悪魔?

 混乱と絶望の中で情事を終えて崩れ行く町を歩いていると、幼女の泣き声が聞こえてきた。


「お祖父ちゃん、やだあ! 一緒に逃げようよ!」

「だめだ、儂はもう動けん! お前だけでも逃げろ」


 そちらに目を向けてみると、そこには幼女と老人がいた。老人は崩れた瓦礫に足を挟まれて、動けないようだった。

 俺はその老人に見覚えがあった。この町の町長だ。この町長と俺には、ちょっとした因縁がある。俺はこの町長のせいで、勇者たちからバカにされる羽目になったのだ。


「これはこれは町長さん、どうしたんですか?」


 にたりと笑った俺は、足が挟まって動けないでいる町長に歩み寄った。ティリスは無関心な様子でその二人を見下ろしている。彼女からすれば、おそらくこの二人の命など、全く興味がないのだろう。

 町を崩壊させた元凶を目前にして、町長は顔面を蒼白とさせた。


「い、いかん! ヒルダ、早く逃げなさい!」


 どうやら、町長とその孫──ヒルダというらしい──のようだ。ヒルダはまだ10にもならないような幼い女だった。

 しかし、ヒルダはお祖父ちゃんっこなのだろう。「嫌だ」と言って、町長から離れようとしなかった。


「おのれ……この外道め! 一体なぜこの町でこんなむごい事を!」

「町長さんよぉ……今、孫娘の命を握ってるのは誰だと思ってるんだ? ええ?」


 俺はヒルダの肩に手を置いて、彼女と目線を合わせるために片膝をついた。彼女は怯え切ってしまって、言葉を発せないでいるようだ。


「ぐっ……や、やめろ! ヒルダだけは! その子だけは許してやってくれ!」

「さあ、どうしようか? お前次第だと思うけど?」

「何でも言う事なら聞く! だから孫娘だけは!」

「なんでも、なぁ?」


 とてもいい響きだ。この絶対的優位に立てるからこそ言われる言葉が堪らない。

 このような言葉を俺の人生で、そして俺に懇願してくる奴がいるとも思わなかった。しかも相手は町長だ。町の長が俺に懇願をしてくるとは、人生本当に何があるかわからない。


「じゃあ訊くけど、お前、この前勇者マルスの一行がここに訪れた時の事は覚えているな?」

「ああ、覚えているとも」

「その時、この俺をお前は勇者マルスの奴隷と勘違いしていたよな? あれは傷付いたぞ?」


 ほんの数日前のことだ。この町をマルスと共に訪れた時、町長は俺をパーティの一員だと認識しなかった。俺が勇者の遣いで町長に挨拶に行った時、この町長は俺を奴隷だか下僕と勘違いして面会を拒否したのだ。

