彼女が名前を求めた理由
──明け方。お互い疲れ果ててしまって、休んでいる最中だった。
「いきなりすみません……大混乱ですよね」
私も大混乱です、と彼女は付け加えて、俺の首元に鼻を擦り付けてきた。今更ながら、あまりの急展開に、彼女自身心がついていけていないようだった。ちなみに、俺はもっとついていけていない。
「そりゃあ、まあ」
たった一晩でテイマーとしても男としても最高位の事をやってのけてしまったのではないかと思う。昨日、無能な事を理由に勇者に追放されたはずの俺が。あまりに急展開過ぎて、夢であったと言われた方が納得できてしまう。
「でも、私はそれで、アレク様に救われたんですよ?」
「……そう言えば、そんな事も言っていたな」
そうだった。彼女は最初に『助けて』と言っていた。
「私は、名前を与えてもらう必要があったんです……いいえ、違いますね。そうしないと、きっといつか殺されていたんだと思います」
「どういう事だ?」
穏やかじゃない言葉が出てきた。
魔神、そしておそらくかなり高位である彼女が殺されるって……一体どんなものと戦っていたのだろか。
「ちょっと説明が難しいんですけども、人族には個体の生死を籍というもので記録していると聞きました。それは正しいですか?」
彼女が唐突に籍の話を切り出してきた。おそらく理由を説明するにあたって、必要な情報なのだろう。
「籍? ああ、教区簿冊の事か」
教区簿冊とは、テルヌーラ女神教の教区司祭が、教区民の洗礼や婚姻、埋葬を日を追って記載した記録だ。
村にはテルヌーラ女神教の教会が1つ、町は4つほどの教区に分けられて、ひとつずつ教会が立てられている。人々は、自分の教区の教会で礼拝に行って司祭様の説教を聞くのだ。
誰かが結婚すると自分の教区の教会で式をあげる。子供が生まれると、教会で洗礼を受けなければならない。そして、死ねば教会で埋葬される。つまり、人の生と死について教会が全て知っていて、教会はそれを〝教区簿冊〟という記録帳に残しているのだ。
そして、この教区簿冊をもとに、税の徴収なども行われている。
「魔族にはそういった習慣がないので、個体の妖気そのもので籍を判断されています。その妖気はそれぞれ固有のもので、変えられません」
ティリス曰く、力が大きければ大きいほど、妖気─魔力の強さ──がわかりやすくなるのだそうだ。それは魔族間でのみわかり、魔王軍はその妖気によって、仲間の出生や死亡、居場所を把握しているのだという。
ティリスは
「この妖気があるせいで、私はずっと魔王軍に追われ続けていました」
何故追われているか、についてはきっと今は訊かない方が良いのだろうな。話の腰を追ってしまう事になる。あとで訊こう。
「でも、〝ネームド・サーヴァント〟になってしまえば、話は別です」
「ここで<ネーミング>が出てくるのか」
「はい。〝ネームド・サーヴァント〟になると、それまでの生を捨て、マスターの魂と直接繋がる事になります。人族の魂が混じってしまう事で、妖気の種類が変わってしまうんです」
「種類が変わる?」
「はい。言葉にすると難しいんですけど……妖気が妖気のようなもの、になってしまうんです。そうなると、彼らにとっては私はいなくなったも同然で、私を探知できなくなります」
魔族が完全に行方をくらませるにはこれしか方法がありません、と彼女は付け足した。
「なので、きっと奴らは大慌てだと思います。いきなり私の存在が消えたんですからね。ざまぁ見ろです」
銀髪の美しい魔神は、クスクスと笑っていた。笑うと一緒に翼まで揺れているのが、何だか可愛らしいなと思ってしまう。
しかし、何ともないような世間話をしているように話しているが、彼女のこれまでの逃亡生活は壮絶なものだったのではないだろうか。
どういう事情なのかはわからないが、ずっと追手に追われて生活していたとするなら、ゆっくりと食事や睡眠も取れなかっただろう。
それを考えると、彼女が今、俺の腕の中で安心しきって寛いでいる理由もわかった気がした。おそらく彼女は、追われる日々からようやく解放されたのだ。
「ていうか、それならテイマーに名前を与えてもらえるなら誰でもよかったんじゃないか」
少し、拗ねてみる。彼女の言葉をそのまま受け取ると、そのようにも思えたのだ。まるで俺しかいないというような言い方までして乗せられて、こうして絆されているというのに……それは、少し悲しい。
ただ、俺がそう言うと、彼女は目元だけ笑って首を横に振った。
「誰でもよくありませんよ? というより、そもそも普通のテイマーに魔神は使役できないんです」
「そうなのか? でも、マスタークラスの高名なテイマーなら……」
「いいえ、できません。そのテイマーが優秀かどうかは問題ではないんですよ。私達魔神は、テイマー含めて人族に心を開く事はありません。人族と魔神は、本来相容れないものだからです」
ですが、とティリスは続けた。
「そんな中で、アレク様だけが私を使役させることができる存在で、私に名前を与えられる人でした」
「どうして?」
俺は自分が特別な存在だとは思えなかった。俺の人生を顧みても、特別な事はテイマーの資質があったくらいだ。実際にテイマーになってみたらあまりの使えなさにびっくりしたけれども。
そう思っていると、ティリスは悪戯げに微笑んだ。
「それは……今はまだ内緒です」
「おい、そこまで言っておいてそれはひどいぞ」
それならむしろ何も言われない方がよかった。
彼女は「すみません」と先に言ってから、続けた。
「本当のところを言うと、言っていいのか、迷っています」
「迷っている?」
「はい。その理由は……
そんな風に言われると余計に納得できない。理由があるのなら知りたいと思ってしまうのが、人の性である。
「少なくとも、今のアレク様はそう解釈してもらっていた方が、アレク様自身楽だと思うんです。それに……」
「それに?」
彼女は一度目を伏せてから暫く言葉に詰まらせた。
そして顔を上げ、懇願するような瞳で俺を見つめてくる。
「私の
こんな美しい女の子に潤んだ瞳でお願いされて、拒絶できる男がいるわけがない。俺は「わかった」と承諾するしかなかった。
『私は……アレク様を、アレク様として見たいと思っています』
この言葉は、まるで、俺の別に、俺の背後に誰かいるような言い方だ。
そして、きっとそれは間違いないのだろう。
ティリスを受け入れる自分の心理や、この流れを見ていても、明らかに
ただ、ティリスがそれを、敢えて言わないのは……それは、きっと
それを話すと、彼女は俺をアレク以外の誰かとして見なくてはいけなくなる、そして彼女自身それを望んでいない……そういう事なのではないだろうか。
彼女がそう考えているのであれば、無理に聞き出すのは、彼女にとって酷なように思えた。
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