馬車寄贈②

「……どういう事だ?」


 彼らの視線から、何となく連中の言わんとしている事は察した。

 一気にドス黒い感情が腹の中を満たしていく。こいつらは、ティリスの体を貸せと言いたいのだ。


「言わなくてもわかってんだろ? あんた一人じゃ勿体ねえ逸材だって言ってんだよ」

「ここいらじゃ最近、ヤーザム山賊が移動してきてるって話だ。あいつら、残酷だからその子もあんたもただ死ぬだけじゃ済まねえぞ?」

「なに、一晩だけでいいさ。一晩その銀髪のお嬢ちゃんを俺らに貸してくれたら、ノイハイムまで届けてやるよ。これだけの上玉だ。金も払ってやる」

「まあ、その子が火照ってわしらじゃなきゃ満足できねえってせがんでくるなら、王都まで連れてってやってもいいがなぁ」


 ぎゃははは、と下卑た笑い声をあげる隊商キャラバンの隊長と商人・傭兵達。

 そして傭兵の男は俺の方を見てにやりと笑い、ぽんぽんと腰の剣を叩いて見せた。


(この野郎……!)


 これは、交渉ですらない。脅迫だ。こいつらは、ティリスに娼婦となれと言っているだけではなく、貸さないと俺を殺すぞ、と脅しているのだ。

 これがルンベルク王国の隊商キャラバンなのか、と呆れる他ない。おそらく、こうして被害に遭っている小さな村の女はこれまで何人もいたのだろう。本当に反吐が出る。

 しかし、もし今一緒にいるのがティリスではなくシエルだったなら、どうなっていただろうか。弱者の俺は、何の力もないテイマーの俺は、彼らの要求を飲むしかなかったのかもしれない。ただ勇者の情婦となるシエルを指をくわえて見ているしかなかった、あの時のように。

 でも……今の俺は、違う。


「まあ、いいからよ。とりあえず銀髪の嬢ちゃんは俺らの馬車に──」


 そう言って、傭兵の男がティリスの肩を掴もうとした時である。


 ──ぼとっ。


 何か重いものが落ちた。ティリスの肩には、男の手はない。いや、男の手首から先が、何もなくなっていたのだ。


「え……?」


 男達の視線が、落ちた手首に集まる。そして傭兵の手首に全員の視線が集まり……


「うぎゃあああああああ! 手、手ぇぇぇぇぇぇ!」

「ひぃぃぃっ」


 傭兵男の悲鳴と商人の恐怖の声が響き渡った。


「すみません」


 俺の横にいた銀髪の少女が冷たい声で、男に詫びた。

 男は、「手、手、手が……」と油汗を流しながら、自分に起きた事を理解しようと必死だった。しかし、彼は何故、いつ、どうやって手首を切り落とされたのかさえわかっていない。それもそのはずだ。彼はティリスの肩に触れようとしただけで、何も触れていないのだから。


「私に触れていいのは、アレク様だけなので。あなた達のような汚い虫に触れさせるわけにはいきません」


 紫紺の瞳が冷たく光った。


「て、てめええええ! ぶ、ぶっ殺して──」


 手首を切り落とされた傭兵男が怒声を上げて腰の剣に手を掛けようとした時である。彼女はフッと優しく男の顔に吐息を吹きかけた。その瞬間、バリッと音を立てて、傭兵の首から上が捥げた。ぐしゃりと顔のなくなった男の死体が崩れ落ちる。


「な、なんなんだこの女ぁッ!?」


 他の傭兵達が一斉に構え、そして隊商キャラバンの中に加わってた他の傭兵達──総勢15人ほど──もその悲鳴を聞いて駆けつけてきた。


「ひ、ひぃっ! お助け!」

「待てよ」


 俺は逃げようとした商人を捕まえ、その首に剣を当てる。


「せっかくだ。見て行けよ。誰がレスラントを半壊させたのか、その目で確認するチャンスなんだからよ?」

「なっ──ま、まさかお前達が!?」


 ティリスは人化の呪文を解き、本来の姿に戻る。山羊の角と大きな蝙蝠の翼を持つ魔族の姿だ。


「ま、魔族だぁぁぁぁ!」

「はい、魔族です。それがどうかしましたか?」


 男が叫んでいる中、ティリスは淡々と応えながら、指でピンとくうを弾いた。それと同時に、男の首が先ほどの傭兵と同じように捥げる。顔のない死体が2つとなった。


「一つ申し上げます。私は、あなた達のような下賤な虫が触れられるような、安い女ではないんです」


 ティリスは怯えて震えあがっている男達に、平坦な声で話かけた。まるで日常会話をするかのように、憎しみすら籠めずに話している。

 彼女にとって、ここにいる男達の命は……きっと、虫ほどの価値もないのだ。


「こう見えて私、あの魔王にすら体を許さなかったんですよ? 私が身心を捧げるのはこの世界でただ一人……アレク様だけですから」


 凄いでしょ、と自慢するように、そして照れたようにこちらを嬉しそうに見て微笑む美しい銀髪の魔族。

 震えあがる人族と、その乙女のように照れた顔をしている上位魔神グレーターデーモンがあまりに対称的で、場の空気感がついてこない。

 それにしても、さっきの言い分から察するに……ティリスは魔王を拒絶した、という事だろうか。もしかして、それが原因で魔王軍から逃げ続ける事になったとか?

