薬師と露店と飴玉と
「
バンケットに向かっている最中に立ち寄った村での出来事だ。
その露店は、色とりどりの菓子を売っている店だった。菓子売りの露店は結構珍しい。王都の露店であれば見た事があるが、こんな小さな村では初めだ。
「ああ……それは、お菓子だな」
「お菓子、ですか。綺麗な色をしているんですね」
商品にかからないように長い銀髪を耳にかけてから、ティリスは飴玉を不思議そうに覗き込んでいる。
「アクセサリーか何かですか? でも、穴がないので紐を通せそうにありません」
頭の上に疑問符を浮かべて首を傾げている。
「そうか。お前がいた世界には、菓子もなければ飴玉もなかったのか」
「飴玉……?」
彼女は水色の飴玉が乗った皿を手に取り、太陽の光に当てて覗き込んでいる。
なんだか、これはこれで可愛いなと思いつつも、子供でも知っている事を知らないのかと思うと、少し憐れにも思った。
ティリスはこれまで身を隠すように生きていたので、人族の町に入った事がないそうだ。あくまでも知識で人族の文化を知っている、という程度。そういった彼女の事情を知らなかったので、レスラントでは暴れ回ってしまったけれど、もっと人族の町を楽しませてやればよかったな、と後悔したものだ。今回村に立ち寄ったのは、そういった経緯もある。
ティリスが以前話していたのだが、魔族には娯楽といったものがほとんどないらしい。音楽や絵画、舞踏にちょっとした遊び……そういったものがないから、殺戮や拷問といったものに娯楽を見出す輩も多いそうだ。また、同じく調理や薬学といった文化もあまり発展していないらしい。
変に武力がありすぎるからそうなるのか、人族がそういった娯楽や細々としたものを生み出す事に長けているのかはわからない。ただ、魔族や魔物は知能が高いものであっても、生きる楽しみを暴力や魔法の研究にしか見いだせないのかもしれない。そう考えると、人族は娯楽を生み出す天才だ。
「なんだ、お嬢ちゃんは飴玉を知らないのかい」
露天商がティリスに話しかけてきた。
「あ、はい。異国から来たもので……」
ティリスは上手く言葉を濁して答えた。大体の事は『異国から来たのでわからない』と言っておけば通ずる、と彼女には予め伝えてあるのだ。
「俺の作った菓子は美味いぜ。飴玉は特に自信があるんだ」
「お前の自作なのか」
少し驚いた。菓子はある程度調理設備が整っている場所でしか作れないと思っていたからだ。
「ああ、俺は薬師でな。菓子作りは趣味みたいなもんだったんだが、最近はこっちの方が評価されてな」
複雑なもんだよ、と露天商は苦笑した。
彼は元々薬師として村々を渡り歩いていたそうだ。そんなある時、気まぐれで村の子供達を喜ばせる為、薬剤調合器具を用いて菓子を作ってやったのが事の発端。思った以上に喜ばれ、薬と一緒に菓子を調合して売ったところ、菓子のほうが売れるようになったらしい。
「まあ、病気や怪我で苦しむ人がいなくて、子供達が菓子食べて笑ってる世界の方が俺は好きだけどな」
露天商は興味深そうに飴玉を見ているティリスを見て、穏やかな笑みを浮かべていた。
露店をよく見てみると、隅っこの方にいくつか薬も置いてある。ここにないものは調合する、という文言付だ。必要なものは必要な分だけ作る、という事だろうか。こういったところからも、この露天商の『薬なんて無いに越した事はない』という気持ちが伝わってくる。
薬師は、こういった小さな村では重要な立ち位置だ。病気は教会に行けば──余程の重病や大怪我でなければだが──司祭が治癒魔法で治してくれる。しかし、奴らは寄付という名目で治療費を取るのだ。しかも、結構高額で。
金のない農村などでは司祭に治療してもらえない人も多く、そういった人達が頼るのが薬師だ。こういった小さな村には、薬師は必要不可欠な存在と言えよう。
「じゃあ、菓子屋のオヤジよ。この飴玉を5種類分くれ」
俺は金貨を一枚出して──もちろんこれは
飴玉は黄色、緑色、桃色、青色、赤色と5種類あったので、まとめて買おうと思ったのだ。
「……おいおい、金貨1枚分の飴玉とは、どれだけ食うつもりなんだよ」
釣りがないぞ、と露天商は苦笑いをした。
