第21話 優樹菜の過去②

 リビングのダイニングテーブルにて、優樹菜は席についたまま、ぼーっとしていた。

 先ほどからコップに注がれた麦茶の水面を見ているだけで、微動だにしない。

 落ち着いているのか、それともまだ心の整理がついていないのか……どちらにしても判断がつかない。

 俺は優樹菜の対面に座ると、意を決して話しかけてみることにした。


「優樹菜、少しだけ話してもいいか?」


 すると、優樹菜はゆっくり顔を上げ、俺を見つめる。

 その表情は午前中とはまったく変わっており、ひどく沈んでいる。

 こんな時にあの男のことを聞き出すことは、酷なことだとわかっている。優樹菜にしてみれば、思い出したくもないことなのかもしれない。

 それを無理やり思い出させ、聞き出していいものなのかと自分の中でも何度も何度も自問自答した。

 優樹菜のために一番いい選択肢はどれなのか……そう考えると、やはりこれしかない。


「さっき家の前にいた男は一体誰なんだ……?」


 心の中が激しくかき混ぜられたみたいにもやもやとする。

 優樹菜の表情を見ているだけで心が鋭利なものでエグられたような痛みが走る。

 俺の心は今、とても複雑な気持ちだ。

 この後、優樹菜が返答をした時、どう反応していいのかわからない。

 だが、俺は兄であり、彼氏だ。どんな答えでも受け止め、優樹菜を慰めてやらなければならない。

 優樹菜は一旦目を閉じる。

 そして、覚悟でも決めたのか、再び瞼を上げると、小さく口を開く。


「あの人は……私の実父です」

「……え?」


 あの男が優樹菜の実の父親……まさかな展開に俺は驚いてしまった。

 なんで今頃になって現れたのか……。母さんとはもう縁が切れているはずなのに……。

 どう考えてもあの男の目的が復縁以外にありえない。

 が、優樹菜は俺の思っていたことを読み取り、否定するかのように首を横に振った。


「歩夢くんが考えていることは、まずないと思います。お母さんとは、もうすでに互いを憎み合うほどまで関係が悪化していたので、その線は低いです」

「じゃあ、あの男は一体何が目的で現れたんだよ……」

「それは……たぶん私だと思います」

「……どういう意味なんだ?」

「そのままの意味です。あの人は、私を取り返しに来たんだと思います」


 淡々と優樹菜は言ってのけるが、正直話している内容がまったく掴めない。

 ただ取り返しに来たということであれば、親権争いの類だと思うけど、先ほどの優樹菜の反応を見る限りでは、あの男にかなり怯えていた。

 ――過去に一体何があったのか……。

 優樹菜は小さく深呼吸をすると、目線を膝の上に落とす。


「私、実はあの人からいろいろと暴力を振るわれていたんです……」

「暴力……?」

「はい……。身体的な暴力もあれば、精神的なもの、性的なものまでされました」

「……」


 優樹菜の瞳からは涙が溢れ、ぽつぽつと膝の上に置かれた手に落ちていく。

 体は小刻みに震え、次第にそれは酷くなり、しゃくり上げる。

 俺はすぐに席を立ち、優樹菜の背後に回る。


「もういい……。もう大丈夫だから……」


 そう言って、俺は優樹菜を軽く抱きしめた。

 嫌なことを思い出させてしまったことに対し、罪悪感が湧きながらも、優樹菜が落ち着くまで抱きしめる。

 今までそんな辛い過去があったなんて思いもしなかった。俺が思っていた想像以上な過去。

 それからして、優樹菜は再度落ち着きを見せる。


「ごめんなさい……」

「いや、いいんだ。それより母さんはそのことを知っているのか?」

「はい……、離婚の原因になったのも私に対する実父の問題行動でした」


 俺は優樹菜から一旦離れ、席に戻る。

 もっと早く気づいてやることはできなかったのか……など思ってしまったが、その後の話を聞くと、あの男はどうやらひもだったらしい。母さんが常に働きに出て、自分は家でのんきに過ごし、時には優樹菜を襲う。とんだクズ野郎だ。

 優樹菜がこうして、あまり感情を表に出さないのもきっとこのことが傷として心に深く残っているからに違いない。

 心のケアも大事ではあるにせよ、まずは根本的な問題としてあの男を永遠に引き離さなければならない。

 そのためにも一旦、両親に相談してみるか。俺だけの力ではどうにもできないしな。


「優樹菜、今日のこと親父たちに相談しても––––」

「それはダメ!」

「なんでだよ」

「お母さんたちには迷惑をかけられない……」

「迷惑どうこうの問題じゃないだろ」

「それはそうですけど……でも、お願いです。お母さんたちには何も言わないで……」


 優樹菜が一体何を考えているのか、俺にはさっぱりわからない。

 あんなひどい過去を持っているにも関わらず、今回のことは黙っといてとはどういうことなのだろうか? 優樹菜の気持ちを代弁するならば、せっかく両親が再婚して幸せな家庭を築いているのにそれを壊そうとするようなことだけはしたくない。だいたいこんなところだろう。

 けど、優樹菜の考えは間違っている。こんな問題で壊れてしまう家庭なんてただの上辺だけの取り繕ったものにすぎない。それは本物の家庭とは言わず、偽物だ。

 今の優樹菜にはいくら説得しても両親には言おうとしないだろう。

 また自分一人で抱え込もうとするに違いない。

 優樹菜には悪いことをしてしまうかもしれない。恨まれるかもしれない。

 それでもいい。

 優樹菜がいつも笑顔で感情を全て顔に出せるようになるならば……。

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