 結局俺はそのまま舞い戻る羽目となり、また勇者たちから笑いのネタにされて再度無能の烙印を押された。思い出すだけでも腹立たしい。


「なっ……!? お前は、あの時の……!」

「そう、あの時にいた奴隷みたいに見えていたテイマーだよ」

「勇者様のご一行がどうしてこんな事を! それに、その横にいるのは悪魔ではないのか!」


 町長は驚いたように言うが、その言葉に俺は無性に苛立ちを感じた。


「悪魔?」


 横に立つティリスを見上げると、彼女は興味深そうに俺達のやり取りを見ていた。俺と目が合うと、きょとんと首を傾げている。

 おそらく、俺と人族のこのやり取りにどのような意味があるのかを観察しているのだろう。彼女は俺が人族だから、その人族というものを理解しようとしてくれているのだ。


「今こいつの事を悪魔と言ったか?」


 もう一度町長へと視線を向けて、訊き直す。

 そう、俺が聞き捨てならなかったのはそこだ。


「ああ、そうだ! 山羊の角に蝙蝠のような翼……悪魔以外に何と──」

「違う!」


 俺はそう叫ぶと、幼いヒルダの奥襟を咄嗟に掴んで、強く地面に押し付けた。ヒルダが苦しそうな声を上げ、町長の悲鳴にも似た声と懇願の声が聞こえてくる。

 俺は自分でも驚くほど、町長の言葉に虫唾が走っていたのだ。確かにそうだ。こいつは山羊の角に蝙蝠のような翼を持っている。

 しかし、それでも──


「こいつは、ティリスは……俺の女だ。悪魔じゃない」


 そう口走っていた。どこからどう見ても悪魔だろうと思う。角や翼だけじゃない。人知を超えた力で町を破壊し、兵団を一瞬で殺めた魔神。悪魔というのは間違いがない。

 しかし、俺は……こんなどうでもいい奴に、こいつを悪魔だと言われ蔑まされるのが、気に入らなかったのだ。

 俺はふと冷静になり、慌ててヒルダを起こして「ごめん……」と謝った。彼女は咳き込み、町長は「どうかこの子の命だけは」と涙ながらに懇願していた。

 何をやっているんだ、俺は……。いくら腹が立ったからと言って、子供に暴力を振るうなんて、最低だ。


「アレク様……?」


 驚いたようにティリスは俺を見ていた。信じられない、とでも言いたげな表情だ。

 そうだな。そうだよな。俺達はテイマーとサーヴァントの関係だ。一体どういうつもりでこんな言葉を吐いているのか、わかったものではない。

 呆れて大きな溜め息を吐いてから、立ち上がった。


「……あんたの前で孫娘を八つ裂きにしてやるのも一興だったが、興ざめだ。その代わり、一つだけ伝えておく」

「な、なんだ?」

「この町が滅んだのは、この最弱テイマー・アレクがこの町を滅ぼしたのはなぁ、町長さんよ……全て勇者マルスの所為なんだよ」


 言いながら、ティリスに目で合図をして、町長の身動きを封じている瓦礫をあごでしゃくった。意味を察した彼女は、指でピッと弾いただけで、その瓦礫を粉砕させてしまった。相変わらずどういう原理なのか、さっぱりわからない。

 町長は驚いたように俺達を見たが、自由になった体で孫娘をひしっと抱き寄せた。


「だから、もしこの町が半壊して俺達を憎んでいるなら……勇者マルスを怨め。全てあいつが招いた事だ。あいつがいなければ、この町はこうはならなかった。今日ここでこんな殺戮が起きる事もなかった。全部、あいつのこれまでの行いが悪いんだ」


 下卑た笑みを作って、ヒルダの頭をぽんぽんと撫でてやる。


「だからせいぜい広めてくれよ。これまで勇者マルスに恩を売っていた連中は、この町と同じ目に遭うかもしれない、それが嫌なら勇者を拒絶しろ、とな」


 そう吐き捨てると、踵を返してその場を離れた。

 一度こうして町を脅せば、マルスを受け入れない町も出てくるかもしれない。流言を流しているのが俺だとわかれば、マルスも俺を無視できなくなるだろう。

 俺はあいつを許さない。あいつが築いてきたものを、全て破壊してやる。

 ──などと考えていたが、ティリスがついてきていなかった。ふと後ろを振り返ると、彼女は惚けたようにぼーっと俺を見ていた。


「……ティリス?」


 俺の呼びかけでハッとして我に帰り、少し遅れてから小走りで俺についてくる。

 そして、少し躊躇しながら……そっと俺の手を握ってきたのだ。

 予想外の行動に驚いて彼女を見てみると、これまで情事を営んで喘いでいた時とは全く異なる──なぜか恥ずかしそうな、初心な少女のように顔を赤らめた──上位魔神グレーターデーモンがそこにいた。

 なぜ彼女がいきなりこんな行動に出たのかはわからない。

 ただ、そんなティリスがどうしようもなく愛おしくなって、その手をしっかりと握り返してやると……彼女は恥ずかしそうに俯いてしまった。

 やはりティリスは、俺にとっては決して悪魔なんかではない。かけがえのない、なくてはならない存在なのだと、改めて実感した。


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【読者の皆様へ】


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