「今銀貨と銅貨を持ち合わせていなくてな。残りの金額分は、村の子供達にでも菓子を振舞ってくれ」
そう答えると、露天商は呆れたように口を開けて俺達を見ていた。
「どうかしたか?」
「……あんたはあれか? もしかして、
「なんだそれは。さっきも言っただろ。小銭がないんだよ」
なんと恥ずかしい事を言うのだ、この露天商は。
「いやはや、そうやって大盤振る舞いできる男だからこそ、そんな美人な姉ちゃんがついてくるのかもしれねえなあ」
そんな事を言いながら、露天商は5種類の飴玉がぎっしり入った袋を俺に手渡した。いや、これは入れすぎだろう。
(
まさかその
「んじゃ、あんたにもらった菓子代分を村のガキんちょどもに分けてくるよ。と言っても、ここにある菓子全部くれてやっても釣りが来るけどな」
「じゃあ、新しい調合器具でも買ってもっと美味いものを作ってやればいいさ」
「……全く。あんたってやつは」
露天商は菓子を大きい布袋に詰め込み、「ありがとな」と言ってから、村の子供達が遊んでいる方へと向かっていった。
「ほら、ティリス。飴玉」
露天商が子供に群がられているのを眺めながら、ティリスに桃色の飴玉を渡してやった。何味かまではわからないが、色から察するに桃味だろう。
「え、えっと……これをどうすれば?」
ティリスは飴玉を受け取ると、きょとんとしている。
「舐めて溶かして食べるお菓子なんだよ、飴って。アクセサリーじゃなくて」
飴玉を一つ口に入れて、実際に舐めて見せてやる。赤色のものだったが、どうやらりんご風の味らしい。甘くて美味しい飴だった。薬師よりも菓子屋として評価されるというのがわかる気がする。おそらく薬の調合など普段細かい事をやっているから、それがお菓子作りにも活かされているのだろう。
しかし、食べ方を教えても、ティリスはじーっと手のひらの飴玉を見て食べようとしない。
「あれ、もしかして要らなかったか? 要らないなら無理して食べなくていいぞ」
そう言って飴玉に手を伸ばそうとすると、彼女はそれを取られないように、さっと隠した。
「お?」
「いえ、その、要らないのではなくて……これは、食べたら溶けてなくなってしまうんですよね?」
「まあ、そういうお菓子だからな」
れろれろと飴玉を舐めながら答えると、ティリスは悲しそうに手のひらにある桃色の飴を見た。
「どうした?」
「いえ……せっかく
勿体なくて食べれないです、とティリスはしゅんとした。
なるほど、そうきたか。その発想はなかった。とはいえ、たかが飴をそこまで大事にされても困ってしまう。
どうしたものかな、と思って少し考えてから──
「ティリス」
「はい──んッ」
彼女が顔を上げてこちらを見たその瞬間に、その唇に覆いかぶさるように口付けた。
目を見開いて驚く彼女をものともせず、自らの口内にある飴を彼女の舌に乗せてやってから、唇を離した。
「え……ッ!? あっ」
何が何だかわからない、といった様子だが、口の中に飴がある事に気付いたのだろう。何だか困惑している。
「ほら、舌の上で転がして舐めるんだよ」
言われた通り、れろれろと舌の上で俺から口移しされた飴玉を一生懸命舐めるティリス。舐めて溶かす、という経験がおそらくなかったのだろう。やたらとぎこちない。
「どう? 美味しい?」
「はい……とっても甘くて、美味しいです」
ティリスは顔を赤らめて、恥ずかしそうに微笑んだ。
その笑顔が今まで見たものとは違った可愛さがあって、この笑顔の為なら金貨一枚は安いものだな、と思ってしまうあたり、俺も病気だ。ティリスが悪女だったら、きっと貢がされまくっていただろう。
「ところで、
「ん?」
「この飴というのは、その……口移しで食べさせるのが、人族のマナーなんですか?」
ティリスが飴玉を舐めながら訊いてきた。少し恥ずかしそうだ。
困った。冗談でやったものの、冗談が通じない相手にはすべきではなかったかもしれない。
俺は何と返答して良いか頭を悩まされながらも、こうして人族の〝美味しい〟や〝楽しい〟を、もっと彼女に知って欲しいなと思うのだった。
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