壊れた心とたった1つの救い
戦闘がいつ明確に終わったのかはわからない。おそらく、<
彼女は恐ろしい事に、返り血すら浴びていなかった。どういう原理かはわからないが、本当に空間を操作しているのかもしれない。
ただ、そんな事はどうでもよくて……俺は何も言わずティリスの手を引き、抱き寄せて唇を奪った。
「ッ……!?」
彼女は俺の行動を予期していなかったのか、一瞬驚いていたが、すぐにその口付けに応えてくれた。とろんとした目でこちらを見ると、俺の首に腕を回して、抱き締めてくる。彼女の温もりを感じた事で、俺はようやく安堵感を覚えられた。
燃え盛る町の中、俺達はただ抱き締め合い、舌を絡ませ合っていた。絶望と悲鳴が鳴り響く地獄のような場所でも、ティリスとの口付けは、どのような美酒にも勝るほど甘美だった。
もはや兵団は全て死に絶え、今は燃え盛る町と俺達から逃げようとしている町民だけだった。そんな中で、俺はただティリスを求めていた。
変わりつつある自分が、怖かった。いや、取り返しのつかない事をしてしまった自分が酷く汚い者のように思えて、不安だったのだ。
誰かに、こんな自分でもいいから、存在を許してほしかった。俺がティリスを求めたのは、その為だったのだと思う。
人がいなくなった酒場のオープンテラスまで行き、テーブルの上に彼女を押し倒す。「いい?」と耳元で訊いてやると、彼女は瞳を潤ませてこくりと頷き、両足を脱力させた。
先程まで破壊の限りを尽くしていた魔神は、自らの親指を咥えて、俺を物欲しそうに見ている。
征服欲が掻き立てられて、彼女に覆い被さった。
「嫌じゃ……ないのか?」
小さく喘ぐティリスの耳元でそう訊いた。
「私は……
「俺はお前にも満足して欲しいよ」
「もう、十分──……ッ」
そう言いかけたかと思うと、彼女は反り返って、ビクビクッと身体を震わせた。その姿を見て、俺は内心ほっと胸を撫で下ろしていた。少し強引過ぎなかったかと、不安になったのだ。
ティリスは〝ネームド・サーヴァント〟だ。俺を拒否するなど、あってはならない。だけれど、それでも……俺は彼女が無理をしていないかを気にしてしまうのだ。有り得ないとわかっていても、彼女に去られてしまう事を、心のどこかで恐怖しているのだろう。シエルが、俺のもとを去った時のように。
今、俺の横にいてくれるのは……彼女だけなのだから。
「アレク、様ぁ……ッ」
ティリスは泣きそうな顔をしながら、舌を出して俺を求めていた。それがあまりに愛しくて、切なくて、そうして自分を求めてくれる事に心の底から安堵して……彼女の口を自らの口で覆い、舌を絡ませた。舌を吸い出し絡ませてから、今度は何度も何度も彼女の口内を凌辱する。ティリスは、健気にそんな俺の荒々しい口付けに応えてくれていた。
なんと美しく従順で可愛らしい女なのだろう、と改めて思う。
さっきの虐殺を見て、彼女に恐怖してもおかしくないはずなのに、俺は一層彼女を大切に想っていた。張り裂けそうなくらい切なくて、ただ彼女を大切だと想う気持ちだけが残っていた。
それは、ティリスが初めての女だからかもしれないし、俺が1人きりの時に現れて孤独を癒してくれたからかもしれない。いや、こんな汚くなってしまった俺でも、全てを許容し、受け入れてくれるからかもしれない。
劣情以外の感情を、主従関係以外の感情を、悪魔的な強さと美しさを持つこの
燃え盛る町の中で、彼女と結ばれ安堵している自分を見て、俺はつくづくもう壊れてしまっているのだな、と思えた。人族として何か大切なものを失ってしまっている。それは魔神と結ばれてしまったからかもしれないし、その前から壊れていたのかもしれない。
ただ……きっと今の俺が、以前の倫理観や道徳心を持ち合わせてはいない事は明白だった。
散々勇者のパーティーでは塵のように扱われた。本来なら味方であるはずの勇者から口汚く罵られてきた。勇者の女だからと言って、聖女もマルスと一緒になって役立たずと俺のことを虐げてきた。
従者や雑用係と言えばまだ聞こえはいい。実際にあったのは、ただ強者が弱者をこき使い、精神的に痛めつける奴隷的行為だけだった。
それでも俺は勇者のパーティーの一員だからと、耐えてきた。これも俺の役割だ、これで勇者が心置きなく戦えて、世界が平和になるのであればと思って、耐えた。