 ふとそう思ったが、今はそれが訊ける状況ではない。ティリスの表情も、照れた乙女のものから元の冷血な上位魔神グレーターデーモンのものへと戻っていた。


「だから……私に欲情する事そのものが罪だと思って下さいね。あなた達には、その資格すらありませんから」


 そう目の前の隊商キャラバン隊長に言ってから、手でくうを切った。

 鮮血が草原を赤く染め上げた。


 ◇◇◇


 隊商キャラバンの商人達は、全員座して両手を上げていた。

 周囲には隊商キャラバンの護衛として雇われた傭兵隊の死体が無残に散らばっている。ティリスは敢えて武器を持っていない商人への攻撃は行っていなかった。これは俺の指示ではない。彼女が独断でそうしているのだ。

 そういえば、先のレスラント兵との戦いでも、彼女は民間人には一切攻撃していなかった。もしかすると、そこにはティリスなりの美学があるのかもしれない。


「で? 誰が、誰を守るって?」


 俺が隊商キャラバンの商人代表に訊く。隊商キャラバンの隊長と傭兵隊長はさっきもう殺してしまったので、実質的な代表はこいつだろうと踏んだのだ。彼は怯え切っていて、小便を漏らしている。


「ひえ! 滅相もございません。どうかお許しを下さいませ! お好きなものを持って行って下さって構いませんので!」


 隊商キャラバンの他の商人達はこくこくとその言葉に頷いていた。


「……お前達は、助かりたいのか?」

「はい、もちろんです!」

「それじゃあ──」


 ──何を渡せば助かると思うのか、自分達で考えてそれを俺達にくれ。

 俺はそう商人に伝えた。そして、別に何も渡したくないならそれでも構わない、とも言ってある。こっちが欲しいものを伝えてそれを取ると、何だか追剥のようだ。あくまでも、彼らの自由意思で選別して頂きたいのである。

 結果として、商人達が用意したものは、1年は生活に困らない程度の額が入った金貨袋、馬車と食糧、そして女物の服が入った箱だった。服はティリスへの贈り物だそうだ。最初は宝石を、と言っていたが、ティリスが「いらないです、そんなの」と応えて撃沈。結果的に服になったのだ。

 勘違いしてはいけないが、俺はこれらの〝贈り物〟に関して何も指定していない。あくまでも彼らの気持ちを頂いたに過ぎなくて、謂わばこれはである。


「えっと……これは、私が着ても良いのでしょうか?」


 馬車に乗り、早速バンケットへ向かっていると……ティリスが客車で、もらった服を広げて首を傾げている。少しだけ照れているようだった。これまで人族の服など着た事がないからだろう。今彼女が手に持っているのは、王都で流行っている柄の短衣だ。若い娘がよく着ている。


「女物を俺が着てどうするんだよ。人化している時とかに着れば良いんじゃないか?」


 普段は翼があるから、なかなか人族の服を着るのは難しそうだけれど、人化の術を用いている時であれば、着れるはずだ。ティリスは華奢でスタイルも良いから、きっと何を着ても似合うと思うのだ。


「魔神の私に、人族の服が似合うでしょうか……?」

「きっとティリスなら何を着ても似合うよ。可愛いから」


 そう言うと、彼女は顔をぼっと赤く染めていた。


「えっと……アレク様は、その、着た方がいいと思いますか?」

「俺がどうとかじゃなくて、ティリスは? 着てみたい?」


 そう言うと、彼女は少し迷いながら、恥ずかしそうにこくりと頷いた。


「じゃあ、着てみれば良いんじゃないかな」

「わかりました……ちょっと、着替えてみます」


 ティリスが恥ずかしそうにそう呟いたので、俺は御者席と客車の間にある扉を閉めて、馬を少しゆっくりめに歩かせた。


(魔神って言っても、やっぱり女の子なんだなぁ)


 ああして女の子っぽいところもあれば、さっきのように魔族の一面もあって……そのアンバランスさもきっと、彼女の魅力なのだろう。

 俺は少し笑みを浮かべて、ふと晴れた草原に目をやった。

 太陽の光と緑の香り、そしてそよ風が、頬に優しく吹きかかる。

 ほんのさっきまで人の死体が転がる場所にいたのに、自分の心がえらく落ち着いているのを感じた。これは、俺が壊れているからなのか、それとも彼女と一緒にいて癒されているからなのだろうか。

 ただ、俺は……今の自分が、そんなに嫌いではなかった。

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