第一話 少女誘拐

 昔の人達は、雲のある空を見ていたらしい。雲が地平線じゃない。


 大地があって海があって、地平線に沈む夕陽と、それを見送る雲が描かれた絵が、なんか好きだった。画家の名前は忘れたけど、母さんが見せてくれたから、記憶に焼き付いている。


「サージ・リント」

「はいっ」

「ノゾム・シブヤ」

「……」

「ノゾム・シブヤ?」


 515年前までは、その絵の世界が普通で、今は俺が見ている世界が普通で。まるで御伽噺みたいだ。


「おい、ノゾム!」

「うぇっ⁉︎」


 担任のマガー先生の大声で、ノゾムは意識を取り戻す。どうやら今は出席を取っていた、周りのクラスメイト達は彼の方を見て小さく笑っていた。


 うわっ、恥っずい……。


 思わず顔を伏せつつ、小さな声で返事をする。


「すみません……寝不足で」

「全く。早寝早起きができない男はこの先辛いぞ。次、ノーマン・リーダッスン」


 うわぁ。あとで絶対誰かに何か言われるよ、これ。


 案の定、ホームルーム終了後。ドッドとメアリーは真っ先に俺の元へと駆け寄ってきた。


「おいおいノゾム。どうした。調子悪いのか?」

「どうせ小難しくて面白くないこと考えてたんでしょ」

「別に……間違ってはないけど」


 やはり二人とも馬鹿にしに来たらしい。


「おいおい、馬鹿にするつもりなんてねぇよ。で、何考えてた」

「私も気になる」


「あのな。笑うなよ」


 二人は頷いた。


 俺は教室内で珍しく人が溜まっていない窓際へと移動し、外の景色を見ながら二人に話す。


「考えてたんだ。515年前、人はどんな気持ちで空に、この巨大過ぎる飛行船を作ったのかって」

「どう言う気持ちでエデンを作ったか……?」


 ドッドは頭の天然パーマを触りながら、俺の話を聞く。メアリーは茶色がかった癖毛と同じように難しそうな顔をしていた。


「そう。多分簡単なことじゃないだろ。授業でも習ったように、地上の資源を殆ど全部使って全10億の人間を空へと送り出した」

「小学校の頃に習うよね。私なんてお母さんに絵本まで使って小さい頃読まされた」


 メアリーは嫌そうな顔で言う。


「それは気の毒だけど、でも、それだけ知って欲しいんだよ。誰も死人を出さずに空へ昇れたっていう物凄い奇跡を」

「で、お前が気にしてるのは何なんだ?」


ドッドは話が見えないと言う表情をする。


「確かに空に昇るのは仕方ないと思うけど、誰も反対しなかったのかなって。自分達が今まで住んでいた故郷を捨てて空へ。そんなに上手く大団円になったのかな」

「あ〜、難しい話だな」


 そう、難しい話だ。多分考えても答えは出ないけど、考えずにはいられない。


「うーん、私は嫌だな。絶対文句言う。こっちに引っ越してくる時ですら騒いだもん」


 メアリーはそう言って話を続ける。


「お父さんが何言っても、仕方ないんだって怒鳴られても、それでも嫌だった。ニューオリンからクインズでそれだよ」


 メアリーは急な引越しで二年生からクインズに引っ越してきた。説得力がある。


 彼女の話に納得しながら、以前外を見ていると、視界に妙な物が映った。あれは……人?


 何人も空から落ちてって……。研究所の方だ。


「だから、地上から空なんて尚更でしょ。だって雲の下には海とかあるらしいじゃん? めっちゃ入りたいし」

「最後のは、まぁただの願望じゃね?」

「でも入りたいでしょ、海」

「ま、まぁ」


 メアリーとドッドのやり取りが全く耳に入らないままその場を見続けていると、それよりも更に前方で、人影が見えた。


 商業施設が立ち並ぶ道を必死に走っている。そして、その後ろからも2つの人影。……追われているのか?


