第19話

 とても人前に出られる顔ではない、とマヤは深く溜息を吐いた。泣き疲れるまで泣き続けたことで、目が覚めた時には見るからに赤く腫れた目と掠れた声に慌てふためいたものだった。

 マヤの部屋から狼狽する声が聞こえたからだろう、部屋に入ってきた母のソフィアが事前に必要になると察して冷やしたタオルと温めたタオルを用意してくれており、ある程度治まるまで目元のケアをしてくれた。

 ある程度腫れが引いてから食卓へ向かうと、父のカールが希少な蜂蜜を入れたミルクを用意してくれていた。カールも、そしてソフィアもマヤに何があったのかを追及してこなかったことから配慮が感じられ、マヤは二人に深く感謝した。

 そして朝食後、マヤは再び自室に戻り、姿見の前に立つ。首元と袖に花柄の刺繍の入ったネイビードレス。手にはリボンが添えられた白が映えるハンドバッグを持ち、主な貴重品を収納している。髪はお気に入りの星飾りのついたヘアピンで分け、後ろ髪を花飾りのついたヘアバンドでゆるくまとめ上げられたドレスヘア。冒険者の装いから遠く離れた、見目麗しい少女の姿だ。

 マヤは元々パンツルックで済ませようとしていたのだが、ソフィアからの



「冒険者になったらもうチャンスは来ないだろうから、最後にこの日だけは女の子らしい衣装にしよう! ね!?」



 と熱い要望に断り切れず頷いたのだ。

 マヤ自身も自覚しているが、髪型や化粧等の美しさに関するものを意識し始めたのは二、三年前くらいからで、それまでは男勝りという言葉が似合うやんちゃな子供だった。実用性ありきの物々しい服装が多く、着飾ることなどまるでしない。女の子の母親としての望みはほとんど諦めさせてしまっていたことに罪悪感を持っていたこともある。



「……良い。とっても綺麗よマヤ!」



 ノックをして自室に入ってきたソフィアが、マヤの姿を見て感激する。元々マヤは容姿の整った少女だった。身長も低くなく、ソフィアも羨むスタイルだ。冒険者という荒事の影響で筋肉質ではあるが、その分無駄なものもない。肌の出やすい首元や顔に傷跡が無いのも幸いし、そこに立っているのはまごうことなき美少女である。

 衣装について唯一マヤの要望としては丈を長くして肌をあまり出さないようにすることだったが、そんなものはソフィアにしては些事だった。両手に抱えた化粧箱を抱きしめて「あのマヤが……」と感激に震えているソフィアに、マヤは今までの自分はそんなに女の子らしくなかったのかと苦々しく過去を振り返る。



「さあ、しっかり用意しましょう! 今日という日は今日しか来ないんだから!」



 まるで何かの名言のような言葉で気合を入れたソフィアがマヤを椅子へ座るよう促し、化粧箱を広げていく。まだ赤みの残る目元を重点的に、全体に馴染ませるようにパフを優しく叩く。泣き疲れて眠ってしまいケアを怠っていたけれども、若さもあってか影響は無さそうで胸を撫で下ろしつつも羨むソフィアのことも露知らず、マヤは目を閉じてじっとしていた。

 身だしなみも整い、玄関で靴を履いたマヤは、見送ろうとする両親へと振り返った。優しい笑顔を浮かべる両親に、神妙な面持ちでマヤは二人を見つめ――ゆっくりと頭を下げた。



「ここまで育ててくれて、ありがとうございました」



 成人になる。それはマヤにとってとても大事なことだ。子供だからと保護され続けていたのも今日で最後。自身に対する責任を負うことになるとしても、マヤには早く大人になりたいという想いがあった。

 もちろんこれで両親との縁が切れることなんてない。それでもマヤは感謝を言葉で伝えたかった。



「……もう。そんなこと親に言う言葉じゃないわよ」


「そうだぞ、マヤ」



 両親の呆れたような声にマヤは頭を上げる。二人は変わらず笑顔を浮かべており、カールが……父親が、娘に語りかける。



「未成年だろうと成人になろうと、ね。マヤ、君はお父さんとお母さんの子供だ。それは未来永劫変わることなんてない」



 その言葉はマヤの心に深く入り、響かせる。漣が起こり、あふれたそれは涙となってこぼれ落ちた。

 早く大人になりたいと想いながら日々を過ごしていた。女子供だからと皮肉を言われることもあった。その度に努力を重ねた。安い挑発など容易く跳ね除け、ぐうの音も出せない程に凄くなりたい。マヤはずっと変わりたいと願いながら走り続けていた。