それが、だ。
ずっと昔から好きだった、幼馴染のシエルにまで、あの勇者は手を出しやがった。シエルも、そんなあいつに喜んで股を開いた。両親のいない俺にとっては唯一の家族のような存在だったのに。将来、一緒に店を出して一緒に暮らそうと約束したのに。そんな俺との未来を、彼女は平気で捨て去った。
好きだった女が別の男と交わり喘ぐ声を聞かされる苦痛。そうとまでして耐えていたのに、もうお前に食わせる飯はないと追放された屈辱感。
よくよく考えれば、これで壊れないわけがないのだ。壊れないという奴がいるなら、是非会ってみたい。もしいるならそいつはきっと聖人様だ。
そんな聖人様がいるなら、是非ともそいつの目の前で大切な家族や恋人、ものを奪って壊してやりたい。それでも聖人様が聖人様でいられるだろうか。もし平然とにこにことしていられるなら、聖人様と認めて、俺は自らの誤ちを認めてやる。
だが、そんな者はいない。そんな聖人ですら、怒り狂って復讐に燃えるだろう。燃え盛り崩れ落ちる教会の前から、こちらを憎々しげに睨む神父やシスターを見ていれば、それがよくわかる。
そんなものだ。これが人族なのだ。
しかし、それがなくなった時に、本性が現れるのだ。こうした有事や疫病が流行った時、自分に不幸が訪れた時に、人の倫理や正義感なんてものは、簡単に壊れる。
半壊して誰もいなくなった家に盗人のごとく家に侵入し、金品を漁っている町人を横目で見て、俺は改めてその持論に納得するのだった。
俺もそうして壊れた。周囲の悲鳴を聞きながら最愛の女を抱き、それで安堵してしまっている程には、もう壊れてしまっていた。
正義感が強くて優しい男の子だと言われて育っていたはずなのに、一体あの少年はどこに行ってしまったのだろうか。両親は病気で亡くしたが、それでも腐らずに、前を向いていた。そうして育ったから、人の役に立ちたいと思ってテイマーになり、魔物の恐怖から皆を守りたいと思っていた。
だが、現実は……こんなものだ。何も残りはしなかった。自分の命よりも大切だと思えたシエルにさえ、簡単に捨てられるほどに。全ては俺が弱く、何も持たなかったせいだ。
幼馴染のシエルでさえ、そんな何も持たない俺を、認めてくれはしなかった。
でも──
『大丈夫です……アレク様。アレク様には、私がいますから』
彼女が言ってくれた言葉が、脳裏で蘇る。
こいつは……ティリスだけは、そんな何も持たない俺でも認めてくれたのだ。存在していいのだ、と。自分が傍にいるから、と。
炎に照らされ恍惚な表情を浮かべる美しい魔神を見ていて、胸が苦しくなるほどの愛おしさを覚えた。
そんな彼女と舌を絡ませて、強く抱きしめる。彼女もそれに応えるように、両足を俺の腰にしっかりと組んで体を密着させてきた。
──銀髪の
こいつがいなかったら、俺は──
「アレク様……? どうしたんですか?」
行為の最中、ティリスが不意に俺の頬に手を添えた。彼女はこちらを心配げに見つめており、また少し戸惑っているようでもあった。
「どうしたって、何が?」
「だってアレク様……泣いてますから」
そこでハッとする。俺は涙を流していたのだ。慌てて涙を袖で拭い、なんでもない、と答えた。
「……悲しいんですか? それとも、具合が悪い……?」
先程まで殺戮を行っていた人物とは思えないほど、彼女はおろおろと俺を心配してくれていた。
魔族で
だが、俺にとっては……こいつは、女神テルヌーラよりも、女神だと思えた。例え角や翼があって悪魔たる外観だったとしても、俺を救ってくれた事には違いないのだから。
「違うんだ。悲しいわけでも、具合が悪いわけでもない。嬉しいんだ」
ティリスの髪を撫でながら、俺はそう答えた。
「お前がいてくれて……お前が俺を見つけてくれた事が、俺は、ただ嬉しいだけなんだ」
ティリスは少し驚いた顔をしたが、すぐに女神よりも美しい笑顔を浮かべた。
「私もです、アレク様……。私もアレク様と出会えて、幸せですよ……?」
燃え盛る町の中、俺達は互いの体をこれでもかと言うくらい、強く抱き締め合っていた。
互いの存在と必要性を、互いに感じながら──
もう一度、口付けを交わした。
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