「なぁ、あれ……」


 振り返るとメアリーとドッドは夏休みにどこに行くかまで話が脱線していた。多分説明している時間はない。


 ノゾムは二人の会話の真横を全力で走り出す。


「え、ちょっとノゾム?」

「おい、待てよっ!」


 二人の声が遠のくのを構わずに、急いで階段を降り建物の外に出る。


 それから駐輪場にある、自分のホバースクーターへと乗り、さっき見た光景の場所へとハンドルを切った。


 法律上30時速キロまでしか出せないが、メーターが何故か120キロまであるのが悪い。


 ノゾムは速度を全開にして街中を走り出した。思うように真っ直ぐ進まず、そこら中の景観を荒らしまくりながら何とか人に当たらないように運転する。


「ク、クッキー。誰かが追われてる。クインズの地図を」


 ノゾムはクッキーというAIプログラムに呼びかける。彼、ないし彼女は身寄りのいないノゾムの世話係であり、ネットワークを介してノゾムの情報を管理してくれている。


「ノゾム様。今は学校の時間のはずです。早く校舎内へ」

「分かってる。でも、助けなくちゃいけない人がいる気がするんだ」

「……了解。運転はお任せを。あなたはその方を受け止められるようご準備を」

「ありがとう、クッキー」


 正直速度にビビっていた拙い運転が、クッキーに変わることで荒いながらも完全に安定する。公園を抜け歩道を通り信号無視。止まったら捕まるな、これ。


「ノゾム様。助けたい方の特徴は?」

「よく覚えていない。でも黒い髪で、髪が少し長かった。……女の子かもしれない」

「それは嬉しい報告です。昨今若い女性で黒髪の人間なんて希少種ですから」


 クッキーはクインズ内の全監視カメラにアクセスし、ノゾムの発言と照合して目的付近から人物を探す。


 クッキーは死んだ父さんの形見だ。凄い科学者だったらしいから、あまりにも高性能なスペックに対しては別に驚きはしないけど。


 いくつ罪を犯しているんだろう。俺も、このAIも……。


「データ照合。発見。対象残り500メートル。準備を」

「分かった」


 昼下がり。少なからずいる人混みをクッキーが上手く避け、窓から見た人影をようやく捉える。


「彼女だっ!」


 黒髪のボブ。服はなんか、お嬢様っぽい。後ろから、凄く大きい、2メートルはありそうな大男と平均ぐらいの身長の短髪男に追われている。


「横切る瞬間、速度を落とします。必ずさらってください」

「あぁ」


 クッキーは人混み故に落としていた速度を80キロから120キロへ上げる。先ほどから暴走していたため、周りの人々は道の中心から離れており、有り難く全力疾走できた。


 見れば彼女は男二人とそんなに距離がない。ここにたどり着くまでに5分。ずっと走り続けていたのだろう。彼女は多分限界だ。


「こんなところで、捕まれない!」


 彼女は叫ぶ。息を切らしながら。精一杯の威勢と覚悟を込めて。


「お嬢。俺はもう鬼ごっこに疲れたんだ。とっとと諦めてくれよ」

「姫様、船に戻ってちょうだい。これは大人の問題なのよっ!」


 二人共見過ごしてくれる気はない。このままでは、追いつかれてしまう。このままでは、全て、全てが変わってしまう。このままでは……!


 意識も朦朧とし、もう呼吸も上手く出ない。肺は叫び胃は激痛を訴え、足は鉛のように動かない。私じゃ、無理なのかな。私じゃ……私じゃ———。


「飛び込んで、手を伸ばして!」


 刹那、背後から声がした。振り返るとチャーリーとピーク、二人の先にホバースクーターに乗った男の子がいた。


「あぁ⁉︎」

「何なのっ」


 突然の乱入者に、追手の2人は動揺し動きが鈍る。


 多分、これは好機だ。


 男の子はホバースクーターから身を乗り出して、こちらへ手を伸ばしている。


 もう、手の届きそうな距離だ。だが、私は彼のことを知らない。彼の腕の中に飛び込めば最後。私は彼を巻き込むことになる。


 そんな重荷、彼に背負わせるなんて———。


「今だっ!」


 しかし、彼の叫びに、自然と身体が動いていた。私が私にそう思わせたい、綺麗事の言葉をぶん殴り、私の身体は全身全霊、彼の腕へと飛び込んだ。


「クッキー!」

「サイドシールド展開」


 彼女を受け止めた衝撃で吹っ飛びそうな身体を、展開されたサイドシールドで押さえ込む。


 ノゾムと女の子がホバースクーター内にきちんと存在することを確認すると、クッキーは追手と距離を離すために再び速度を上げ駆け抜けた。

 

 サイドシールドに激突した頭の痛みに耐えながら、追手の二人の言葉を思い出す。


 お嬢。姫様。


 多分これは……誘拐だろう。


 俺の犯罪歴は、まだまだ増えていきそうだ。



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