたりと、パーティーはまだ続いているが、人の雰囲気はやや中弛みの空気が流れていた。

 俺はまだ行っていない屋上へ移動することにして、一度広間を後にした。すれ違い様に兄さんとアイコンタクトを取った。彼も追って来るだろう。


 とりあえずトイレで用を足していると、誰かが入ってきた。兄さんかと思ったが、別の一般客のようだ。見知らぬ男が隣の便器で用を足し始める。

 妙に落ち着かなさを感じていると、隣の客が話しかけてきた。

「貴方もパーティーに? 洒落た場所はどうも落ち着きませんねえ」

「ああ、そうだね」


 ——なんだこいつ? 小便中に話しかけるのはマナー違反だろうが!


 小便のマナーその一、空いているなら先客と便器一個分以上の間隔を開ける。

 その二、互いに空気のように振る舞う。

 その三、隣の奴のブツは見ない。


「どうも今日は沢山の人で騒がしくて、早めに退散しようと思っているんですよ」

「そりゃあご苦労様」

「良ければ貴方もご一緒に抜け出して、私とパ・ド・ドゥ(※バレエの男女によるデュエット)しませんか?」


 何故だか急に背筋に寒気が走ったので、男の言葉が終わらないうちに慌てて自分の大事なモノをパンツにしまい、ズボンを上げ、逃げるようにトイレを立ち去った。

 ——いけね、手洗うの忘れた。……ま、いっか。それどころじゃない。

 真っ直ぐエレベーターへ向かう。丁度兄さんと二人だけで乗り合わせることができた。彼の顔を見た瞬間に、安堵のため息が溢れ出た。

 


「ヤコフ、あの赤毛の女は怪しい。気を付けろ」

「ヴォルガね。ロリータでもなさそうだし、妙だと思ってた」

「あいつ、お前が話しかける前からずっとお前のことを見てた。それだけじゃなく、お前が話しかけてた日本人とインド人の女の方も監視してたぞ」

「きっと俺のことが好きでヤキモチ妬いたんだろうね」

「だといいな」


 兄さんは突っ込むのも疲れたのか、小さく鼻息を吐いた。


「ロシアンマフィアかもってことだろ」

「ああ」

 この商談は、今まで取引していたロシアンマフィアにとっては都合が悪い。ドラッグ市場はいつも競争が激しい。どの組織も利益を上げるために妨害し合う。その妨害には、拉致や殺人も含まれる。

 エレベーターの扉が開いて、俺達はまた他人に戻った。

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