 それをわかってカールは伝えたのだ。変えられないこともあるだろうが、変わらないことが素晴らしいものもあるということを。

 ソフィアが前に進んでマヤを抱きしめる。気づけば母の身長を超えてしまった。それでもその腕は温かく娘を包み込む。



「生まれてきてくれてありがとう。マヤ」



 ーーああ、私はなんて幸せ者なんだろう。

 マヤもソフィアへと腕を回し、抱きしめる。今まで好き勝手に生きてきたのに、こんなにも愛してくれている人がいる。これほど幸せなことがあるのだろうか。



「もう、せっかくセットしたのに。式はまだこれからなのよ」



 ソフィアが身体を離してポケットからハンカチを取り出すと、マヤの流す涙を優しく拭き取る。マヤは離れていくソフィアの温もりが名残惜しく感じられたが、それを自覚して気恥ずかしくなってしまい、ソフィアにされるがままになった。

 ソフィアの手が離れ、一歩後ろへ下がる。笑顔を向ける両親に、マヤも負け時と笑顔を咲かせた。



「行ってきます」


「行ってらっしゃい」



 振り返り玄関のドアを開け、一歩外へ。気持ちの整理は出来ていないけど、その足取りは思ったよりも軽かった。ドアを閉めて隣の家へ視線を向ける。ファリノス家を始め、周囲はまだ閑散としており、外に漏れるような生活音は聞こえない。

 ノアと顔を合わせにくいと考え、開場の時間を考慮してもかなり早い時間を選んだのだ。静まり返る街の中、妙に風が身体を撫でる感覚に戸惑いながらマヤは歩く。

 会場は中央の商店街を北上した先にあるハダル会館になっている。一般的な式典等が開かれる際の会場として用意された場所であり、千人以上が一度に入れるスペースが用意されている。

 ハダル会館の前に一人、マヤはポツンと立つことになる。マヤが来た時間は開場の二時間前。式の開始時間からは三時間も前である。当然と言えば当然だった。

 かなりの時間が空いているが、マヤはさほど苦には思わなかった。その場で立ちながら精神を統一させる。次第に感覚が研ぎ澄まされ、意識しなければ聞こえないようなかすかな音が聞こえてくる。

 冒険者協会での訓練に精神面の修行が追加されてから、マヤは一人の時間が次第に好きになっていった。遠くの音、近くの音。大きな音、小さな音。息づかい、体温、心臓の鼓動。あらゆる情報が怒涛のように流れてくるのに、それを受ける心は水面のように静穏で、そんな矛盾が両立する奇妙な感覚がマヤは好きだった。

 時間はなだらかに過ぎていき、せせらぎに揺れる落ち葉のようにマヤを運んでいく。開場の時間が近づいてきているのだろう、次第に人が集まってくる音を拾い、マヤは意識的に精神統一をやめる。同性の友人が数人、グループで集まってきているのがわかったからだ。

 マヤは輪の中に入りこれからの未来の話に花を咲かせる。通常、ハダルの街を出る機会は少ない。今日の式で授けられるスキルの結果で最終的に判断する人が最も多いが、友人達は皆ハダルの街に残り、仕事に従事するそうだ。

 また一人、ハダル会館へ向かってくる人に気づいた。ツーブロックにされた茶髪。フォーマルなブラックスーツ。真新しいシャツに赤色のネクタイ。どこか落ち着かない様子で、服に着させられているという言葉が似合う。

 今は会いにくい、ノアだった。合わせる顔も無く、百人も参加者がいるのであれば皆に紛れて逃げてしまうこともできるだろう。

 ああ、それでも。マヤの目線はノアを辿ってしまう。応援するべきだ。言葉はあれで良かったのか。すぐに別れるわけではない。決別は済んだだろう。

 頷けるわけがない。疲れ眠るまで泣き続けた感情を、そんな容易く片づけられるわけがない。

 ノアがマヤに気づき、二人の視線が重なる。無言の時間が続き、しかし離れることは無い。一瞬なのか、永遠なのか。だが確かに二人はこの時間を共有した。

 あらゆるもしもの物語が思い描かれた。二人で未知の場所へ赴き、二人で知らぬ街を歩き、二人で危機を脱し、二人楽しくで語り合う。

 しかし、それは夢物語。夢は覚めるものだ。

 門が開く音がする。式の始まり別れの時間だ。

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