第18話


「……酷い顔」



 翌日。洗面所の鏡に映る自分の顔を見て、ノアはぽつりと呟いた。

 成人式の当日、ノアは一睡もできずに朝を迎えた。

 冒険者ではなく研究者の道を選んだことは、両親のトレンツとマリアン、そして上司になるであろうマヤの両親であるカールとソフィアには伝えていた。

 その四人には揃って同じことを尋ねられた。マヤに伝えておくかい? と。

 その優しさがノアにはとても甘く暖かな誘惑だったが、しかし受けるわけにはいかないと断った。これは自分から伝えなければいけないことだとノアは信じ、その決意を聞いた四人は誰一人否定せずに背中を押した。

 マヤと一緒に冒険者となる道は、ノアももちろん想像した。それはなんて楽しく、得難く素晴らしい未来になるだろうと考えた。

 それでも、ノアは研究者の道を選んだ。マヤに置いていかれる日々だった幼い頃、自身を救った魔法。才能があったのも幸いしただろう。しかしマヤやトレンツ達の後に続くだけが道ではないと教えてくれたのも魔法だった。

 次第に引き込まれ、プロフェッショナルであるカールに師事し、日に日に上達を実感できたのは嬉しかった。剣ではない武器を選んでみるという考えも、それ以降に生まれたものだ。棒術に出会い、研究の傍ら魔法の訓練を積み、とうとうマヤに勝負で勝った時、殻を破れたのだと信じて嬉し涙を流した。

 あの丘で夜の街並みを見下ろした時、家を灯す魔法道具を見た。人々の生活に寄り添う魔法の存在が誇らしくなった。それが魔法の研究者になるという道を決めたのだ。

 そうだ、自分で決めたのだ。だから、仕方ないことなのだ。そう何度も自分に言い聞かせても、ノアの脳裏からはマヤの懸命に堪えているような笑顔が離れなかった。



「酷い顔。眠れなかったの?」



「なんだ、眠れなかったのか? わかるぞ。父さんの時も楽しみで興奮して眠れなかったからな!」


「楽しみなのは確かだけど、そういうわけじゃないよ」



 居間へ向かうと両親のトレンツとマリアンが迎えてくれた。食卓には既に朝食が並べられており、どうやら二人ともノアを待ってくれていたようだ。

 ノアが椅子に座ると、トレンツが不意に話しかけてくる。いつも快活な父なのだが、今はどう聞けばいいものかと言葉を選んで悩んでいるようだった。



「……マヤちゃんには、ちゃんと伝えたのか?」


「うん、伝えた」


「そうか……そうか。偉いぞノア」



 悩んだ結果、トレンツは簡潔にノアへと問いかけた。元々相談した両親にも答えるつもりだったので淀みなく答えるノアを見て、納得したかのようにトレンツは頷いた。



「はいはい。二人とも早く朝ごはんを食べて。ノアは終わったら戻らないでまだここにいなさい」



 話し込む二人を引き戻すように、手を叩きながらマリアンが声を上げる。我に返った二人と揃って簡易的な祈りを捧げてから朝食に取り掛かった。

 普段通りの朝食だったが、夜は豪華にしようと決めているようで、今から楽しみにしているようだ。

 そんな家族団らんの時間も瞬く間に過ぎる。空になった食器をキッチンへ持っていき、水で軽く濯ぐに留めて食卓へ戻る。すると化粧品を入れた小箱を置いてマリアンが待っていた。



「そこに座って……目の下のクマがひどいわよ。本当に眠れなかったのね」


「うん……」


「そんな顔じゃマヤちゃんに顔向け出来ないでしょ。クマを隠すだけはしておきなさい」



 マリアンの横の椅子に座り、向きを変えて向かい合う。眠れなくなるまで思い詰めたノアを労いながら、マリアンがノアの顔に化粧を施していく。

 目を閉じながらされるがままのノアは、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。



「……最後には、笑顔を向けてくれたんだ」


「そう」


「マヤにとって、僕が星なんだって言ってくれたんだ」


「そう」


「だから、マヤが誇れるような人になる」


「そうね。頑張りなさい」



 ノアの決意を聞いて、マリアンは頷いた。



「はい、もう大丈夫。父さんと母さんも後で行くからね。式の途中で寝たりしないでよ?」


「そんなことしないよ。徹夜は慣れてきたし」


「……そう。またカールと今度お話しなきゃね」



 どうやら地雷を踏んだらしい。ノアは心の中でカールに謝罪しながら、早足で自室へと戻る。それを見送ってから化粧品を片付けていると、キッチンで食器を洗いながらトレンツが声をかけてきた。



「とうとう、ノアも大人の仲間入りか」


「小さい頃は弱虫だったのに、随分と早く大人びた子になっちゃったわ」


「はっはっは。これも教育の賜物だな」


「ええ。『私の』教育の賜物ね」



 冒険者はあらゆる人と関わりあう機会が多い。中には粗暴な性格の人もいる為、豪快な性格のトレンツはともかく、マリアンはノアにそうなってほしくないと教育にかなり気を使っていた。元冒険者のトレンツもマリアンの考えを当然理解していて、そこに関しては強く言えない立場だった。

 ごほん、と咳払いをして、トレンツは無理やりに話を変える。



「スキルがどうなろうと、俺達は迎え入れるだけだ」


「大丈夫よ。ノアは強いわ。私達が思っているよりもずっと」


「当然だ! なんせ俺とお前の子供だ、強さも弱さも受け入れられる器があるさ」



 トレンツとマリアンは互いに見つめ合い、頷いた。共に揺らがず、我が子のことを信じている。一度は己の弱さに折れかけた息子がこんなにも強く、そして優しさを持ち合わせた大人に成長した。

 例えどのようなスキルを授かろうと関係ない。人生を揺るがしかねないにも関わらずそう言い切れる程に、二人にとってノアの存在は誇りだった。

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