第5話 マンションの屋上で

分かった。マンションにしよう。住んでいるマンションの屋上なら滅多に人は来ないし、それにあいつが私の家を知るわけがないし! って、言っても……またあいつは来るんだろうな。ほんと、なんで私のこと色々知ってるんだ。


今日は休日。まだみんなが寝てるであろう、少し暗い早朝に私は起きて、パジャマのまま、屋上へ行った。フェンスに手をつきながら東の方にある遠くの山を見て、太陽がもう少しでのぼって来そうなのを眺めた。そしてぼそっと呟いてみた。


「いるんでしょ」


振り返ってみるとやはり、扉のところにあいつはいた。驚いた顔をしていた。いつも私が驚かされっぱなしだったから、あいつをおどろかすことが出来た私は、少し満足感を感じていた。


「あはは、分かるんっすね! そしてまーた飛び降りるんすね。ほんと懲りないっすねーー」

「本当、キモいぞ。うん、もうほんと。キモい以外のなにものでもない。いや、もうキモいを通り越して変態」

「よく言われるっす!」

「いや、否定しないのかい。自分で言ってて悲しくないのか」


いつもの、このギャグみたいな会話が終わって、そして私はまたフェンスの方へと向いた。足を掛けたら、タックルやらなんやらして止めるんだろうな。うん、そうに違いない。飛び降りの試みは二回目だから、きっと一回目よりも必死に止めるんだろうな。うんうん、そうに違いない。私は、フェンスに足をかけて両手でフェンスを持ちながら座った。そう、今、今、あいつは止めに来るはずだ。止めに来るに違いない。




いや、どれくらい過ぎた。いくら待っても、何も起こらない。ん? え? 予想外の展開すぎて、私は思わず、あいつを見た。え? なんなの、あの表情。私は一瞬で恐怖を覚えた。怖い、怖いっっ! さっきは笑っていたのに、今は腕を組みながらすごくすごく冷淡な目つきで私を見ている。その鋭く冷たい視線が私の体中を貫いているように思えて、私はありもしない痛みを感じた。


「何すか?」


え……? さっきまでと全く違う低い声に私は恐怖から身震いした。冷たくて冷たくて、私の体は今にも凍ってしまいそうだ。


「え、いや、え、何すかってっ!」

「何・で・す・か」

「っ……」


圧をかけるように強調してそう言われ、私は恐怖感から、少ししないと言葉が出なかった。


「と、と、止めない、の……?」


語尾が震えた。怖いものなんか私にはない、はずなのに……。自分ではっきりと分かる。私、この人のこと、怖がっているんだ……。いつもの私ではなくて、尻尾を巻いてビクビクと震え怯える子犬のようだった。


「なんで、止めるんすか?」

「え……?」


今までの雰囲気と違いすぎて脳が追い付かない。


「いや、だって、いつも止め……」

「もう、俺疲れました。いくら止めても先輩は自殺しようとするんで」

「いや、え……」


だんだん戸惑ってくる。ふと、顔を戻すと私は目の前に広がる光景に息を飲んだ。怖い、怖いっ!! まるでビルの底に吸い込まれていくように、視界が歪んで、私は今まで感じたことのない恐怖感に襲われた。フェンスから慌てて降りて、はぁ、はぁと荒い息を必死に整えるようにした。心臓もバクバクいっている。今まで全く怖くなかったのに。そして、少ししてから、私の中にウザいと思う気持ちが芽生えた。いてもたってもいられなくなった私は、あいつを睨みながら、あいつのところへとツカツカと歩いて行って、胸ぐらをつかんで、距離を縮めてから、吐き散らかした。


「なんで止めないんだよ!! いつもいつも邪魔して止めてきたくせに!! なんでだよ!! あんたが邪魔するのが当たり前になって、だから今日もあんた来るんだろうな、タックルしてくるんだろうなって思って!! 本当にウザかったのに!!! 本当にウザかったのに……いつの間にか、あんたが止めてくれるって、期待を、するようになったのに……! いつの間にか、あんたのことが……好きになっていたのに……」


最後の言葉を言い切る前に私は、掴んでいた胸ぐらを力なく離して、そして座り込んでボロボロと泣いていた。顔がぐちゃぐちゃだ。いつもの私じゃない。


「くそ、本当に調子狂う……」


そしてだんだん恥ずかしい気持ちに駆られ始めて、でも涙は止まらなくて。


「先輩」


その言葉に、袖で涙をぬぐってから顔を上げた。あいつはしゃがんで、鼻先が触れるくらい近くまで顔を寄せてきて、そして両手で私の顔を包んだ。


「やっと、諦めてくれたんすね」

「え……?」

「これは罠でしたっす。いつもみたいに止めずに、急に冷たくすれば、先輩はやめてくれるって思ったんす」

「……」

「チッサ先輩、ずっと好きでした」


そして、少し顔を引き寄せられて、あいつは私にキスをした。私は目を閉じた。心の中にあたたかい気持ちが広がっていくのを感じた。少ししてから、唇が離れて、こいつは優しく笑った。私はそれにドキッとして、速まる鼓動を抑えるのに必死だった。

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